(塚越八幡社)
塚越八幡神社の鳥居前に義人之碑と題目碑が建てられている。
「義人」とは明治二年(1869)のばんどり騒動の首謀者宮崎忠次郎のことである。この年、新川地方は凶作により惨状を極めた。塚越村の宮崎忠次郎は、渡世人だったといわれる。加賀藩の圧政に対し、ばんどり(蓑の一種)を身に付けた農民の集団が無量寺に集まり、そこから泊町まで進行したが、藩により鎮圧された。宮崎忠次郎は捕らえられて死罪となった。
塚越八幡社
題目碑
義人之碑
義人宮崎忠次郎記念碑
称永寺(滑川市)の住職蜷川龍夫(碑には富山県師範学校長となっている)は、義人の碑の撰文に事件の経緯を記し、忠次郎を義人として顕彰した。昭和五年(1930)の建碑。
宮崎忠次郎碑再建記念
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