後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

紅葉の武蔵野公園と野川公園の散策ルート(3)

2007年12月05日 | 写真

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武蔵野公園の東端の野川には二枚橋という橋がかかっています。昔は近隣の農家の廃馬の捨て場であっという言い伝えがあります。この二枚橋の東側は同じ都立公園の野川公園になっています。野川に沿ってさらに下流方向、すなわち東の方向へ歩きます。左手の崖線斜面の樹木の紅葉も良いです。野川公園の東端に近ずいたら右へ、南方向へまがり広場を横切って、東八道路の上をまたぐ大きな歩道橋を南方向へ渡ります。そこがまた広大な芝生になっていて巨大な広葉樹があります。野川公園の南西の端からでると西武多摩川線の「たま」駅へ出ます。そこから多摩川線の終点のJR武蔵境駅へ帰ります。散策の距離が歩くルートにもよりますが2、3Kmはあるので武蔵野公園の西端からは1時間以上かかると思います。小金井駅から「たま」駅までは3時間くらいとってゆっくり散策するのがベストではないかと思います。ここには4枚の写真を添付します。

順に、野川公園の紅葉の写真2枚、歩道橋で越える東八道路の紅葉、そして帰りに乗る西武多摩川線の電車の写真です。

散策ルートは勿論上記の逆でも結構ですし、時間の余裕が無ければ途中から出発駅へ引き返しても結構です。尚、車の有料駐車場は両方の公園にあります。

武蔵野公園、野川公園、はけの森美術館の詳細な案内はYahoo検索へ名前通り入れて検索すると出てきます。(終わり)


紅葉の武蔵野公園と野川公園の散策ルート(2)

2007年12月05日 | 写真

武蔵野公園の西端に出たら、野川の下流方向、東方向へ自由に歩いて行きましょう。

北側には国分寺崖線の延長の崖線が高く盛り上がっていて、その南斜面の大きな樹木群の紅葉も見事です。2枚の写真を添付します。Photo_10 Photo_11


紅葉の武蔵野公園、野川公園の散策ルート(1)

2007年12月05日 | 写真

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Yahooの地図の検索で東京都、小金井市の地図を出してJR小金井駅の南口から南東の方角を見る。そこには広大な都立武蔵野公園と都立野川公園が隣接して広がっている。現在は紅葉が綺麗なので2、3時間の散策ルートをご紹介したい。

小金井駅南口から小金井街道を南下し、前原坂上交差点をまっすぐ通りこして200メートルくらい歩くと左へ、金蔵院へ下る車道がある。金蔵院の境内を散策し、山門前の道を東へ歩く。小金井市立第二中学校の北側を通りしばらくまっすぐ行くと左にもと中村研一美術館で現在は小金井市美術館になっている「はけの森美術館」がある。展示を見て、そのうしろのコーヒー店、オーブン・ミトンでひと休みをする。敷地も美術の森という小金井市の公園になっている。一休みのあとはコーヒー店の入り口の反対側にある「はけの小路」に入る。この道はいきなり住宅地に出て終わるが、かまわず左にまがり右方向へ曲がれる道を見つけたら右へまがり野川の遊歩道にでる。野川の遊歩道を下流方向へ200メートルほど歩くといきなり視界が開けて武蔵野公園へでる。

小金井駅からここまで約1Kmくらい。金蔵院やはけの森美術館、カフェ・オーブンミトンなどに寄りながら1時間くらいかけるのが良いようである。下の4枚の写真は順に、「金蔵院の境内の紅葉」、「はけの森美術館の建物」、「美術の森公園の紅葉」そして「はけの小路への入り口」の写真です。


岩魚と虹鱒のいる小川

2007年12月05日 | 写真

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人里はなれた淋しい山林の中にある小屋の前を流れる清流です。年中澄んだ水が小さなゴボゴボという低音を林にこだまさせて流れています。岩魚と虹鱒が棲んでいます。ただいつも見ることは出来ません。上流や下流へ行ったり来たりしているらしく、10回行って2回ぐらいしか見ることが出来ません。見えたときは感動して2、3日幸福感が続きます。今年の秋に堰を高くつくり魚道もつけました。近くの別荘の方が魚道の上に2匹の虹鱒を見たとメールを下さいました。まあ、それだけの話ですが、、、


amyさんへ感謝!

2007年12月05日 | 日記・エッセイ・コラム

下に転載したようなコメントを頂きました。

とても嬉しく思いました。有難うございます。藤山杜人

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投稿されたコメント
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名前:amy
IP:124.99.232.245

コメントの内容
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Re.ブログを読んで下さった方々へ感謝!

こちらこそ、すてきなプログを読ませていただき有難うございます。


外国体験のいろいろ(20)

2007年12月05日 | 旅行記

@男のネクタイを嫌う国、好きな国  

     ◎アメリカの観光地はノーネクタイ

ネクタイをして行ったために、ひどい目に遭った話。1978年、ラスベガス郊外のタホー湖のほとりで国際研究会があった。終了後、航空便の都合で一日の空きができ、観光地を回る団体旅行のバスにネクタイを締めて飛び乗った。満員の同行者は皆柄物シャツ姿のアメリカ人ばかり。私だけ背広・ネクタイ姿。冷ややかな視線を受け、差別とはこんなものかと感じた。当時の日本では背広、ネクタイ以外は着ない人が多かった。

日本男児、ここで弱気など見せられるか。昼食に寄ったログハウスのレストランには「ネクタイを締めていたら取り上げる!」と大きな看板が掲げられ、高い天井から数千本の古いネクタイがブラ下がっている。ウエイトレスが怖い顔で注文を取りに来た。「ネクタイを出しなさい。それと何を注文しますか?」「アメリカには服装の自由があるはずだ。ハンバーグを一つ」

後で考えれば、ヤボな返事をしてしまった。注文した昼食がいつまでも来ない。団体客、運転手のすべてが食べ終わっても来ない。皆「ザマ見ろ」と皮肉な笑いでチラチラ見ている。ここで負けたら男がすたる。昼食を抜く腹を決めたら、やっとハンバーグが出てきた。食べ終わるのを待って運転手が出発!と大きな声を出す。後で考えると、自分のエゴに拘泥し反抗した自分が小物で情けない。

@男はネクタイをして散歩するドイツ

ドイツ人は散歩をシュパツェーレンと言って、冬でも暗いモミの林を家族と静かに歩く。地味な背広にチョッキをつけ、必ずネクタイをする。憂鬱そうな顔をしてモミの木の精と話し合うようにして歩く。週末は黒い森へ散歩に行くと研究所の同僚に言うと、「散歩こそドイツの伝統。背広を着てネクタイを締めるのを忘れないように」。

ドイツ人は家の中でくつろいでいる時でも背広・ネクタイ姿である。ドイツに限らず、ヨーロッパではどこへ観光旅行に行く場合でも、背広・ネクタイ姿だった。気のせいかホテルやレストランでの対応が慇懃(いんぎん)になる。少なくとも軽蔑的な視線は感じない。

このようなヨーロッパ人の伝統的服装に固執する人間をアメリカ人は憎む。伝統にこだわり、どんな問題でも伝統にのっとり解決しようとする因習的文化を憎む。アメリカ人はヨーロッパ人の昔の貴族を大切にする風潮に反発し、階級制度的考えを憎む。

ドイツでは「もと貴族の家系」は貧しくても尊敬され、インテリ階級が厳然として存在する。少なくとも1970年にはそうだった。研究所の同僚のインテリ階級の自宅にはテレビがない。週刊誌は見ない。街のお祭りや夜店へ子供を連れて行かない。小学生の娘が理髪店の娘とお祭へ行った話をしたとき、研究所のドイツ人が顔を曇らせて「ドイツのインテリの家庭ではそんなことはしない。フォルクスフェスト(お祭り)へはインテリ階級は参加しない」と言う。

帰国後、ドイツのインテリのまねをして週刊誌は読まない、テレビを置かない、部屋は暗い照明という生活をしていた。日本では無駄な努力。子供はテレビのある友人の家へ行く。暗い照明は目を悪くするだけ。ネクタイを憎むアメリカ人の気持ちの方がよいのかも知れない。しかし、伝統文化は育たない。日本はどうしたらよいのだろうか。(この項の終わり)