@なぜ山林の中に小屋を作るのか?
人間関係に疲れて独りになりたいと思う時がありませんか?そんな時は帰りに一杯飲むのも良いでしょう。音楽会へ行くのも良いでしょう。好きな絵のある美術館へ行って一人で見てまわるのも良いでしょう。それでまた働く元気がでて仕事へ出て行きます。でもあまり遠方でない山林のなかに小屋を作り週末には独りで泊まりに行く。そんな人生もあっても良いかも知れません。
それには手ごろな金額の山林を100坪ほど買いましょう。
軽井沢や富士五湖周辺に別荘を購入する。そんな大げさなものではありません。子供の教育費のあまりで、少しずつ作って行く。始めは電気ガス水道など無くとも良い。東京から2、3時間で気軽に行けるところが良い。
そんな考えで1973年に甲州の駒ケ岳山麓の山林の中に小屋を作りました。
そんな小屋の様子を先日発表のフオトアルバム「山林の中の小屋」にしました。
30年以上、週末にはよく通ったものです。そこに泊まって白樺湖へスキーやスケートへ行ったり、諏訪湖や奈良井の宿場町へ観光に行きました。甲斐駒、八ヶ岳、鳳凰三山へも登りました。
老境に入った今、こんな趣味の小屋を若い人へも薦めてみたいと思う。そこで昨日、現地の相川光雄さんを訪ねてみました。
「小屋を作るに良い山林で坪1万円くらいの物件がありますか?」「勿論有りますよ。時間があったらご案内しましょう」ここに2枚の写真を示します。
この写真の付近の山林なら坪1万円でいくらでも有るそうです。二枚目の写真は一例として建物だけで290万円くらいの別荘だそうです。山林の場所の選びか方は次回に書く予定です。
相川さんは八ヶ岳、南アルプスなどの別荘の開発を30年してこられました。
(株)里山ライフと検索すると楽しそうな、そして小生にとってはいささか高価な別荘の広告も多数でています。
相川さんは都会の人々に引っ越してこちらに住み着き農作業をして土地の人々と交流して貰いたいと情熱的に話します。私は「そうじゃないです。人間関係に疲かれた人が静かに山林に泊まる、そんな小屋です。別荘とは違います。農作業は嫌い。土地の人と付き合う元気も無い。そんな人も居ると思いますよ」しばらくして相川さんは小生の言うことを分かってくれた。
この相川さんは非常に興味深い個性を持っているようなので今後もこのブログでご紹介したいと思う。今回は坪1万円くらいの山林はいくらでも有りますという情報提供で終わりとします。(続く)
◎自己紹介の国アメリカ
1960年、フルブライト留学生としてアメリカの土を踏んだ。敗戦で疲弊しきった日本から行くと、当時のアメリカはハイウエイを大型乗用車が走り、広大なスーパーマッケットにはぜいたくな食品があふれんばかりに並んでいる。当時、日本には高速道路もスーパーマーケットもファミリーレストランも無かった。
オハイオのコロンバス市に住み、最低の貧乏生活。車を買うまで家内はスーパーへ歩いて行った。帰りに大きな紙袋を抱えて歩いていると、アメリカ人がスウーと車を寄せ荷物ごと家まで送ってくれる。道ですれ違うときには、見知らぬ人でも微笑んで「ハーイ!」とあいさつをする。ベトナム戦争前のアメリカは、社会全体が礼儀正しく親切で、この世の天国のようだった。
アメリカ人は初対面ですぐに自己紹介する。「私をジョージと呼んでくれ」とか「私はメアリーです」とか。先に自己紹介した方が礼儀正しい。
@自己紹介を嫌うヨーロッパ
一方で自己紹介を忌み嫌う国もある。自己宣伝になるから嫌われるのではない。伝統的な文化を破壊するので嫌がられる。人と人が信頼できる関係を築くには立派な紹介者が必要であり、安直な自己紹介から始めてはいけないという文化を有する国である。
1969年、フンボルト研究留学制度でドイツに行った。航空会社の都合で急にパリ空港に寄り、二時間後にドイツに向けに出発するという。空港ビルのレストランで皆が相席で昼食を取ることになった。回りを囲んで座ったのは背広姿の中年のフランス人4人。
フランス語でしきりにしゃべっている。私の存在を完全に無視している。自己紹介をしなければと、「東京から来たフジヤマという者です」。4人はぴたりと話を止め、冷たい視線でチラと見て何を言わない。あとは最後までそっぽを向いて仲間同士でしゃべり合う。こちらを見ないように、視線の動かし方に苦心している。
ドイツでも同じ目に会う。列車の一等コンパートメントへ乗ったら、黒っぽい上等な背広を着た白髪の紳士が座っている。慇懃(いんぎん)に「東京から来た者です。フジヤマと申します」と自己紹介するが、一瞬こちらを見るだけで返事をしない。握手をしようと差し出した自分の手が宙に浮く。彼は窓の方を凝視して微動だにしない。
こんな場面で日本ではどうか。アメリカの習慣でつい自己紹介をする。相手はニッコリしてくれるが、名乗らない。名乗るほどの者ではありません。名乗ると後々煩わしいことになる。名乗るのは、日本の伝統では合戦で切り合う場合など特殊な場合のみである。その他の場合は紹介者が必要である。
@名刺が主流―日本
最近、異業種交流会などで立食パーテーがあるが、その場合は自己紹介が歓迎される。インターネットのチャタリングでは自己紹介のような情報が交換されている。会社で働いている人々は名刺交換が必須で、自己紹介の代わりをしている。それでもアメリカ流の自己紹介は今でもなじまない。
その逆もある。アメリカから来るビジネスマンは日本語の名刺を二箱も持って来る。帰るころになって「名刺をいっぱい持ってきたが、一枚も使えなかった。出すタイミングが難しい。始めに早く出すのが日本の礼儀と聞いて、会社に着いたときいきなり日本語の名刺を出したら、すごく冷たい目で見られ震え上がった」。
彼はそれ以来名刺恐怖症になり、一枚も出せなくなった。たかが名刺といえども、出すタイミングとしぐさ、添える言葉の調和がないと、日本人は冷たい視線になるらしい。洋の東西を問わず、自己紹介は難しい。
仕損じると背筋の凍る思いをするものである。