映画「選ばなかったみち」を映画館で観てきました。
映画「選ばなかったみち」はハビエル・バルデムが認知症患者を演じるサリー・ポッター監督作品である。主役のみならず、エル・ファニングやローラ・リニーと脇を固める共演者たちとの自分の相性はよく、観に行くことにした。ビックリするくらい不入りだった。
認知症をわずらっているメキシコ人移民の作家レオ(ハビエル・バルデム)が娘モリー(エル・ファニング)の手を借りながらニューヨークで一人で生活しているが、昔メキシコにいたころに好きだった女性との関わりやギリシャでの創作活動を脳裏で思い浮かべながら現実と空想を混在させてしまう話だ。
残念ながらおもしろくなかった。
ハビエル・バルデムは殺人鬼を演じたアカデミー賞作品「ノーカントリー」をはじめ、気味が悪いくらい強いというイメージを持つ。その一方で彼にはがんの末期患者を演じた「ビューティフル」という傑作がある。これはよかった。ここでも同様に認知症患者を演じて、演技自体のレベルは高い。
でも、見どころがまったくない。娘との関わりを映す現実の世界、メキシコ時代に付き合っていた女性との関わり、ギリシャでの創作活動で現地で若い女性と知り合う話のどれも起伏も中身もない。一人で夜のニューヨークを彷徨うシーンもあるが、エピソードといえるものではない。ちょっとがっかり。
レオはニューヨークのループ鉄道に接する古いアパートに1人住む。誰が金銭の面倒を見ているのかわからないが、ヘルパーが面倒見ている。でも、すべてのことに反応が薄い。とても平常の生活ができる状態でない。判断能力もないし、自宅の住所さえも言えない。普通だったらどこかの施設で厄介になってもおかしくない。大けがをして入院した時に娘が連絡をして、母親(ローラリニー)が来るが、とっくに離縁しているようだ。
まあたいへん面倒な事態に陥っているようだ。自分も初老の域に達しているので、ちょっとは気になる。幸い、死んだ両親は意識を失う寸前まで頭は冴えていた。周囲には認知症の身内を抱えている人もいるので、こうはなりたくないと思ったというだけの映画か。たまにはこういう作品に出会うこともあるかな。
映画「選ばなかったみち」はハビエル・バルデムが認知症患者を演じるサリー・ポッター監督作品である。主役のみならず、エル・ファニングやローラ・リニーと脇を固める共演者たちとの自分の相性はよく、観に行くことにした。ビックリするくらい不入りだった。
認知症をわずらっているメキシコ人移民の作家レオ(ハビエル・バルデム)が娘モリー(エル・ファニング)の手を借りながらニューヨークで一人で生活しているが、昔メキシコにいたころに好きだった女性との関わりやギリシャでの創作活動を脳裏で思い浮かべながら現実と空想を混在させてしまう話だ。
残念ながらおもしろくなかった。
ハビエル・バルデムは殺人鬼を演じたアカデミー賞作品「ノーカントリー」をはじめ、気味が悪いくらい強いというイメージを持つ。その一方で彼にはがんの末期患者を演じた「ビューティフル」という傑作がある。これはよかった。ここでも同様に認知症患者を演じて、演技自体のレベルは高い。
でも、見どころがまったくない。娘との関わりを映す現実の世界、メキシコ時代に付き合っていた女性との関わり、ギリシャでの創作活動で現地で若い女性と知り合う話のどれも起伏も中身もない。一人で夜のニューヨークを彷徨うシーンもあるが、エピソードといえるものではない。ちょっとがっかり。
レオはニューヨークのループ鉄道に接する古いアパートに1人住む。誰が金銭の面倒を見ているのかわからないが、ヘルパーが面倒見ている。でも、すべてのことに反応が薄い。とても平常の生活ができる状態でない。判断能力もないし、自宅の住所さえも言えない。普通だったらどこかの施設で厄介になってもおかしくない。大けがをして入院した時に娘が連絡をして、母親(ローラリニー)が来るが、とっくに離縁しているようだ。
まあたいへん面倒な事態に陥っているようだ。自分も初老の域に達しているので、ちょっとは気になる。幸い、死んだ両親は意識を失う寸前まで頭は冴えていた。周囲には認知症の身内を抱えている人もいるので、こうはなりたくないと思ったというだけの映画か。たまにはこういう作品に出会うこともあるかな。