(廣現寺)
薩軍が宿営地とした廣現寺と音光寺を訪ねる。二つの寺は隣り合っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/88/896b3459f3a2349f10f150bab6c8eef9.jpg)
廣現寺
(音光寺)
音光寺
(妙蓮寺)
妙蓮寺
妙蓮寺境内には推定樹齢六百年という大楠がそびえたっている。その根もとに古い墓石が置かれているが、その中の一つが神風連の乱に参加した吉村義節(のりとき)のものである。
吉村義節は、神風連の部隊長を務め、県令安岡良亮邸に斬り込んだ中心人物である。小さな墓の横に大きな記念碑が建てられている。
吉村義節之墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/87/39fe244b2a88a554fbdd60f1fa8b0880.jpg)
志士吉村義節之碑
(蘆花夫人生誕地)
蘆花夫人徳富愛子生誕之地碑
徳富蘆花夫人愛子は、明治七年(1874)七月、この地で酒造業原田家の一番末の一人娘として生まれ、十一歳のとき一家は熊本市へ転住した。十七歳のとき御茶ノ水の東京女子高等師範学校へ入学した。卒業後、一年間小学校に勤務したが、縁あって二十一歳で蘆花(当時、二十七歳)と結婚し、その創作活動を助けた。蘆花の死後は、蘆花全集の出版や遺品展、記念講演会などを催し、東京には蘆花恒春園をつくるなど蘆花の顕彰に努めた。昭和二十二年(1947)没。
薩軍が宿営地とした廣現寺と音光寺を訪ねる。二つの寺は隣り合っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/88/896b3459f3a2349f10f150bab6c8eef9.jpg)
廣現寺
(音光寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/20/e55eef2ec81db26a4e9705dcc94b23f1.jpg)
音光寺
(妙蓮寺)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e0/161d1e83767eb1e191f1580eb0c5e454.jpg)
妙蓮寺
妙蓮寺境内には推定樹齢六百年という大楠がそびえたっている。その根もとに古い墓石が置かれているが、その中の一つが神風連の乱に参加した吉村義節(のりとき)のものである。
吉村義節は、神風連の部隊長を務め、県令安岡良亮邸に斬り込んだ中心人物である。小さな墓の横に大きな記念碑が建てられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/88/039641c5ce415a5d107e04b0545d5379.jpg)
吉村義節之墓
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/87/39fe244b2a88a554fbdd60f1fa8b0880.jpg)
志士吉村義節之碑
(蘆花夫人生誕地)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/53/8adfefef4ac762d89ee321d286e2f7c9.jpg)
蘆花夫人徳富愛子生誕之地碑
徳富蘆花夫人愛子は、明治七年(1874)七月、この地で酒造業原田家の一番末の一人娘として生まれ、十一歳のとき一家は熊本市へ転住した。十七歳のとき御茶ノ水の東京女子高等師範学校へ入学した。卒業後、一年間小学校に勤務したが、縁あって二十一歳で蘆花(当時、二十七歳)と結婚し、その創作活動を助けた。蘆花の死後は、蘆花全集の出版や遺品展、記念講演会などを催し、東京には蘆花恒春園をつくるなど蘆花の顕彰に努めた。昭和二十二年(1947)没。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます