@ドイツ文化の暗さとシュツットガルト
ドイツ南部シュツットガルト市ではモーツアルトシュトラーセに住んでいた。昔からの音楽の町なので、多くの日本人が音楽留学をしている。オペラでも観に行こうと、研究所のドイツ人に聞いた。
「ドイツを代表するオペラは?」「ベートーベンのレオノーレ」「日本でドイツオペラと言えば、モーツアルトの魔笛、フィガロの結婚、ワーグナーのタンホイザー、さまよえるオランダ人、ニュルンベルグのマイスタージンガーなどだが?」「モーツアルトはドイツ人でない。レオノーレがドイツオペラの代表作」と言い切る。
レオノーレはベートーベンが作曲した唯一のオペラ。1805年にウイーンで初演され、その後フィデリオと改題された。日本ではめったに公演されない。
シュツットガルトでフィデリオを観たのは1969年の冬だった。話は比較的単純で、正義派政治家の夫が政敵の悪代官に捕まり、悪代官が所長を兼ねる刑務所に拘留される。妻のレオノーレが男装しフィデリオと名乗って刑務所に入り込み、中で働くことに成功。後に善い大臣の助けで夫が釈放され、めでたしめでたしの二幕オペラ。
場面はすべて暗く、陰惨な地下独房や刑務所の内庭。暗さの中にほのかに見えるソプラノ歌手の顔の輝き、男装の帽子を取った瞬間流れ出す金髪、囚われた夫のシルエットと力強いバリトンの響き。紆余(うよ)曲折があり、解放後の自由賛歌で終幕。すべては暗さゆえの美しさである。オペラハウスではいつもこの演目が出ており、私は3回も行ってしまった。
@ドイツ文化の基調旋律は暗さ
1969年ごろ、日本の家庭では蛍光灯が普及し、明るい室内で快適な生活をしていた。ドイツへ行ってみると家の中がほの暗い。「どうして安くて明るい蛍光灯を使わないの?」「蛍光灯は工場の照明器具であり、家庭では絶対に使わない。暗い方がよい」と断固として言い放つ。
ボン市のベートーベンの家に入ると、部屋の粗末さ、暗さ、寒さに驚く。当時は皆そんな生活と言ってしまえばそれまでだが、それにしても屋根裏のような作曲部屋の暗さは尋常ではない。耳が次第に遠くなり、作曲した曲をピアノで聴くために耳にあてがうラッパ型の金属製補聴器が次第に大きくなる。大きさの違うものがいくつも展示してある。そんな補聴器を説明する老婆のしわがれた声が部屋を一層暗くする。
ドイツの空の暗さ、黒い雲の低さ、凍てつく寒さは十月から四月まで続く。「麗しの五月」という言葉があるように、ブナの林が一斉に新緑に変わるころの空気の甘さはドイツの冬を越した者にしか分からない。
ドイツの文学も絵画も音楽も暗さを基調にし、暗さの中のほのかな輝きの中に人間の美しさを描き出そうとしている。その味わいが少しでも分かると、フィデリオがドイツを代表するオペラと理解できる。帰国後あるオペラ通にレオノーレのことを話したところ、「あれはオペラとしては失敗作です。日本ではあまり公演されません。」
あの暗い冬を日本に持ってくるわけにはいかない。
文化の一部だけを輸入する難しさは明治維新以来の課題である。しばしば不可能な場合もある。フィデリオを日本で公演することの虚しさ。(この項の終わり)