日光と言えば、東照宮、華厳の滝、中禅寺湖、龍頭の滝、奥日光の湯の湖、戦場ヶ原、金精峠、日光白根山、などと色々なところを思い出します。一言でいえばスケールの大きい景観の中に滝や湖が散在し神社仏閣もあり独特な魅力を持った場所です。
若い頃からドライブが好きで、群馬の沼田から丸沼、金精峠を超えて日光へ裏から入るドライブコースが気に入り、何度も遊びに行きました。しかし普通の観光コースは逆に宇都宮から日光駅へ入り、輪王寺や東照宮を訪れ、それから「いろは坂」をバスで登り、華厳の滝や中禅寺湖をおとずれます。今回始める「日光の魅力」シリーズではこの普通の観光コースに沿って印象深かったところを何回かに分けて書いてみようと思います。見落としているところも多く、とても総合的な観光案内書にはなりませんが多少なりともご参考になれば幸いです。
JR日光駅や東武鉄道の日光駅に着くと町並みが山の方向に続きます。その西端の左手に老舗の「金谷ホテル」があり、その下の川には重要文化財の神橋がかかっていて、川を渡ると輪王寺の寺領が広がりその中に大猷院(家光公の廟)http://www.rinnoji.or.jp/keidai/taiyuin/oku.html があり、隣に東照宮や二荒山神社があります。下の写真は上から順に金谷ホテル、神橋、輪王寺の本堂(三仏堂)です。
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日光と言えば輪王寺を省略して東照宮のみ見ることが多いです。しかし四本龍寺が奈良時代に作られたおかげで東照宮も後の世に作られたのです。そこで今回は輪王寺の紹介から始めました。なお金谷ホテルは箱根の宮の下の冨士屋ホテル、河口湖の富士ビューホテル、軽井沢の万平ホテルなどと同じような昔のホテルなので、古いホテルのお好きな方にお薦めのホテルです。
(終わり)
補足:輪王寺の歴史をhttp://www.rinnoji.or.jp/から引用いたします。
「日光の今昔 」
明治の頃から日光は輪王寺・東照宮・二荒山神社の三カ所が参詣所とされ、それぞれの境内は、いつも賑わっています。しかし、それ以前は「日光山」としてひとつに包括された関東の一大霊山だったのです。
奈良時代の末、勝道上人によって日光山は開かれました。四本龍寺が建てられ、日光(二荒)権現もまつられます。
鎌倉時代には将軍家の帰依著しく、鎌倉将軍の護持僧として仕える僧侶が輩出します。この頃には神仏習合が進展し、三山(男体山・女峰山・太郎山)三仏(千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音)山社(新宮・滝尾・本宮)を同一視する考えが整い、山岳修行修験道(山伏/やまぶし)が盛んになります。
室町時代には、所領十八万石、500におよぶ僧坊が建ちならび、その隆盛を極めます。
江戸時代、天海大僧正(慈眼大師/じげんだいし)が住職となり、山王一実神道(天台宗)の教えで「家康公」を東照大権現として日光山に迎えまつります。「輪王寺(りんのうじ)」の称号が天皇家から勅許され、さらに慈眼大師(天海大僧正)・三代将軍「家光」公が新たにまつられ、「日光門主」と呼ばれる輪王寺宮法親王(皇族出身の僧侶)が住し、宗門を管領することになりました。法親王は14代を数え、幕末に及びました。