以下は毎日新聞記者でいらした銭本三千年(本名で、ぜにもと みちとし)氏のブログの文章です。お許しを得て何回かに分けて連載いたしています。
★人間、誰しも弱い存在です。神の僕(しもべ)も聖書を引用した”詭弁”で信徒を過ちに導きました。私は、当時の牧師たちを弾劾する気持ちは毛頭、ありません。聖書によればキリスト受難の時、弟子の最高位にあったペテロですら師を3度、否みました。
★何時の時代でも、信仰者も揺らぎ、世俗の権力と妥協することはあるのです。日本で起こった国家と教会の政治的妥協を検証する一つの範例がここにあります。是非、みなさまに読んでいただきたい歴史文書です。ここに公開する由縁です。
★この恥ずべき教団は、敗戦とともに解散されるべきでありました。日本基督教団がそのまま戦後も生き続けたのは占領軍の庇護があったからに他ありません。1945年8月15日に大変節し、今や、ファッション宗教化し、神の名を商標にブライダル・ビジネスに走っている堕落ぶりを許せない気持ちを、私は持ち続けています。
★世がどのように移り変わろうと、時の権力と妥協し、時流に乗る、このようなファッション的宗教教団に若者が集まることが心配でなりません。20世紀後半の半世紀、日本を風靡した”キリスト教ブーム”は悪しきアメリカ風の典型というべき軽薄な世相を生み出しました。
★それにしても・・・・”全知全能・唯一無二の神”は、何故、いつも信徒最大の試練の時に沈黙するのか? 十字軍の昔から同じ信仰の諸民族がそれぞれ別の神意を掲げて相争い、殺し合ってきました。
★それは現在まで続き、現にイラン・イラク、パキスタン・アフガニスタン戦争を混迷に導いています。私たち日本人信徒は広島・長崎に原爆投下の任務を負った兵士たちをテニアン基地の従軍牧師が神の祝福を授けた光景の記録写真を忘れません。神の代理人は、女、子ども、老人を含む非戦闘員を大量虐殺に向かう兵士にどんな祝福をしたのでしょう?
★「汝、殺すなかれ」はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の共通聖典の根本義とされる十戒の一つです。それを信ずる者たちが相互に殺し合う時、それを授けた神は、なぜ、沈黙するのでしょう。
★不可解なそのワケは多分・・・ニーチェも言った通り、「神は既に死んだ」のです。
事実、私は神の面影に自我の理想像を置いていたことに気づきました。神はいない。目覚めた今、一神教はもはや私には無縁です。 今、在る「神」は、邪な人間が世俗権力に迎合するため創造した”模造神” レプリカでしかありません。ファッション宗教に心を奪われてはなりません。
★キリスト教については、私は、二つのことを問い続けております。
第一は、世界に軍隊を派兵しているアメリカ軍には必ず従軍教会と従軍牧師が”装備”されています。そして出撃に当たり、牧師は必ず祝福を与えます。殺しを任務に出撃する兵士に神の代理人は一体、何を祈り、祝福するのか?
★ テニアン基地から広島に原爆を落とした爆撃機・エノラ・ゲイの乗組員に祝福を与えている写真を見て、未だ若かった私は、棄教を決意しました。十字軍の昔から”殺し”を神の名において義とする詭弁を今も続けるこの宗教とは何でしょう?
★ 特に「日本基督教団」という宗教団体は、世界のキリスト教の中でも特異な存在です。それは、旧大日本帝国の「八紘一宇」の侵略戦争に翼賛するため、当時の国内プロテスタント系キリスト教会を合同して結成した”軍事装置”の一つです。靖国神社と同じく、「軍事施設」であったのです。この新教団の元、多くの青年信者は「靖国で会おう」を合い言葉に戦場に向かいました。
★ 「日本基督教団」は、終戦と同時に解体されるべきでありました。それは、自ら発した「「公同的使徒的書簡」にはっきり明記されているように、戦争翼賛のために各派が大同団結し、樹立した新教会。つまり聖戦貫徹のための戦争装置であったのです。
★ 敗戦の一億総懺悔で、当然、解体され、各派聖職者と信徒は、それぞれの母教会に復帰の許しを請う手続きを取るべきでありました。キリストに背き、過ちを犯したと真に反省するならば、当然、取られるべき信仰者の懺悔でなければなりません。
★ しかし、聖職指導者はそれをせず、マッカーサー軍政の保護の元、キリスト教宣布の役を担って温存されました。新たな過ちを犯しました。そして今、時流に乗って、この教会の多くは、ブライダル・ビジネスに走り、牧師の多くは巨額の”司式料”を稼いでいます。信者でもない”出来ちゃった婚”の何を神の名において祝福しているのか?
★ イエス・キリストは、エルサレム神殿で商売する人々を「蝮の末裔」と口を極めて批判し、その商人の台座を覆された。”聖職”者たるもの、何よりもまず、自らを省み、その故事に目を止めるべきでありましょう。ともかく「日本基督教団」は、戦争の時代も、戦後の時代も、そして現代も、時流に乗る術に長けた詭弁の宗教、と、私は、断じております。
【お断り】
この一文は、第二次世界大戦の最中に、この戦いをキリスト教の聖戦として「八紘一宇」を唱道し、戦争翼賛のために結集した”聖戦”装置としての「日本基督教団」を取り扱っております。
これに加入を拒否したカトリックや、他の多くのプロテスタント宗派、独立教会などは全く関係ありません。これらの宗教にたいしましては、 私は敬意を持ち続けております。
誤解のないよう念のため申し添えます。
by | 2005-08-03 00:00 | 戦争秘話:平和への戒め