映画とライフデザイン

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映画「無言歌」

2013-01-06 19:36:38 | 映画(アジア)
映画「無言歌」は2011年の中国映画だ。
国家当局ではまだタブーとなっている出来事ゆえ、中国国内では上映禁止処分になった作品だ。

キネマ旬報2011年のベスト4に入っている。なかなか見るチャンスがなかった。ようやくdvd化された。毛沢東主席主導の「大躍進政策」後の飢饉の時期に右派の思想家が政治犯の収容所に入れられた。その面々の日常を描く。一般市民でさえも飢えをしのぐのが精いっぱいだったと言われる。そんな時期収容所環境がいいわけがない。飢えに苦しむ囚人たちの話だ。
長まわし中心でその収容生活を描くが、変化に乏しく、あまり楽しい映画ではなかった。

1960年の時代設定だ。共産主義の思想対立が続いている中、革命思想に反発する右派の思想家たちがいた。チベットにかかるゴビ砂漠のあたりで、視界に入る場所は一面の荒野という場所に、政治犯の収容所がある。その中では満足な食料も与えれず、苦役に励んでいた。
目的となる農園作りは一向に進まない。収容所の看守たちも、健康状態が皆悪くなることに困っていた。その中に2人の囚人がいた。一人は非常に健康状態が悪く、もう先がないと悟っていた。しかし、もうすぐたつと自分の妻が訪ねてくる可能性がある。亡くなっても自分の死体はそのままにしないで早めに埋葬するよう頼んでいた。そして彼は死にいたる。そんな時上海から一人の女性が訪ねてくるのであるが。。。。

戦後しばらくは戦前の否定として、左翼思想が日本を覆った時期がある。日本は台湾に移った蒋介石総統への恩義もあり、中華民国を承認していた。テレビ放送も中国本土を「中共」と表示していた覚えがある。中国本土の情報は香港経由でわずかに入るだけで、今とは想像もつかないくらい何も情報がなかった。日本の知識人と言われる人たちは共産党およびマルクス経済学、計画経済を崇拝し、資本主義より素晴らしいシステムがあると信じ切っていた。計画経済によって、共産諸国は大きく発展していると想像していたわけである。
ところが、実態はまったくそうではなかった。ソビエトの計画にならい、毛沢東主導で「大躍進」計画が実施された。ところが、技術的な基盤がないために、全くうまくいかなかった。農村は飢饉の状態で数千万人の死者が出たと言われる。1959年あたりにはその実態を政府当局も把握して、若干の軌道修正が図られていたわけであるが、右寄りと言われる政治犯はチベットのゴビ砂漠の近くの収容所にいたわけである。

時代背景はそんなところであろう。
収容所の中は最悪の食糧事情である。一般の人たちに行きわたらないのに食糧が来るわけがない。次から次へと人が死んでいく。別に拷問で死ぬわけではない。つらい話だ。そこへ一人の妻がやってくる。そして自らの夫の死を知り、このへき地で嘆き悲しむという設定だ。
映画自体は凡長な感じで、囚人たちは大変だとは思うが、別に胸にジーンとくるわけでない。

この映画では改めて、共産主義を選択した国の破滅への道をうまく象徴している気がする。
逆の立場で考える。アメリカは戦後マッカーシズムで共産主義者が粛清された時期があった。映画界からも著名な監督や脚本家が追放された。しかし、彼らはこのような収容所に入ったわけではない。
共産主義者として告発を受けた人々を実質的に救ったのは市場経済である。政府から放り出されても、市場で職を見つけることができた。もしも雇用主が政府しかなかったら、告発された人々は路頭に迷うしかなかった。あるいはこの映画のような監禁を受けたであろう。彼らは中小企業、小売業、農業などで職を得た。しかも匿名ながら映画界で生き延びた人物もいる。市場の中で恩赦を受けている。
市場原理主義とののしり、市場経済に疑問を投げかける人にはこういう悲しい事実があることを、このあとの文化大革命に関する映画とあわせて見せつける必要がある。

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