史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

富山 Ⅱ

2022年11月05日 | 富山県

(明治安田生命富山ビル)

 

安田善次郎翁之像

 

 富山駅前の一等地に明治安田生命富山ビルがある。その前に安田財閥の祖安田善次郎像が建てられている。安田財閥は、三井、三菱、住友と並ぶ四大財閥の一つに数えられる。財閥解体後は、芙蓉グループを形成した。

 

(安田公園)

 安田善次郎は、天保九年(1838)十月九日に、現・安田公園のある場所に生まれた。父善悦は、富山藩の最下級の武士の身分を得たものの、半農半商の貧しい生活であったため、善次郎は農業や行商に精を出し家計を助けた。十四~五歳の頃、身分の高い富山藩士たちが、用達商人に膝を屈するのを見て、お金のもつ力と時代の移り変わりを悟り、商人として立身出世を志した。十九歳で江戸に出、勤勉に働き、倹約に努めることを信条として初志を貫き、安田銀行(現・みずほ銀行)、共済生命保険(現・明治安田生命保険)など、今も続く我が国の著名な企業を設立した。また、日本銀行の設立にも関わり、設立後は理事監事を歴任し、我が国の発展に多大な貢献を残した。大正十年(1921)、大磯の別荘寿楽庵に滞在中、兇漢に襲われ死亡した。

 

松翁安田善次郎君誕生地

 

 石碑は、善次郎没後の昭和十一年(1936)三月に建立されたもので、揮毫を寄せた高橋是清はその年に起きた二二六事件で凶刃に倒れている。この書は、その数日前に届けられたものである。

 

(小川亀次郎商店)

 

御膳水井戸

 

 明治天皇の北陸巡幸は明治十一年(1878)、八月三十日に東京を出発し、九月二十八日に新潟から富山に板輿で入り、朝日町と魚津市でそれぞれ一泊した。九月三十日、富山市に入り、中田清兵衛(薬業の豪商)邸で一泊した。十月一日には、西町、越前町、旅籠町、諏訪川原町を経て七軒町で板輿に乗り換えた。神通川に架かる六十四艘の舟橋を渡り、漁船により神通川の鮎漁を高覧した。その後、明治天皇は船頭町を経て、愛宕町の大間知正助(呉服商)邸で休息し、この井戸水で沸かしたお茶を飲んで。馬車に乗り換え、舟橋今町、五福新町を経て安養坊に向かった。

 御膳水井戸は残されているものの、既に水は枯れ、現在は使われていない。

 

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