(境台場跡)
境台場跡
境湊にも幕末鳥取藩の築造した台場がある。境台場は、文久三年(1863)に構築されたもので、広さ一・四五ヘクタールの地を土塁で囲み、土塁の上に十八斤砲二門、六斤砲一門、五寸法五門が据えられていた。これは同じ年に築かれた藩内の台場の中でも最大かつ厳重に装備されたものであった。弓浜地方の村人を総動員して半年ほどで完成させ、また農兵隊が組織されて守備に当たっていた。南側の土塁の上にある一本の黒松は、境台場が築かれた頃に植えられた際に植えられたものと伝えられ、その姿から「連理の松」と呼ばれている。
連理の松
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境台場跡
境湊にも幕末鳥取藩の築造した台場がある。境台場は、文久三年(1863)に構築されたもので、広さ一・四五ヘクタールの地を土塁で囲み、土塁の上に十八斤砲二門、六斤砲一門、五寸法五門が据えられていた。これは同じ年に築かれた藩内の台場の中でも最大かつ厳重に装備されたものであった。弓浜地方の村人を総動員して半年ほどで完成させ、また農兵隊が組織されて守備に当たっていた。南側の土塁の上にある一本の黒松は、境台場が築かれた頃に植えられた際に植えられたものと伝えられ、その姿から「連理の松」と呼ばれている。
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連理の松
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