映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

路上のソリスト  ジェイミーフォックス

2012-03-01 06:02:21 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「路上のソリスト」は路上生活をしているチェリストと記者のふれあいを描く映画だ。
ロスに9万人いるという路上生活者と精神が不安定な人たちに焦点をあてて社会の底辺に暮らす人たちの実態を描く。


ロサンゼルズ・タイムズの記者ロペス(ロバート・ダウニーJr.)はある日、べートーヴェンの銅像のある公園で2本しか弦のないヴァイオリンを弾くホームレス、ナサニエル・エアーズ(ジェイミー・フォックス)に出会う。
早口で自分のことをしゃべるナサニエルはジェリアード音楽院にいたと言う。驚いた。権威ある名門音楽学校の卒業生が、いったいどうして路上に暮らしているのかと。ナサニエルは確かにジュリアード音楽院に在籍していた。卒業ではなく退学だ。彼の演奏する音楽の美しい響きにひかれコラムのネタに取材をはじめる。

ロペスの手掛けるコラムは人気があった。彼が教えてくれた電話番号を頼りに、姉と元音楽教師に話を聞いた。姉は行方知れずの弟を心配しながら、少年時代のナサニエルはチェロを弾いていたと語る。音楽教師は「すごい才能だった」と証言した。弦2本で世界を奏でるヴァイオリン弾きに夢と希望を尋ねた。あと2本弦がほしいと彼はこたえた。ナサニエルについて書いたコラムは、さまざまな反響を呼んだ。
感動した読者の一人の老人がもはや使っていない自分のチェロを送ってきた。ロペスはナサニエルにチェロを届けた。巧みにチェロを奏でるナサニエルであった。そしてチェロは路上生活者の支援センターに預けて、そこで演奏するという条件をロペスは告げる。高価な楽器は狙われるからだ。
ナサニエルが音楽院を去り、路上で暮らすようになった理由をロペスはさぐろうとするのであるが。。。

話に大きな起伏はない。それなのでおもしろくないとする人も多いだろう。
でもいくつか気になるところがある。

まずは撮影の巧みさである。実に見事なカメラワークだ。ロス全体を俯瞰するように映したと思ったら、対象物に接近させたり、アップの映像にチェンジさせたり緩急自在の映像作りが見事だ。

そのカメラが映すロスのスラム街の光景が異様だ。
チェロを預ける支援センターはロスのスラム街の中にある。そこには路上生活者がたくさんいる。同時に精神が弱っている人たちも多い。日本でいえば、大阪西成のドヤ街を連想させる映像だ。黒澤明監督「天国と地獄」の犯人を追いつめて警察たちが追った横浜の貧民窟の映像にも通じるところがある。いずれにせよ、ロスを舞台にした映画では出てこない光景である。

支援センターには統合失調症の人たちがたくさんいる。この映画のソリストも幻聴や被害妄想に悩まされている。こういう人たちがなかなか社会性を持てないということもこの映画で描きたかったのかもしれない。
映画のセリフで、支援センターの人が「ここにいる人は友人を持つと、脳に化学反応が起きて、社会性を持つようになる。」といって社会への適応性について語っている。いろいろ考えさせる部分だ。

主人公の記者がつとめる新聞社にもリストラの嵐が吹き荒れている。ロスで新聞を読む20代以下の人が40%しかいないなんてセリフまで出てくる。そうなんだろうなあ。個人的には紙媒体の重要性を感じているけどね。言いたいことが盛りだくさんという脚本だった。
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夢駆ける馬ドリーマー

2012-03-01 00:45:46 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
「夢駆ける馬ドリーマー」は2006年日本公開の作品
足を骨折して馬主に見捨てられた馬と調教師とその娘との触れ合いのドラマである。
単純な筋立てが意外にしっくりくる。躍動感のあるレースシーンのカメラワークとケンタッキーの田舎の田園風景を見ているだけですがすがしい感じにしてくれる映画だ。


ケンタッキー州レキシントン。主人公ベン(カート・ラッセル)は、牧場を細々と営んでいる。娘ケール(ダコタ・ファニング)の楽しみは、ベンについて馬の調教を見に行くことだ。しかし、ベンと祖父ポップ(クリスクリストファーソン)は牧場経営で対立していた。
彼が担当している馬の一頭がソーニャドール。走る姿を見て、娘は一目でその牝馬を気に入ってしまった。しかしレース当日、主人公はソーニャの足の異変に気づいた。オーナーに出走をやめるよう進言するが却下され、そのままレースに出走した。レース途中で足を骨折して騎手は落馬した。オーナーからは安楽死を命じられるが、主人公はギャラと引き換えにソーニャを引き取ることにするのだった。

牧場での療養でソーニャドールの骨折は徐々に良くなってきた。主人公はソーニャドールをメスの種馬として育てようとプランを立てるが、獣医から妊娠できないと聞き落胆する。家計は火の車であった。
そんなある時、娘がソーニャドールに乗ったとたん、ものすごいスピードで馬は牧場から逃げ出した。主人公はソーニャドールが素晴らしい走りをしていることに気づくが。。。。

同じようなタイプの作品に「シービスケット」がある。これも後味がいい映画だった。
今回もレースの場面での躍動感ある撮影が非常にうまい気がした。普通競馬中継だと、遠くからの映像しか見れない。これはこれで仕方ないが、騎手が騎乗している近くから映す映像は臨場感がある。


印象に残ったシーンとしては、娘がソーニャドールに乗っている時に馬が走りだして、主人公である父親が車に乗って懸命に追いかけていくシーンだ。あせった父親が追いかけていくのであるが、なかなかつかまらない。足を骨折してから、うまく走れなかったのに自分の予想を超えて本能のように走り回る馬がいじらしく思えた。長いシーンではないが印象に残った。

昔ギャロップダイナという馬がいた。クラッシック三冠を制した名馬シンボリルドルフに秋の天皇賞に先着して優勝した馬である。そのレースではギャロップは人気薄だった。

自分が印象に残るのは、その少し前にカラ馬になった後一着で駆け抜けてしまったレースである。ゲートをでたあとすぐに騎手が落馬してしまった。当然そのままレースが進むわけであるが、ギャロップダイナはなんと途中から騎手がいないままぐんぐん追いぬき、一番最初にゴール盤を駆け抜けた。落馬した時点で競走中止であるから、一番最初に駆け抜けても着はない。笑い話として話題になった。
でもこの話をスポーツニュースでみて、笑うと同時に凄いなあと思った。競馬ファンじゃないのにギャロップを少し追いかけてみた。その次のレースで一着をとって、勢いで出走した天皇賞では人気はなかったが、後方から怒涛の差し脚を見せてシンボリルドルフに先着した。単勝配当は81倍、まさにこの映画とにたような話だ。本能のままにカラ馬で一着でゴール盤を駆け抜けた時、馬に人知を超えたものすごいパワーが加わっていたのだと思う。

この映画で見せるソーニャドールにもそんなパワーが備わったような気がする。そもそも骨折になれば、安楽死するのが馬の運命である。それがそうならないで復活した時の凄さってなんか実人生でも同じような話があるような気がした。
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