(不二ホテル)
不二ホテル
三田村鳶魚翁終焉之地碑
昭和二十七年(1952)五月十四日、江戸文化研究家の三田村鳶魚が、下部温泉不二ホテルで亡くなった。現在、不二ホテル前の庭には、海音寺潮五郎書「三田村鳶魚翁終焉之地」碑が建立されている。
(常福寺)
常福寺
身延町下山の常福寺に小沢一仙の墓があるというので、墓地を歩いた(朝から激しく犬に吠えられた)。結局、小沢一仙のものと特定できる墓石は見つけられなかった。
小沢一仙(別名、雅楽助)は、天保元年(1830)、伊豆松崎に生まれた。父は彫刻師石田半兵衛で、一仙自身も宮大工であり、彫刻を得意とした。その後、甲斐に出て甲府勤番小沢家の養子となった。鳥羽伏見の戦争が起こると、いち早く高松實村を担ぎ出し、岩倉具視や西郷隆盛の承認を得て、東征軍先鋒として信濃、甲斐を進軍した。ところが甲斐に入ったところで京都の方針が変わり、高松隊は偽官軍となった。憤慨した小沢一仙は抗議したが容れられず、慶応四年(1868)三月十四日、斬首された。
常福寺の説明によれば、一仙の法名は「朝仙院常信日秀」というらしいが、どうしてもその文字を刻んだ墓を見付けられなかった。いずれ再挑戦したい。
小沢一仙の墓?
不二ホテル
三田村鳶魚翁終焉之地碑
昭和二十七年(1952)五月十四日、江戸文化研究家の三田村鳶魚が、下部温泉不二ホテルで亡くなった。現在、不二ホテル前の庭には、海音寺潮五郎書「三田村鳶魚翁終焉之地」碑が建立されている。
(常福寺)
常福寺
身延町下山の常福寺に小沢一仙の墓があるというので、墓地を歩いた(朝から激しく犬に吠えられた)。結局、小沢一仙のものと特定できる墓石は見つけられなかった。
小沢一仙(別名、雅楽助)は、天保元年(1830)、伊豆松崎に生まれた。父は彫刻師石田半兵衛で、一仙自身も宮大工であり、彫刻を得意とした。その後、甲斐に出て甲府勤番小沢家の養子となった。鳥羽伏見の戦争が起こると、いち早く高松實村を担ぎ出し、岩倉具視や西郷隆盛の承認を得て、東征軍先鋒として信濃、甲斐を進軍した。ところが甲斐に入ったところで京都の方針が変わり、高松隊は偽官軍となった。憤慨した小沢一仙は抗議したが容れられず、慶応四年(1868)三月十四日、斬首された。
常福寺の説明によれば、一仙の法名は「朝仙院常信日秀」というらしいが、どうしてもその文字を刻んだ墓を見付けられなかった。いずれ再挑戦したい。
小沢一仙の墓?
石川家は何軒かありましたが、石川久左衛門の家系らしいので、植村さんの写真の家で合っているとは思いますが、果たして、、、
そうなんですよね。何度墓地を歩いても見つかりません。次に行った際には、お寺の方に確認しないといけないと思っております。