後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

フォトアルバム、「中古ヨットの見分け方写真集」へ写真を追加しました

2008年12月09日 | 写真

フォトアルバム、「中古ヨットの見分け方写真集」へ写真を4枚追加しました。12月3日に舵を縛りつけても帆走できるか試して見たときの悪戦苦闘の写真です。やはり舵が故障したら帆だけでの帰港はかなり困難なことが分かりました。メインセールがジブに比較して大きすぎるので、メインのウエザーヘルムが強力に作用して進路が決まりませんでした。(終わり)


天気が悪く暗い日は青空の写真をどうぞ!

2008年12月09日 | 写真

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今日の東京は天気予報通り、お昼ころから黒雲が空を覆い、冷たい雨が激しく降っています。憂鬱な気持ちになります。

こんな時には青空の写真を見ます。

抜けるような10月7日の霞ヶ浦の青空です。

さて、ここに写っているものは何でしょう? 

(答えはこの記事のコメント欄にあります。) (終わり)


お茶の水のニコライ堂の写真

2008年12月09日 | 写真

明治17年竣工したニコライ堂はまる7年の歳月ののち完成しました。ロシアから来た使途ニコライが、ロシア人の設計、イギリス人の工事監督で作り上げたのです。

現在のイスラエル近辺でナザレの大工の息子のイエスがキリスト教を説いてから2000年になります。当時はローマ領であったガリラヤ湖近辺から、その教はローマやギリシャへ伝わり、やがてビザンチンへ。そして黒海を渡ってロシアに信仰がひろまりました。この経路で発達したキリスト教をギリシャ正教や東方正教、あるいはロシア正教と呼びますが、全て同じ宗派です。これに対して西ヨーロッパ諸国へ伝わったのがカトリック教や各国独自のキリスト教になりました。しかしその後の宗教改革で刷新され、多くの新しい宗派ができました。それらを総称してプロテスタントと呼びます。その他にエチオピアへ伝わったキリスト教はコプト教といいます。

日本へは1549年にザビエルが伝えたカトリック教、そして明治維新以後にプロテスタント諸宗派が伝わりました。欧米宣教師に混じって、少数ながらロシア人宣教師も来るようになりました。

ロシア正教はお茶の水のニコライ堂を中心にして主に、仙台や函館のような北日本において信仰されています。しかし全国にロシア正教の組織が出来ています。

先日、お茶の水のニコライ堂のそばを通りましたので写真を撮ってきました。撮影日時は12月8日午前12時頃でした。(終わり)

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日光の魅力(3)輪王寺の大猷院(家光公廟)

2008年12月09日 | 写真

a日光観光の普通のコースでは、宇都宮から日光市に入り、まず東照宮を見ます。次は、いろは坂を登り、華厳の滝を見ます。そのあとは中禅寺湖へ行って遊覧船に乗り、帰ってしまいます。時間に余裕があれば中禅寺湖から龍頭の滝を見、湯の湖へ行き、湯元温泉や湖の周囲を散策します。したがって東照宮だけが思い出に残ります。

しかし東照宮の隣の輪王寺大猷院(家光公廟)は見落とさないほうが良いかも知れません。輪王寺にある重要文化財で、奥の方にあります。(http://www.rinnoji.or.jp/keidai/taiyuin/oku.html )

家康公の廟所として豪華な東照宮を建てた三代将軍の家光の廟所です。東照宮ほど規模壮大ではありませんが贅を尽くした極彩色の飾り彫刻や大きな金属製の灯篭などが有ります。しかし予算があまり無いのか彼方此方が傷んでいます。豪華な山門の右半分が傾いて、つっかえ棒が数本、右側の軒を支えています。そんな風情が「人の世のはかなさ」を感じさせます。隣の東照宮は国宝で、いつでも人々が群がっている。でもそれを作ったひとの廟は人影が無く閑散としている。入場料収入も少ないので修理もままならない。日光見物の人々は足早に華厳の滝や中禅寺湖へ去って行く。どうしてそんなに急ぐのでしょうか?

大猷院の入口には、輪王寺の常行堂と法華堂の二つの御堂が清楚な姿で森の囲まれています。静かに散策できる地域です。日光の魅力の一つは東照宮のような華やかのものの側に心静かに散策しながら見てたのしめる御堂や廟が幾つもあることのように思います。(続く)

撮影日時:11月30日午前11時頃。撮影者:Mrs.藤山

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