@男のネクタイを嫌う国、好きな国
◎アメリカの観光地はノーネクタイ
ネクタイをして行ったために、ひどい目に遭った話。1978年、ラスベガス郊外のタホー湖のほとりで国際研究会があった。終了後、航空便の都合で一日の空きができ、観光地を回る団体旅行のバスにネクタイを締めて飛び乗った。満員の同行者は皆柄物シャツ姿のアメリカ人ばかり。私だけ背広・ネクタイ姿。冷ややかな視線を受け、差別とはこんなものかと感じた。当時の日本では背広、ネクタイ以外は着ない人が多かった。
日本男児、ここで弱気など見せられるか。昼食に寄ったログハウスのレストランには「ネクタイを締めていたら取り上げる!」と大きな看板が掲げられ、高い天井から数千本の古いネクタイがブラ下がっている。ウエイトレスが怖い顔で注文を取りに来た。「ネクタイを出しなさい。それと何を注文しますか?」「アメリカには服装の自由があるはずだ。ハンバーグを一つ」
後で考えれば、ヤボな返事をしてしまった。注文した昼食がいつまでも来ない。団体客、運転手のすべてが食べ終わっても来ない。皆「ザマ見ろ」と皮肉な笑いでチラチラ見ている。ここで負けたら男がすたる。昼食を抜く腹を決めたら、やっとハンバーグが出てきた。食べ終わるのを待って運転手が出発!と大きな声を出す。後で考えると、自分のエゴに拘泥し反抗した自分が小物で情けない。
@男はネクタイをして散歩するドイツ
ドイツ人は散歩をシュパツェーレンと言って、冬でも暗いモミの林を家族と静かに歩く。地味な背広にチョッキをつけ、必ずネクタイをする。憂鬱そうな顔をしてモミの木の精と話し合うようにして歩く。週末は黒い森へ散歩に行くと研究所の同僚に言うと、「散歩こそドイツの伝統。背広を着てネクタイを締めるのを忘れないように」。
ドイツ人は家の中でくつろいでいる時でも背広・ネクタイ姿である。ドイツに限らず、ヨーロッパではどこへ観光旅行に行く場合でも、背広・ネクタイ姿だった。気のせいかホテルやレストランでの対応が慇懃(いんぎん)になる。少なくとも軽蔑的な視線は感じない。
このようなヨーロッパ人の伝統的服装に固執する人間をアメリカ人は憎む。伝統にこだわり、どんな問題でも伝統にのっとり解決しようとする因習的文化を憎む。アメリカ人はヨーロッパ人の昔の貴族を大切にする風潮に反発し、階級制度的考えを憎む。
ドイツでは「もと貴族の家系」は貧しくても尊敬され、インテリ階級が厳然として存在する。少なくとも1970年にはそうだった。研究所の同僚のインテリ階級の自宅にはテレビがない。週刊誌は見ない。街のお祭りや夜店へ子供を連れて行かない。小学生の娘が理髪店の娘とお祭へ行った話をしたとき、研究所のドイツ人が顔を曇らせて「ドイツのインテリの家庭ではそんなことはしない。フォルクスフェスト(お祭り)へはインテリ階級は参加しない」と言う。
帰国後、ドイツのインテリのまねをして週刊誌は読まない、テレビを置かない、部屋は暗い照明という生活をしていた。日本では無駄な努力。子供はテレビのある友人の家へ行く。暗い照明は目を悪くするだけ。ネクタイを憎むアメリカ人の気持ちの方がよいのかも知れない。しかし、伝統文化は育たない。日本はどうしたらよいのだろうか。(この項の終わり)