後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

zebra1192さんへの感謝

2008年01月06日 | 社会・経済

コメント

最新ブログ拝見、貴殿の好奇心の旺盛さ、以前にも記しましたが、今回のスポーツ・カーも然りです。海(ヨット)と言わず、山(別荘・登山・トレッキング)、今回の陸ですか、結構資力・体力が必要と思いますが、決して皮肉でなく、これだけ人生を思う存分楽しめれば、言う事ありませんね、羨ましき限りです。おそらく小生の周りを見渡しても貴殿以外は見当たりません。生きる楽しみと言えるのかも。
 ブログ論についてですが、今や猫も杓子もと言う感じですが、やはり時代の生み出した、新しい文化と言うことになりますかね。我々世代のようにIT化以前の文化も経験している人間は、これによって行過ぎたり、過ちを起こす事は少ない(勿論中にはいる様だが)と思うが、IT文化しか知らないで(教育でしっかり教えれば別だが、どうも心もとない)、これが全てだと思って、育って行く様では、先が思いやられる。いみじくも作家柳田邦男氏が著書「壊れる日本人」でも述べられているが、その通りだと思う。下らぬコメント悪しからず。


品川祐氏のベトナム写真に関連して

2008年01月05日 | 社会・経済

品川祐氏のベトナム旅行の写真に関連して、依然「外国体験のいろいろ」(4)として掲載した拙稿の抜粋を再録します。

◎ホンダバイクの奔流―サイゴン

 1994年、サイゴン、夏の夜のこと。目前の大きな通りいっぱいに、ホンダの50ccバイクが爆音をとどろかせ、後ろに三、四人乗せて大河の奔流のように流れて行く。ほかに楽しみのないベトナム人家族の夜の娯楽である。1976年、米軍がサイゴンを放棄し、ヘリコプターで最後の脱出をしてから18年。

私は立ち尽くし静かに眺めている。平和って素晴らしい。フランス、アメリカとの三十年に及ぶ戦争い勝ったベトナム。しかし血の代償は大きかった。

ハノイ市郊外の山並みを低空で飛ぶ米空軍の戦闘機を打ち落とした、元ベトナム兵の話を思い出している。先の大戦の終戦間際の仙台空襲を高台から見ていたことを思い出す。

  @ホーチーミン記念館

ハノイでガイドをしてくれたベトナム人の若者はいいかげんなやつで、ホテルに迎えに来る時間は遅刻ばかり。道案内もでたらめで、とにかくやる気がない若者だった。こんなやつにはほかの国でも会ったことがない。そんな若者に、「君、ベトナム人が一番尊敬しているホーチーミンの記念館に、あす案内してくれないかね?」と頼んでみた。

いつもは汗臭いシャツ姿の彼が背広姿をビッシと決めて、ホテルのロビーで朝早くから待っていた。ホーチーミン記念館へ私を案内するのがそんなにうれしいのだろうか。喜びに絶えないといった様子で、私を引っ張るように連れて行く。締め慣れないネクタイを何度も直しながら道を急ぐ。

記念館には、ホーチーミンの写真やディエンビンフーでフランス軍を壊滅したグエンザップ将軍の写真などが、生前に使っていた家具や文房具類とともに展示してあった記念館を出る時、たくさんの横長の旗が生暑い風にハタハタとなびいているのに気付いた。文章が書いてある。「なんて書いてあるの?」。「いいかげんな案内人」は目を潤ませて、「ホーチーミンはベトナム人の胸に生きている。いつまでも生きている」と読む。 

この叙情的な文章は本当にベトナム人の本音だそうだ。(以下略)


品川庄司 品川祐blogブログについて、「ブログとベンチャー企業の隆盛」(2)

2008年01月05日 | 社会・経済

@ブログによる隠れた個人的才能の発見

個人的な発想と企画で商品開発やサービス事業を計画し株式会社を登記し、新商品あるいは新サービス事業を市場へ供給し、利潤を上げる経済活動をベンチャー企業と言います。

しかしもっと広い意味では個人の才能と企画で新しい事業を展開するのもベンチャー的事業とも言います。写真の才能を用いて写真集を世に供給するのもベンチャー的事業です。それで利潤が上がれば立派なベンチャー的経済活動と言えます。

Yahooのブログのランキングの結果を見ます。上位にあるブログは大体有名タレントに関するブログです。ブログの主が有名だからアクセス数が多いだけだ、と思いがちでしょう。そう思いつついくつかのブログを見て感動してしまいました。ブログの主の本業の分野以外で驚異的な才能を発揮している例が多いのに気がつきます。ブログは隠れた個人的才能を教えてくれます。これは有名人に限りません。

@品川祐氏のブログの例

何気なく品川祐氏のブログを見て彼の報道写真家としての才能に感動しました。http://mycasty.jp/shinagawa/html/2008-01/01-05-907007.html

ベトナムの街でバイクに家族が相乗りしている写真数枚です。写真を撮っている人(品川祐氏)の人間へたいする強い愛情が伝わってきます。ピューリッツアー賞をとった沢田教二氏のクリークを必死で泳ぐ母と子供の写真の続編を見せてくれるようです。キャプションは「自由への脱出」だったと記憶しています。品川裕氏の写真へのキャプションは、「自由へ脱出した母子のその後の生活」となりませんでしょうか?

品川祐氏はどんな方かは知りませんでした。家人へ聞くと品川庄司というコンビで活躍している有名なお笑い芸人だそうです。

品川氏のブログはほんの一例ですが感動的な内容のブログは枚挙にいとまが有りません。

すこし話が広くなりますが、小学校から大学までの学校教育では隠れた才能の発見をしようとしています。しかしブログの世界では学校教育の枠のなかで発見出来なかった個人の才能を容易に顕在化してくれます。

学校教育が不必要というのではなく、ブログはその弱点を補強する大きな手段ではないでしょうか?(続く)


ブログとベンチャー企業の隆盛(1)

2008年01月04日 | 社会・経済

@大学発1000社創出運動の無理

1990年ころのバブル経済の崩壊によって日本は長い不況に苦しんだ。政府や経済産業省などの省庁では何故不況が長期になるかを研究した。そのなかで経済産業省はアメリカの経済社会構造を調査しベンチャー企業が経済活性化の鍵になるという考えを出した。特に日本の大学、官庁、民間の協力によるベンチャー企業の創出が重要と判断し、それを促進するいろいろな政策を実行して来た。所謂「産学官連携推進運動」の諸政策である。とくに平沼氏が経済産業大臣のとき全国の大学からベンチャー企業を1000社創出させる社会運動を起こし、関連諸政策を進めてきた。

社会運動としては非常に意義深い方針であったが大学発1000社運動は失敗に帰したと思う。本来大学で教育や研究をしている人々は大学という特殊な組織の中でのみ生きている。アメリカの大学の人々のように気軽に大学を辞めてベンチャー企業を起こす人などは非常に少ない。皆無と言っても過言ではない。

@ブログの隆盛がベンチャー起業を促進する

全国でブログをしている人々は1000万人という。ブログを続行するにはその内容、編集方針、タイトルの付け方、記事の順序、写真集のテーマの企画などを自分で考え、取材し、取材結果を加工、編集して発表しなければならない。この作業は雑誌の編集発行と類似の作業である。一言でいえば「情報収集、処理、発表、新企画の繰り返し作業」である。

この作業はベンチャ-起業を実行する場合に必要な基本的訓練になっている。ビジネスプランの企画、関連マーケットの調査、ターゲット顧客の絞り込み、新商品の製造技術の開発、商品の販売ルートの確立、などなどのステップをベンチャー起業家は一人で解決しなければならない。

自分でブログをして見ると「そうだ!これがベンチャー隆盛の鍵だ!」という感慨に捉われる。ブログは個人の企画力を自然につけて行く。個人の独創性が重要になる。独創的な内容でないと誰もアクセスしてくれない。

以前、ブログは日本の社会を組織優先社会から個人優先社会へ変革して行くという論旨の意見を掲載したが、しばらくこのテーマで続いて記事を連載して見ようと思う。コメントを頂ければ幸いである。(続く)


ブログ検索の重要性

2007年12月10日 | 社会・経済

Photo

この写真は目の疲れを癒すために入れた挿絵です。以下の本文とは関係ありません。

@ブログが日本の社会・文化を変質させている

ブログを始めて1ケ月にしかなりませんが、インターネット、特にブログは今後日本の閉鎖的社会を根源から変化させて行くのではないか?という直感に捉われています。

つい最近までの日本は役所や会社という組織に隷属した人々が重要視されて来ました。また情報伝達の巨大な力は新聞社あるいはテレビ局が独占してました。そのような社会ではおのずと専門別あるいは業種別の閉鎖的なサブ社会を形成されます。そうすると特定のサブ社会の利益優先を重視する社会的体質を作ります。

このような社会構造の強みは個人を犠牲にしながらも国家経済の高度成長をもたらしたと考えることが出来ます。しかしその欠点は閉鎖的な組織、会社の内部の利益を重視するあまり一般の個人の生活を種々の側面から脅かします。

最近マスコミで明らかにされている偽のブランド食品の横行、賞味期限や消費期限の改竄なども従来の日本の社会の弊害のほんの一部と考えられます。

@ブログが組織の呪縛から個人を解放する

ブログの本質は個人の考えや意見を新聞やテレビを通うさずに自由に広く発表出来ることでしょう。新聞社の編集方針やテレビ局による編集作業に関係なく生の個人の考えを社会的に広く発表出来ます。新聞社・テレビ局の大きな役割をしてきた従来の社会の性質を変えつつあります。

個人一人一人が新聞社・テレビ局の代わりに意見を発表できる社会へ移行しつつあります。

しかし新聞社・テレビ局の大衆への情報伝達の重要性が減少する訳でないのですが。この変化の無い様子のみを見ると、見落としがちですが、ブログは個人を組織の呪縛から開放し個性を尊重する社会・文化をつくるインパクトを持っています。

雑な言い方をすれば、組織より個人が優位な社会へ変質させます。いくつかのブログを見ますと個性豊かで独創性に富む見事なブログが輝いています。

@ブログ検索エンジンの重要性

現在、日本では1000万以上のブログがあると言われています。広い分野で独創的な内容が発表されています。しかしこれらのブログをどのように使って良いのか分からなくなります。美しい桃源郷の迷路へ入りこんだようで何がなにやら分からなくなります。

そもそも何のためにブログをしているのでしょう?その個人的効果や社会的効果は何でしょうか?どのうような目的で検索するのでしょうか?

ブログをする動機別によって検索をしやすいように分類するのも良いでしょう。

またどんな目的で検索するのか?検索の動機別の分類があっても良いのではないでしょうか?

ブログをしたお陰で得られた効果ー個人にとってと社会にとってーなどを調査するためのブログがあるのでしょうか?当然すでにあると思いますがそのブログはどうして発見し、それに自分の意見を発表できるのでしょうか?

個性輝く多くのブログは美しい万華鏡のように楽しいのですが、「それで何の役に立つのでしょうか?」という疑問に捉われています。始めて間もない初心者の持つつまらない疑問でしょうか? 答えてくれるのは検索エンジンの改良と充実なのでしょうか?(続く)


額賀さん頑張れ!

2007年11月17日 | 社会・経済

越前蕎麦を食べに行く車の中で額賀さんの話になった。政治家と付き合いはないが数年前、額賀さんが無役で暇のころある団体旅行で北京とインドネシアへ行った。額賀さんの講演はアジアと日本の将来のかかわり方を思慮深く丁寧に自分の頭で考え見事なまでに体系化された構想である。あまりにも感動したので講演後少し話をした。実に気さくで初対面の小生の目をしっかりと見ながら「構想が立派でも政治の現場はなかなか難しいものですよ」と言っていた。越前蕎麦までの車の中でこの話をしたら隣のI氏も目を輝かせて「そうです。彼は人間として素晴らしい。お酒を一緒したら何度も丁寧に注いでくれた。決して威張らないで庶民とまったく同じ感じで相手の話を聞いてくれる。あんな政治家には会ったことが無い」と絶賛する。茨城出身の田舎風な容貌で女性には人気が無い。しかし家内は美男子ではないが人間の品性は良いのがよく分かる顔だと褒める。

今回は山田洋行との関連で大変なようだが額賀さん、頑張って下さい!