(鏡町)
鏡町の鑑内橋は文政十三年(1830)頃、種山の名石工、岩永三五郎が造ったといわれる。鏡町と内田村を結ぶことから、鑑内橋と呼ばれ、江戸時代には八代、松橋を結ぶ往還の要所であった。
鏡内橋
明治十年(1877)の西南戦争では、日奈久洲口に上陸して北上する官軍の斥候と、熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候とが初めて遭遇した場所で、その情報によって薩軍は氷川に陣地を構え、両軍が戦いを交えた。
鏡町の鑑内橋は文政十三年(1830)頃、種山の名石工、岩永三五郎が造ったといわれる。鏡町と内田村を結ぶことから、鑑内橋と呼ばれ、江戸時代には八代、松橋を結ぶ往還の要所であった。
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鏡内橋
明治十年(1877)の西南戦争では、日奈久洲口に上陸して北上する官軍の斥候と、熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候とが初めて遭遇した場所で、その情報によって薩軍は氷川に陣地を構え、両軍が戦いを交えた。
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