史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

西巣鴨 Ⅲ

2022年04月16日 | 東京都

(本妙寺つづき)

 

大久保氏之墓(大久保一翁の墓)

 

 大久保氏の墓石、上部中央に大久保一翁忠寛の名前を確認することができる。

 同じ墓所に一翁の息、大久保三郎の墓もある。

 

大久保三郎墓

 

 大久保三郎は安政四年(1857)の生まれ。植物学者。明治四年(1871)に米国ミシガン大学に留学し、植物学を修めた。「クララの明治日記」(クララ・ホイットニー著)にもしばしば登場する。大正三年(1914)、五十六歳で没。

 

河島氏墓(河島重蔵の墓)

 

 河島重蔵は、旧幕臣にして彰義隊士。慶應四年(1868)五月十五日、戦死(墓石には五月十七日となっている)。「幕末維新全殉難者名鑑」に記載はない。

 

(慈眼寺)

 慈眼寺墓地には、芥川龍之介、司馬江漢、小林平八郎(忠臣蔵吉良上野介の臣)らの墓がある。

 

慈眼寺

 

先祖代々霊位(小檜山鉄蔵、包四郎の墓)

 

 小檜山家の墓は小檜山鉄蔵によって建立されたもの。「幕末維新全殉難者名鑑」によれば、鉄蔵は「与力組。戊辰役に死す」と書かれているが、この墓は大正に入って建てられたものとある。

 鉄蔵の息、包四郎は六石二人扶持。町野隊付。慶應四年(1868)閏四月二十三日、越後三国峠にて負傷。小千谷にて戦死。二十六歳。

 次男岩次郎も朱雀足軽隊に属して慶應四年(1868)五月一日、磐城白河にて二十三歳で戦死している。

 墓石側面に「圓月院開受日観信士 明治元年九月朔日」とあるのは包四郎のものだろうか。

 

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