映画とライフデザイン

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BIUTIFUL・ビューティフル  ハビエル・バルデム

2012-03-04 12:05:14 | 映画(洋画 2010年以降主演男性)
「ビューティフル」はオスカー俳優ハビエル・バルデム主演のメキシコ、スペイン合作映画だ。
よくできた映画だと思う。

バルセロナの闇社会で生きる男が余命2ヶ月と知らされさまよう姿を描く感動の人間ドラマだ。
監督は「バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ時間軸を前や後ろに揺さぶるのが得意な監督だ。今回はハビエル・バルデムが見事な熱演、第63回カンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。その受賞自体が当然と思わせる傑作である。


スペインのバルセロナが舞台だ。主人公ウスバル(ハビエル・バルデム)は、二人の子どもを男手で育てていた。妻は情緒不安定で家を出ていた。彼女は売春婦寸前のすたれた生活をしていた。
主人公は裏稼業でしのいでいた。中国人の不法移民たちが働くコピー商品工場でバッグなどをつくり、アフリカからの不法入国の連中に露店で売らせる仕事の仕組みにからんだり、それに伴う警察への口利きで収入を得ている。同時に霊媒師の能力を持っている。
ある日、彼は病院で自分が末期ガンで、余命二ヶ月の宣告を受ける。宣告を受け、身体は弱っていく。それでも、そのことは誰にも告げず、今までどおりの暮らしをしていた。躁状態で不安定な元妻とも再び同居を始める。彼は死の準備を整えようとするのだが。。。。

ガンで余命が短いというのは黒澤明監督「生きる」の主人公と同じ設定である。
しかし、それぞれの主人公は対照的である。「生きる」の志村喬は長年役所の公務員として、問題を起こさず地道に働いていた男だ。一方今回のハビエル・バルデムは裏稼業まっしぐらの男だ。地理的に近いアフリカからの移民を露天商として使い、警察手入れ情報を与えながら巧みにかわしたり、偽ブランド品まがいのものを中国人の家族連れの移民につくらせている。いずれも本国ではすずめの涙の賃金しか得られないので、こんな状態でもまだましというわけだ。そういう本当の社会の底辺の人物からピンハネしている悪い奴だ。

志村喬はガンとわかったあと、強く落胆して行ったこともないストリップや飲み屋街を一人さまよう。そのあと前向きな気持ちを持ち、地元住民が望んでいた新しい公園をつくり静かに世を去っていく。でもハビエル・バルデムは大きくは変わらない。死に向けて静かに身辺の整理を始めるが、世の中のためにという感覚はない。日常の裏稼業から大きく変わっていない。そんな中とんでもない事件が起きる。

「生きる」では、ほぼ主人公一人にスポットライトが当たる。日本の公務員制度への批判的な見方などの社会性もあるが、すべては志村喬の問題に帰着する。そのため彼を浮き上がらせるために、黒澤作品常連の三船敏郎が出ていないのは意図的だろう。


この映画は「生きる」よりもかなり重層な内容の映画となっている。(だから「生きる」が薄っぺらいというわけではない。)その当時と比べグローバル化が進み複雑化している。アフリカや中国からの不法移民たちを主人公にからませ、じっくりと描写しているから内容が盛りだくさんだ。それぞれの移民の居住状態はひどい。倉庫の片隅に25人にも及ぶ従業員とその家族が一緒に寝る。映画の中で搾取という言葉が出てくるが、まさに19世紀前半の前近代的資本主義の形態と同じだ。

アフリカの不法移民が検挙される場面では、強制送還と背中合わせで生き延びてきたアフリカ移民のつらい話も浮き上がらせる。日本ではこういう移民問題がないが、最近の各国の映画を見ると深刻な問題があることがわかる。


映像はバルセロナの中をなめるように映す。しかし、ウディアレン監督作品同じハビエル・バルデムが出ている「それでも恋するバルセロナ」の観光案内のような美しいバックとは対照的にバルセロナの恥部を映す。
それがいい。

バルセロナの雑踏を映す映像で真実のこの街が浮かび上がる黒澤明作品で映るいかにも戦後のストリップ劇場に対して、現代バルセロナのトップレスバーを映す。これは御愛嬌か。ときおりサクラダファミリアなどの建築物も映像コンテの中に入り込むが、あくまで脇役だ。
街のど真ん中でアフリカ人の露店に手入れが入る時のスピード感ある映像はお見事というしかない。臨場感があるので驚いた。


主人公の子供たちに見せる態度は気分次第で変わる感じがあったが、徐々に変わっていく。移民たちへの思いも少しずつ変わる。やさしい心の交流に胸を打たれる場面もあった。
コメント
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