本書は序章と第一~三章、そして付編として堂上家百三十七家の出自や家格を紹介した一編から構成されている。コンパクトな本であるが、公家という日本特有の一団の持つ不思議さを余すことなく解説している。
第一章と第二章では、「その後の貴人たち」「旧宮家の光と影」と題して、近現代を生きた公家の生き様を紹介している。彼らは武士に政権を奪われて以来、五百年余りを「天皇の藩塀」という曖昧な存在でありながら、しぶとく生き抜いた。明治維新で再び脚光を浴びるが、政治家として活躍した例はほんのわずかである。学者として名を成したものもいれば、軍人や女優、スポーツ選手として活躍したものもいる。貴種故の世間知らずが招いたというべきか、中には世間を賑わす醜聞を起こした例もある。
公家の大事な役割の一つが貴族の文化や有職故実を脈々と伝えることである。雅楽や蹴鞠を伝える人たちがいることは、時々マスコミにも取り上げられるのでよく知られている。七卿落ちの一人、四条隆謌の家は、包丁道と呼ばれる日本料理に関する作法、故実、調理法を伝える家だという。この包丁道は、四条隆謌の子、四条隆平の家系に今も引き継がれている。このことは本書で初めて知った次第である。
七卿落ちといえば、本書111Pで「明治天皇の叔父にあたる(中山)忠光は七卿落ちで長州にいたところを、長州内の親幕派の刺客に襲われて死んだ」と記述されているが、忠光は所謂七卿落ちのメンバーではない。八一八の政変が起きた時、忠光は天誅組に担がれて大和にいたのである。その後、天誅組が破陣して長州に逃れたのであって、本書のこの部分の記述はちょっと正確ではないように感じた。どうでも良いことですけど。
第一章と第二章では、「その後の貴人たち」「旧宮家の光と影」と題して、近現代を生きた公家の生き様を紹介している。彼らは武士に政権を奪われて以来、五百年余りを「天皇の藩塀」という曖昧な存在でありながら、しぶとく生き抜いた。明治維新で再び脚光を浴びるが、政治家として活躍した例はほんのわずかである。学者として名を成したものもいれば、軍人や女優、スポーツ選手として活躍したものもいる。貴種故の世間知らずが招いたというべきか、中には世間を賑わす醜聞を起こした例もある。
公家の大事な役割の一つが貴族の文化や有職故実を脈々と伝えることである。雅楽や蹴鞠を伝える人たちがいることは、時々マスコミにも取り上げられるのでよく知られている。七卿落ちの一人、四条隆謌の家は、包丁道と呼ばれる日本料理に関する作法、故実、調理法を伝える家だという。この包丁道は、四条隆謌の子、四条隆平の家系に今も引き継がれている。このことは本書で初めて知った次第である。
七卿落ちといえば、本書111Pで「明治天皇の叔父にあたる(中山)忠光は七卿落ちで長州にいたところを、長州内の親幕派の刺客に襲われて死んだ」と記述されているが、忠光は所謂七卿落ちのメンバーではない。八一八の政変が起きた時、忠光は天誅組に担がれて大和にいたのである。その後、天誅組が破陣して長州に逃れたのであって、本書のこの部分の記述はちょっと正確ではないように感じた。どうでも良いことですけど。
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