先週死んだ父は昔からおいしいものすきだった。
今ではみんなあまり食べなくなったが、キャンベルスープのような輸入物の缶詰が好きだった。
五反田のガードの下に輸入物のスープや肉の缶詰を売っている店があった。同じように渋谷の井の頭線の下にも「シブヤ食品」?といったけか、そういう缶詰類を売っている店があって、カマンベールチーズをはじめとした白カビチーズやアオカビチーズが売っていて家で食べた。
五反田には「京浜ベーカリー」という洋食屋があった。パンもおいしかったが、ビーフシチューがおいしかった。いわゆるビフテキを最初に食べたのもその店である。
(昭和43年京浜ベーカリー付近 品川写真館より引用)
五反田駅横には「日本食堂」があった。そこでおいしかったのが「ロシアスープ」である。いわゆるボルシチとほぼ同じなのだが、クリームがのっかってものすごくおいしかった。
渋谷でビーフシチューというとやはり井の頭線ガード下にあった洋食屋「芳松」である。平成の時代にあったかどうかは自信がない。ロシア料理でいうと「サモワール」である。東急本店を左に曲がって、ラブホテル街に向かってすぐにあった。ここの歴史は本当に長く、大学生時代や入社間もないころよく使った。ツタのからまる建物が印象的だったが、1年強前に解体工事中に出くわした。非常に残念だった。
上の4つの店には昭和50年代前半くらいまで父とかなり行った。思い出すとしめっぽくなる。
渋谷は本当に変わった。昔からの店が次から次になくなっていく。
小さいころ夜歩くと渋谷のセンター街には黒いサングラスをした男たちがいっぱいたむろしていた。昭和40年代前半までは渋谷は怖いまちだった。西武百貨店のところが映画館だったころだ。突如としてセンター街に若者が増えて怖さが消えたのはやはりパルコができて公園通りができた後だろうと思う。
小さいころは父におっかなびっくり渋谷の夜をついていった気がする。大衆酒場でシラスを食べながらこの魚の親は何かな?なんていっていた気もする。
父との思い出は尽きない。
この際もう少し追いかけてみたい。
今ではみんなあまり食べなくなったが、キャンベルスープのような輸入物の缶詰が好きだった。
五反田のガードの下に輸入物のスープや肉の缶詰を売っている店があった。同じように渋谷の井の頭線の下にも「シブヤ食品」?といったけか、そういう缶詰類を売っている店があって、カマンベールチーズをはじめとした白カビチーズやアオカビチーズが売っていて家で食べた。
五反田には「京浜ベーカリー」という洋食屋があった。パンもおいしかったが、ビーフシチューがおいしかった。いわゆるビフテキを最初に食べたのもその店である。
(昭和43年京浜ベーカリー付近 品川写真館より引用)
五反田駅横には「日本食堂」があった。そこでおいしかったのが「ロシアスープ」である。いわゆるボルシチとほぼ同じなのだが、クリームがのっかってものすごくおいしかった。
渋谷でビーフシチューというとやはり井の頭線ガード下にあった洋食屋「芳松」である。平成の時代にあったかどうかは自信がない。ロシア料理でいうと「サモワール」である。東急本店を左に曲がって、ラブホテル街に向かってすぐにあった。ここの歴史は本当に長く、大学生時代や入社間もないころよく使った。ツタのからまる建物が印象的だったが、1年強前に解体工事中に出くわした。非常に残念だった。
上の4つの店には昭和50年代前半くらいまで父とかなり行った。思い出すとしめっぽくなる。
渋谷は本当に変わった。昔からの店が次から次になくなっていく。
小さいころ夜歩くと渋谷のセンター街には黒いサングラスをした男たちがいっぱいたむろしていた。昭和40年代前半までは渋谷は怖いまちだった。西武百貨店のところが映画館だったころだ。突如としてセンター街に若者が増えて怖さが消えたのはやはりパルコができて公園通りができた後だろうと思う。
小さいころは父におっかなびっくり渋谷の夜をついていった気がする。大衆酒場でシラスを食べながらこの魚の親は何かな?なんていっていた気もする。
父との思い出は尽きない。
この際もう少し追いかけてみたい。
別のコメントにもあるように,京浜ベーカリーから歩いてすぐの産婦人科に生まれて東五反田1丁目で育ちました。この店に父とよく行ったのは昭和40年代の半ばだったと思います。ビフテキもビーフシチューもここで食べたのが最初です。小学校高学年でした。昭和50年代初めまで店の存在は記憶にあります。私の実家が自営業で,その打ち上げに京浜ベーカリーのコックを呼んで料理を作ってもらいました。本当においしかったです。
ブログ訪問ありがとうございました。父が亡くなった時に書いた15年前の記事ですけれども。
私は東五反田生まれですが、実質的にはこの世に出たのは、京浜ベーカリーから橋をわたってすぐの小川産婦人科というところでの誕生です。おじいさん先生でした。それなので、この店への思いは強いです。
>「カレーライス」かランチの最安値の「ライトランチ」を食べていました。どちらもボリューム感があり、とても美味しかった記憶が、今でも残っています。
実はランチって食べたことないんです。いつも父と行くのは夕方で、子どもから少年のころなのでランチの存在すら知りません。
>二階に上がると、ちょっと怖そうな女性の店員さんが居て、注文を聞きに来ます。
自分が父と行ったのはほとんど二階だったです。店員の記憶はまったくありません。オーダーの基本はビーフシチューだったです。
>取り壊され立派なビルに建て替えられて、「京浜ベーカリー」は無くなってしまいましたが、思い出だけが鮮明に残っています。
五反田で洋食と言えば、有楽街の「グリルエフ」でこの店は永く続いていますね。「グリルエフ」のビーフシチューは割と濃厚で、「京浜ベーカリー」のデミグラスソースの方がやわらかい味だったと思います。ともかくビーフシチューイコール京浜ベーカリーでした。
別のコメントで京浜ベーカリーのコックさんに、自営だった自分の家で、従業員との打ち上げに洋食を振る舞ってもらったとき、本当においしかったと書きました。そのときはビーフシチューはなかったと思います。並べられる洋食の数々をもう一度あのコックさんに出してくれないかと思っています。夢にでてきそうです。
このブログ記事書いて13年半になりますが、記憶をよみがえらせてくれてありがとうございました。
当時の五反田はレトロ感があって親しみやすい街でした。洋食は「京浜ベーカリー」の利用が多く、「カレーライス」かランチの最安値の「ライトランチ」を食べていました。どちらもボリューム感があり、とても美味しかった記憶が、今でも残っています。これらのメニュー以外も食べていましたが、どれも美味しかったです。
二階に上がると、ちょっと怖そうな女性の店員さんが居て、注文を聞きに来ます。いつも安価なメニューを注文していたので、ちょっと恥ずかしかった記憶があります。
カレーライスはルーが緩めながらも、しっかりした味がたまりませんでした。肉は確かポークだったと記憶しています。ライトランチは銀皿にハンバーグやフライなどが盛り付けられ、ライスも別皿に盛られていました。
他のランチはAランチ、Bランチやビーフシチュー等々だったと思いますが、結構高額なので2~3回しか注文した事がありません。
取り壊され立派なビルに建て替えられて、「京浜ベーカリー」は無くなってしまいましたが、思い出だけが鮮明に残っています。
ちょうど父母の看病で落ち着かないときに、できてしまったのがこのブログです。5年前の7月9日に父が死んで10日後に書いた文よく見つけられましたね。
>確か1階がパン屋さんで横の小さい階段を上がって二階に行くと小さなレストランだったと記憶しています。
そうですよね。ただ1階にも食事するスペースはあった記憶が残っています。小学校の時そこで初めてビフテキを食べたので覚えています。
今となっては信じられないことですが、昭和40年代には「グリルエフ」と「京浜ベーカリー」の他には気のきいた洋食を食べさせるレストランって五反田にはなかったですよね。私が生まれた産婦人科はここのすぐそばでした。
>そのような中で、記憶に残っているのが京浜ベーカリーのカレーなんです。
あのこくのある欧風カレーは、カレー専門店にも負けない味でした
残念ながら食べたことないような気がします。いつもここではビーフシチューやグリル系の料理を食べていました。もう行けないので残念です。
こくのある欧風カレーというのは個人的には大好物なんで、昔から神保町「ボンディ」「いんでいら」(渋谷本店なくなったけど、昔はおいしかったなあ)荻窪の「トマト」なんってところはよく行きました。
>ある時にコックさんが変わってしまったのか、づっと続いていた味が少し変わってしまい、がっかりしたのを覚えています
ここのコックはレベル高かったですよ。昭和40年代後半、自宅で家業の従業員たちが打ち上げをするときに京浜ベーカリーのコックさんに出張してもらって料理作ってもらったことありました。それって今でも記憶に残るくらい本当においしかったんです。
そんなコックさんですから何つくってもおいしかったですよね。確か末期はベーカリーのみだった記憶があるんですが、定かでありません。
古い五反田話、またよろしくお願いします。
確か1階がパン屋さんで横の小さい階段を上がって二階に行くと小さなレストランだったと記憶しています。
私は子供の頃から大のカレー好きで、現在でもそのカレー好きは続いており、ネットで雑誌に話題のカレー店が載ると行っておりますし、レトルトも食べ尽くしております。
そのような中で、記憶に残っているのが京浜ベーカリーのカレーなんです。
あのこくのある欧風カレーは、カレー専門店にも負けない味でした。
ある時にコックさんが変わってしまったのか、づっと続いていた味が少し変わってしまい、がっかりしたのを覚えています。
もう20年以上になるかなぁ。あのカレーの味がいまだに忘れられません。
父が亡くなった後のコメントでした。五反田は隣の大崎に比べると、パラダイム転換的な大変貌はとげていないと思います。でも昔あった店がすくなくなりました。
「坂本の味噌や」「グリルエフ」「東京酒楼」くらいかな?
私の元の実家は島津山の下で、生まれた産婦人科は現在ラブホテルになっています。