史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「河鍋暁斎戯画集」 山口静一 及川茂編 岩波文庫

2021年11月27日 | 書評

先日も埼玉県蕨市にある河鍋暁斎記念美術館を訪れたばかりである。決して我が国の画壇における評価は高いとはいえないが、個人的にはこのところ妙に気になる存在となっている。

暁斎の特徴は、何といってもその多彩な画風であろう。伝統的な日本画から水墨画、錦絵や本書で特集されている戯画まで、極めて幅広い。この特徴を裏付けているのが、暁斎の確かなスケッチ力である。

本書は、ユーモア溢れる戯画を集めたものである。この時代、まだ呼称が固まっておらず、戯画、漫画、楽画,鈍画など、暁斎自身も様々な呼び方をしているが、現代風に言い換えると風刺画が一番近いだろう。今日、新聞や雑誌でよく見る風刺画の源流に位置するものである。

我が国では風刺画を芸術作品として評価することはあまりないかもしれない。暁斎の風刺画を芸術として評価したのは、むしろ海外の美術愛好家であった。今日、暁斎の作品の多くが海外の美術館に収蔵され、第二次世界大戦の戦火も逃れることができたのも、その結果ということができる。

本書は暁斎の魅力あふれる戯画を満載した一冊であるが、惜しむらくは文庫本のページの大きさに収めるために、かなり縮小されていることである。ただでさえ暁斎の絵はかなり細密であるが、老眼の身にはよく見えない。ましてそこに添えられている文字はほとんど解読不能である。本書を手引書として、できれば現物を原寸大で鑑賞したいものである。

風刺画は、機智、諧謔味、風刺性、毒気、観察眼が命である。文明開化に狂奔する民衆の姿は、風刺画家暁斎の格好の題材であった。ひたすら文明開化に反感を抱き、旧時代を懐かしんだのが、万亭応賀(まんていおうが)であった。

万亭応賀は本名を服部孝三郎という戯作者で、狂歌、戯文を得意とした。維新後、暁斎と組んで数々の中本(ちゅうぼん)、半紙絵を残したが、反時勢的態度は日を追ってエスカレートしていった。確かに俄かに西洋人の服装を真似て、和洋折衷の奇怪なファッションは、どう見ても滑稽である。ウサギが儲かると聞けば、一斉にウサギ飼いだし街にウサギが溢れかえった。金儲けに奔走する庶民の姿は、応賀の目にはあさましく映ったに違いない。福沢諭吉が「学問のすすめ」で「天は人の上に人をつくらず」と説くと、応賀は「学問雀」を出版し、「天は人の上に人を作り、人の下に人を作るものなり」と皮肉った。

しかし、文明開化、西欧化の流れは止めようがなかった。次第に応賀の風刺は人目をひかなくなり、注文も減っていった。著作を出しても、初編のみで中断し、跡が続かなかった。晩年は失意と貧困の中、反時代的著作に精力を使い果たし、明治二十三年(1890)、下谷の裏店に没した。

何時の時代も「あの頃は良かった」と昔を懐かしみ、時代に適応できない人間はいるものである。かくいう私も、DXだの、SDGsだの、あるいはカーボンニュートラルだと叫ばれる昨今の風潮に正直ついて行けていない(今もって我が家の自動車はガソリン車である)。多少軽薄との批判を浴びようとも、時代の流れについていく努力はしないといけない。反対側にいて批判だけをしていると、時代の敗者になるだけなのである。

 

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