北栄町は、「名探偵コナン」の作者青山剛昌の出身地で、道の駅には青山剛昌ふるさと館が併設され、JR由良駅は「コナン駅」と称している。コナンの熱狂的フアンである末娘はコナン駅を目の前にしておおはしゃぎであった。
JR由良駅(コナン駅)
コナン像
(隆光寺)
明治六年(1873)、正墻薫(適處)は五十六歳のとき岩本廉蔵らの懇願により、一切の官職を辞して松神村(現・北栄町松神)に移住、隆光寺に研志塾を開いて、地域の子弟の教育に尽力した。適處は明治八年(1875)五十八歳で亡くなった。短期間であったが、研志塾からは優れた人材が巣立ち、地方の発展に寄与したという。隆光寺には、適處自筆の塾規が残されている。
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隆光寺
境内に「適處先生避塵之地」の碑があるはずだが、いくら探しても見つからない。一旦は諦めたが、家族をJR由良駅に送って、その足で境港の正福寺まで往復した(片道一時間)後、もう一度隆光寺に戻って境内を隈なく歩いてみた。どうやらこの石碑は、倉吉・湯梨浜・北栄で震度六弱を記録した一年前の鳥取地震で倒壊してしまったようである。残念というほかない。
適處先生避塵之地碑(の跡)
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JR由良駅(コナン駅)
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コナン像
(隆光寺)
明治六年(1873)、正墻薫(適處)は五十六歳のとき岩本廉蔵らの懇願により、一切の官職を辞して松神村(現・北栄町松神)に移住、隆光寺に研志塾を開いて、地域の子弟の教育に尽力した。適處は明治八年(1875)五十八歳で亡くなった。短期間であったが、研志塾からは優れた人材が巣立ち、地方の発展に寄与したという。隆光寺には、適處自筆の塾規が残されている。
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隆光寺
境内に「適處先生避塵之地」の碑があるはずだが、いくら探しても見つからない。一旦は諦めたが、家族をJR由良駅に送って、その足で境港の正福寺まで往復した(片道一時間)後、もう一度隆光寺に戻って境内を隈なく歩いてみた。どうやらこの石碑は、倉吉・湯梨浜・北栄で震度六弱を記録した一年前の鳥取地震で倒壊してしまったようである。残念というほかない。
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適處先生避塵之地碑(の跡)
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