史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

倉吉

2018年01月20日 | 鳥取県
 今年(平成三十年(2018))の年明けは鳥取県三朝町の三朝温泉で迎えることになった。連日、旅館の豪勢な料理を残すことなく平らげた結果、気が付いたら標準体重を三キロもオーバーしていた。年始早々からダイエットに努めなくてはならない。

(赤瓦白土土蔵群)


第五十三代横綱琴桜傑将像

 倉吉は、第五十三代横綱琴桜のふるさとである。市役所のななめ向かい、観光駐車場の角に琴桜の堂々たる銅像が立っている。ここから徒歩数分の場所に琴桜記念館もある。琴桜は昭和四十七年(1972)九州場所、翌初場所をともに十四勝一敗で連続優勝して横綱昇進を決めた。当時、三十二歳。「遅咲きの桜」と揶揄された。引退後は年寄佐渡ヶ嶽として、大関琴風や琴欧州などを育てた。横綱としては短命に終わったが、指導者育成者として輝かしい実績を残した。
 この辺りは、町屋づくりの商家と白壁の土蔵が立ち並ぶ、伝統的建造物保存地区に指定されている。年末はさすがにお休みの店が多かった。


白土土蔵群

 元帥酒造は、嘉永年間創業の老舗の造り酒屋である。明治四十年(1907)、皇太子(のちの大正天皇)の山陰行啓に随行した東郷平八郎海軍大将に因んで地酒を「元帥」と名付けた。


赤瓦七号館「元帥酒造」


倉吉淀屋(旧牧田家住宅)

 大阪の豪商「淀屋」はその豪勢ぶりが仇となり、幕府により闕所となった。一方、倉吉で商いを始めた牧田仁右衛門(もと淀屋の番頭とも)が商いを始め、数代後に大阪に店を構え、代々「淀屋清兵衛」を名乗った。

(吉祥院)
 井伊直弼の禅の師、仙英禅師が住職を務めたというゆかりの寺である。仙英禅師は鳥取で生まれ、幼少の頃、仏門に入り、金城和尚の指導を受けた。倉吉で修行を積んだ後、天保十二年(1841)、彦根藩主井伊直亮にその人物を認められ、鳥取の景福寺から彦根の清凉寺に移り、第二十三代の住職となった。部屋住時代の井伊直弼の禅学の師であった。嘉永六年(1853)、ペリーの来航に際し、彦根でその報せを受けた直弼は、すぐさま仙英を訪ねて祈祷した。合わせて開国・剣難のことについても相談に与ったと伝えられる。元治元年(1864)没。年八十三。


吉祥院

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