映画とライフデザイン

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映画「眠れる美女」 マルコ・ベロッキオ

2014-08-16 20:44:00 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「眠れる美女」は2013年日本公開のイタリア映画だ。
2011年日本公開の愛の勝利を ムッソリーニを愛した女は素晴らしい作品だった。ムッソリーニと愛人とのラブストーリーに実際のムッソリーニが映るドキュメンタリー映像を挿入してリアル感を増す。撮影、美術も完璧で、映像コンテがすばらしい。バックに流れる音楽も場面に合わせて情感にあふれ、ドキドキしながら映画を見た。傑作だと思う。監督はマルコ・ベロッキオである。
あのレベルの作品をつくる監督なら外れはないだろう。そう考えてdvdを手に取った。ロードショーはいつの間にされていて、機を逃した感じだ。


イタリア全土を揺るがした尊厳死事件を基に、マルコ・ベロッキオ監督がオリジナルストーリーを完成させた。妻を看取った政治家とそんな父に不信感を持つ娘、昏睡する娘の目覚めを願う元女優、自殺願望のある女を救おうとする医師、この三組の物語を同時展開させる。命が生と死の狭間を彷徨っているとき、周りがどういうまなざしで反応するのかをベロッキオは丹念に追う。
個人的にはアバズレ女の自殺を止めようとする医師の話が感慨深かった。



2009年、イタリア全土を揺るがすある女性の尊厳死事件が起こる。17年前、21歳で交通事故に遭い、植物状態となってしまったエルアーナ・エングラーロ。両親は延命措置の停止を求め、カソリックの影響が強いイタリアで、長い間裁判闘争を行なってきた。2008年10月に最高裁判所がようやくその訴えを認めたが、彼女の延命措置の停止を行う病院はなかなか見つからなかった。
翌年2009年1月、イタリア北東部の町ウディネの病院が受け入れを表明し、2月にエルアーナはミラノからウディネへ搬送された。しかし、カトリック信者や尊厳死反対の保守層からの支持を集めるベルルスコーニ首相は、エルアーナの延命措置を続行させるべく、法案の強行採決を画策していた。
こうした尊厳死をめぐる賛否の激しい対立の最中に、三つの物語が同時進行で展開されてゆく。

【第一の物語】
議員のウリアーノ・ベッファルディ(トニ・セルビッロ)はエルアーナ・エングラーロの延命措置を続行させる暫定法案に賛成票を投じるかで頭を悩ませていた。それは、彼自身が逡巡の末、妻の延命装置を停止させた過去があるからだった。


母を死なせた父に、娘マリアはずっと不信感を抱いていた。マリアはウディネの病院へ移送されたエルアーナの延命措置が続行されるよう、ウディネでのデモに参加する。現地の食堂でマリアはある兄弟と衝撃的な出会いを果たす。兄弟はマリアとは反対のデモ団体に属していたが、マリアは兄ロベルトに恋をしてしまう。


一方、ベッファルディは自分の信念を曲げて、賛成票を投じるくらいなら、議員を辞して娘と向き合うことを考えていた。

【第二の物語】
医師パッリド(ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ)は勤務先の病院である女(マヤ・サンサ)と最悪の出会いを果たす。女の名はロッサ。彼女は出勤してきたパッリドの金をかすめとろうとしたのだ。そんな幸先の悪い朝から、いつもの日常が始まる。同僚の医師は仕事もそっちのけで、エルアーナの死の時期を賭けごとにしている。患者の家族たちは医者への不信感むき出しで、治療への不満をぶつけてくる。いささか疲れを感じながら廊下を歩いていると、薬を盗もうとしたロッサが看護師たちにかかえられてきた。


万事休すの状態で、ロッサはパッリドたちの目の前で手首を切るのだった。幸い一命を取り留めるが、眠った彼女は一向に目を覚ます気配がない。パッリドはそんな彼女の傍らに寄り添うのだった。

【第三の物語】
伝説的な女優(イザベル・ユペール)は輝かしいキャリアを捨てて植物状態の娘ローザの看病に専念していた。


娘のために毎日のように祈りを捧げ、エルアーナと娘を重ねて、報道を目にしては涙を流すのだった。俳優志望の息子フェデリコは、母を盲信的に愛し、女優として尊敬のまなざしを注いでいるのだが、その愛が彼に返ってくることはなく、愛に飢えていた。彼女の夫も妻のかたくなな態度に心を傷め、夫婦仲は冷め切っていた。息子は母に振り向いてもらいたいがために、ある行動に出るのだった。
(作品情報より)

尊厳死問題は、脳死問題とあわせてよく議論される。公になると何かと問題が多い話だけど、実務上は各病院で密かに行われているのではなかろうか?末期がんの患者については、病院から「医師の処置に任せる」という一筆を保護者が書かされる。 それは死に至っても文句は言わないという意味だと思う。延命の機器を外すなんて単純なことではない。患者に処方するモルヒネの量の加減を強めにするだけで、明らかに血圧が下がり痛みはなくても死に近づいていく。
医師の判断でそういう処置はされていると推測されるが、公にはならない。

「終の信託」は主治医が患者から万一の時の処理を依頼されていた。強い痛みを和らげようと尊厳死にいたったが、大沢たかお演じる検察官に草刈民代演じる医師が徹底的に追及されイジメ抜かれた。なかなかきつい映画だった。

今回は植物状態の2人を支えた家族物語と、ならず者で生きている価値もないような女が自殺しようとしているのに医師が助けるという対照的な話が語られる。上記でいうと、自ら死のうとする人間を助け得る第2の物語がむしろ心に残った。
マヤ・サンサ演じるイタリア女性が、感情をあらわにする演技がすばらしい。

マルコ・ベロッキオ監督の映像構成力には今回も唸った。
それぞれのショットのカメラ配置が美的に練られてされている。我々の目に映る映像コンテが完ぺきだ。前作でも感じたが、不安を感じさせるような暗い場所でのショットがうまい。照明の加減が巧みにされているからだ。 それを引きたてるバックの音楽がすばらしい。映画全般に流れ続けるわけではないが、場面を選んで効果的に不安要素を高めている。音響効果がイメージの強化を巧みに操る。そして、編集もすばらしい。今回も現代イタリアのニュース系データをうまく物語に組み合わせている。

テーマの暗さにはまいったが、さすがに映像のレベルは極めて高い。
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