(生地台場跡)
生地台場跡
生地台場跡
生地台場の大筒
生地(いくじ)台場は、外国船渡来による海防上の必要から加賀藩が嘉永四年(1851)十月に着手し、同年十一月に完成させたものである。工事記録によれば、土を運んで台場の原型をつくり、この上に芝を張り、まわりを杭、竹、縄で囲った。正面入口に小刀門を設け、台場の上部に五カ所の大砲を置く場所が作られた。台場の長さは六十三メートル、幅八メートルの孤状の形をしている。幕末に作られた台場の上に、当時の設計図に基づいて復元されたものである。砂の下には台場の原型がそのままの形で保存されている。
加賀藩が万延元年(1860)六月、生地台場に送った大筒(大砲)は、臼砲(モルチール砲)という型式だったと推定されている。合わせて、大筒の空丸、実丸、火薬等が送られた。安政六年(1859)、加賀藩の布目大太朗、馬場三郎の二人が大筒打人に任命された。文久元年(1861)には大筒、砲丸などを入れておく土蔵(三間四方の半二階建て)がこの台場から一〇八間離れた龍泉寺裏の海岸近くに建てられた。臼砲は口径に比べて砲身が短く射角が大きいので、砲丸は湾曲して飛び、そのため近距離用にしか用をなさなかった。
(本伝寺)
本伝寺
本伝寺には、明治天皇の御座所が保存され、「鳳鑾余韻」の顕彰碑が架けられているという。明治十一年(1878)九月二十九日、滞在。境内には「明治天皇沓掛御小休所 附御膳水」碑と「明治天皇御膳水」がある。
明治天皇沓掛御小休所 附御膳水
明治天皇御膳水
(喫茶ふみきりの向かい)
県道314号の荒町と田家新地区の境付近に明治天皇田家天覧所阯碑がある。当地で明治天皇が農作業を天覧したことを記念したものである。明治十一年(1878)九月二十九日、滞在。
軽食 喫茶 ふみきり
喫茶「ふみきり」が目印であるが、これもコロナ禍の影響だろうか、閉店したようである。
明治天皇田家天覧所阯碑
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