その中には一度だけ会ったが印象が深い人もいる。そのような人に本田宗一郎さんがいる。強い個性とその元気さは今でも忘れられない。とにかく元気な方であった。昨年の12月に掲載した記事に事の顛末がある。
本田宗一郎さんのご冥福を祈りつつ以下に再度掲載いたします。
======2007年12月7日掲載記事の再掲載です======
◎米国で尊敬される本田宗一郎
1988年、オハイオ州立大学で働いていたとき、本田宗一郎氏がオハイオ・ホンダ工場を視察に来た。工場はフル操業しており地元経済は活況を呈していた。地方紙が一面トップで本田氏来訪を伝え、翌日の新聞には黒人の労働者と握手している写真が大きく出た。広大な工場を視察し、多くの労働者と親しく会話し、握手をしたと報じた。
アメリカの大企業幹部は工場労働者とは握手をしない。食堂もトイレも社員と労働者は別である。ところがホンダ工場は一緒。本田氏は「自由と平等」をホンダ工場の中で徹底した英雄といえる。
よく知られているように、本田氏は小さなオートバイ工場を出発点にして、世界中に乗用車製造工場を建設した。この話はアメリカ人の好むアメリカン・ドリームの物語である。飾らない開放的な人柄も手伝って、多くのアメリカ人に尊敬されている。
@面白い体験
オハイオに住んでいると、日本人という理由で親切にされる。ホンダ工場のおかげである。近所のガソリンスタンドで車を修理してもらった。「日本人か?」と修理工。「そうだ」「ならホンダ工場の日本人に頼んで就職できるよう話をつないでくれない?」
ホンダ工場とは付き合いが無い。1週間後にホンダの採用窓口の電話番号を調べて教えたら、「有難う!忘れていなかったのが嬉しい」。アメリカ人に頼まれたらできる範囲のことをしてあげる。なぜそこまでしかできなかったのかを説明する。
学科の同僚教授へ呼び掛けてホンダ工場を見学に行った。緑輝く牧場に囲まれた工場は隅々まで清潔で、労働者は色々な人種が混じっている。組み立てラインでキビキビと正確に部品を取り付ける。こんなに楽しそうに働くアメリカ人の集団を見たことがない。一緒に行ったアメリカ人教授も皆この集団に圧倒されていた。
アメリカの頭痛の種はリンカーン大統領の昔から人種差別の問題。ホンダ工場では黒人も白人もアジア人も同じ組み立てラインに平等に働く。ラインはいつも動いており、チームワークが絶対に必要である。声を掛け合って部品の取り付けが遅れたり不完全になったりしないようにする。
「黒人と白人が一緒に楽しく食卓を囲む日が必ずやって来る!」―暗殺された公民権運動の黒人リーダー、キング牧師の言葉を思い出す。ホンダの組み立てラインをキング牧師に見てもらいたかった。
@本田氏を訪問
その年の初冬、オハイオの恩師夫妻と東京駅八重洲口のホンダ会館へ本田氏を訪問した。目的はホンダ工場と大学との共同研究をお願いすることだった。本田氏は機嫌がよかった。戦前に芸者さんと飛行機に乗った話、初めてオートバイを作ったころの話、マン島レースでの優勝の話などを楽しそうに語ってくれた。
民間企業から研究費を貰う交渉に抜群の能力を発揮する恩師が本田氏の話をウットリして聞いている。上気して顔が赤くなり、尊敬の眼差しで本田氏の顔を見上げている。帰途、「終始黙っていましたね。研究費を貰う話はどうなったのですか?」と聞くと、「そんな話は出せなかった。お話を直接聞けたことが人生で二度とない貴重な体験だった」。
オハイオ州立大学のアメリカンフットボール競技場に立つ巨大な電光掲示板はオハイオ・ホンダの寄付と聞く。(終わり)