『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

寂しい気持ち

2011年05月26日 | Weblog

お袋が亡くなって、早くも4ヶ月。
今は位牌と写真が僕の部屋に安置してある。
実家の建て替えをリーフォームでやるのか?
新築にするにはセットバックとか私道の整備を
この際やってしまった方が良さそうだとか
色々と迷っている。

元々、隣の家を破格で購入して引っ越すつもりだったのに
お袋が亡くなって、無理して借金する必要が無くなったので
契約破棄ししたんだけど・・・・

部屋に飾ってあるお袋の笑顔の写真を見ながら
「あぁ、お袋はもう居ないんだなぁ」
なんて、忘れていた寂しい気持ちが戻ってきた。

子供の頃から、結婚するまでずっと一緒に暮らして来たけれど
ここ7年間は、一人で頑張って生きてきたお袋の日記を見つけて読んだら
『オヤジが無くなってから、一人になって27年も経ったんだ』と
書いてあって、口には出さなかった一人暮らしの寂しさが日記から感じられて、
僕は写真に向かって「ごめんな」って言ってしまうのであります。

僕は最近、自宅に帰っても家族との会話が殆ど無い。
長女は自室で寝てるかPCに向かってなにやらやっているし
次女は和室を自分の部屋代わりにしてこもって勉強していたり、
寝る時は、嫁さんと次女が一緒に寝ているから
僕は帰宅して、夕飯を一人で食べて、風呂に入ると自室で
ギターを弾いたり、夜中にサッカーを見たり、日記を書いたりと
自室で独り過ごす時間が殆どで、会話の時間が全くと言っていいほど無い。

テレビを観ても、一緒に誰かと見ているのと楽しさも違うし
そんな時はテレビの内容なんかどうでも良くて、
むしろテレビを観ながらの会話の方が有意義な時間だったりした。

だから、家に居ても何処か「寂しいなぁ」って感じるんだけど
お袋はきっと、こんな時間をずっと過ごしていたんだろうなぁ・・・って
日記の中に「皆が帰った後の静けさに寂しさを感じる」って書いてあって
それを読んだ時に、本当に涙がこみ上げてきた。

僕の育った家は、夜になると「茶の間」と呼ばれるスペースに、
家族みんなが集まって、テレビの前でお茶を飲みながら
「夜食」というお菓子を食べて、何となく寝るまで過ごす家だった。
誰か(殆ど僕)が、その日にあったことを喋りだして、
お袋がその話を聞く。姉貴がそれにコメントを入れる。
オヤジと弟は寡黙な人間だけど、それでも同じ空間に居る。
『一家団欒』のこういう光景が当たり前だったから、
お袋が、独りで過ごしてきた時間は、僕が感じている以上に
寂しくて、退屈な毎日だったんだなあ・・・・って思う。

そう思ったらまた、『お袋、ごめんな・・』って
お袋の写真に向かって、呟いているのです・・・

コメント
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