映画とライフデザイン

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映画「男はつらいよ 寅次郎と殿様」 渥美清&真野響子

2014-08-26 21:53:56 | 映画(日本 昭和49~63年)
映画「男はつらいよ 寅次郎と殿様」は1977年公開のシリーズ第19作目
マドンナは真野響子で、その義父である殿様役を嵐寛寿郎が演じる。


端午の節句に戻った寅次郎(渥美清)は、ささいなことで柴又のとらやの面々とケンカをして四国愛媛の大洲の町へ旅に出る。戦国武将藤堂氏がつくった大洲城のもとで栄えていた城下町だ。
そこの定宿で一人の若い女性(真野響子)が隣室で泊っていることを知り、寅次郎は夕食時に鮎料理をおごってあげる。彼女の住まいは堀切菖蒲園の近くということでウマが合い、柴又の団子屋を知っているらしい。気前が良くなりお土産も持たせた。
ところが、翌日勘定を確認すると、高くついたことに気づく。大洲城のそばで財布をいじくると、なけなしのお札が風で飛ばされる。あわてて城壁をくだると、1人の老人が寅次郎のお札をもっていた。

これは自分のお金と老人からお札をもらい、拾ってくれたお礼にラムネをおごってあげる。すると老人(嵐寛寿郎)の家に招待される。二人連れ立って歩いていると町の人々が老人に丁寧に挨拶してきた。老人の正体は大洲の殿様の子孫・藤堂久宗だった。藤堂家の執事(三木のり平)は寅次郎を怪訝そうに思うも、殿様はすっかり寅のことを気に入ってしまったのだ。

そして寅次郎が東京出身と知った殿様は、東京で亡くなったという末っ子の話をする。末っ子には嫁の「まりこ」がいたが、その結婚を「身分違い」として認めず勘当同然の扱いをしたと言う。今はすっかり反省した殿様は、せめて息子の嫁に会って謝りたいと、寅次郎に探してくれるように依頼する。


酒の勢いで安請け合いした寅次郎を殿様は完全に信用しきっており、寅を追いかけて上京してしまった。寅次郎は柴又の面々も巻き込み東京にいる鞠子という情報だけで、自分の足で鞠子を探そうとするが当然上手くいかない。とらやにかつて寅が大洲の宿で会った女性が突然現れる。彼女の名前は鞠子で、愛媛出身の夫と死に別れたというのだが。。。

昭和の匂いが立ち込める映画だ。昭和52年ともなれば、学園紛争も収まり、ディスコブームにさしかかり時代が変化しているはずなのに葛飾柴又とらやの周りには変化がない。いつものように寅さんはちょっとした口げんかで家出してしまうが、そこでとらやの家族や寅さんが怒る理由がよくわからない。最初はちょっと気分がもやもやする。

なんか変だな?と思っていたところに、ボケギャクのアラカンが登場し、その執事として三木のり平が登場してくる。
ここからは圧倒的に笑えてくる。渥美とあわせて3人とも一世一代の名優だよね。
それにしても渥美清のテキヤ口上が冴え渡る。ノリが抜群だ。



1.嵐寛寿郎
藤堂氏は本当に大洲の町を取り仕切っている。架空の名前ではない。しかも、その殿様を演じる。
鞍馬天狗とはちょっとちがう雰囲気だが、年老いた殿様を巧みに演じている。ついこの間「網走番外地」で稀代の殺人鬼の服役囚を演じていたのを見たばかりだ。実に貫禄たっぷりであった。「明治天皇」を演じた後、円熟味が感じられるようになっていた。ここでは本当にすっとぼけたじいさんだ。三木のり平とのコンビが絶妙だ。

2.三木のり平
松竹作品出演とは珍しい。森繁久弥とともに東宝の「駅前」「社長」シリーズの常連で、当時は「桃屋」の宣伝がコミカルでよかった。加東大介が75年に亡くなってしまうので、東宝の喜劇シリーズも終わってしまったのであろうか?


小林信彦が名著「日本の喜劇人」の中で三木のり平をこう評する。
「主役を張れないタイプで、映画、舞台、ともに主役の場合は成功していない。あくまで脇の、しかも、完全な<ぼけ>でないとうまくいかない。」
山田洋次の脚本は脇役としての三木のり平を活かす絶妙な<ぼけ>ぶりを前面に出す。いかにも天性の喜劇役者だ。

3.愛媛大洲と下灘駅
愛媛県の八幡浜にこの8月行って来たばかりなのも、このdvdを手に取って見ようと思った理由だ。
大洲5万石というが、藤堂氏はいろんな場所に城を作っている。映画の最初に「しもなだ」という駅が出てくる。寅さんが居眠りをしてしまってふと目覚める駅だ。まさに海に面している駅で、海ぎわを列車が走る。


海に面してすばらしい光景だ。


コメント
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