子供の頃の仙台の愛宕神社の思い出。市街地の南、広瀬川の崖が盛り上がって小高い山になっている。頂上に愛宕神社と虚空蔵堂がある。毎日、朝の5時、夕方の5時に虚空蔵堂の鐘が鳴る。保存緑地なのか、あれから70年にもなる現在も、大木に覆われ緑豊かな愛宕山が新幹線の車窓から見える。
お正月には雪深い階段を登って元朝参りをした。手足が凍えて辛い思いをしたが、厳しかった父が喜ぶので必ず行くことにしていた。父は兵庫県の田舎のお寺の出で、祖父が住職をしていた。その父が、「神社やお寺にいったら少なくてもよいから必ずお賽銭を上げるものだよ」と言っていた。いくら小さなお賽銭でも参詣する人が多いと大きな金額になるのだよ、それに神社やお寺の人にとっては参詣した人の拝む気持ちが分かって嬉しいものだよ、とも教えてくれた。
父は分析化学の研究者として毎晩書斎でタイプを叩きながら論文を書いていた。厳しい父親で子供とは滅多に会話をしない。そんな父が本気で話しかけたのだ。
これが遺言のように心に残り、一生の間、お賽銭を上げてきた。通りがかった村の神社で、ふらりと寄ったお寺で、その上、ヨーロッパの田舎の教会で、とにかくささやかな賽銭を上げてきた。
現在住んでいる土地にも神社やお寺が数多くある。季節の良いころには散歩をしたり、子供や孫をつれて遊ばせたりしている。お正月になると一年間お世話になったお礼の意味も込めてお賽銭をあげに行く。これを「元朝参り」という。
今年は拙いブログをお読み頂いた方々のご健康と幸多きこともお祈りして来たいと思う。
どうぞ来年もよろしくお願い申し上げます。 藤山杜人