後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

夕日を浴びる鈴懸けの大木

2009年01月10日 | 写真

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近所を散歩していたらプラタナスの木の幹に夕日があたり白く輝いています。梢には鈴懸けの実が寒風にゆれていました。

急いで家内がカメラをとりに家に戻り、数枚撮影しました。お楽しみ頂ければ嬉しくおもいます。(終わり)


「ブログの普及は平等で自由な社会をつくる」(3)ブログやSNSの功罪

2009年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

新しい技術には完璧なものが無い。必ず危険が付きまとう。車の普及は生活を便利にするが毎年交通事故で死傷する人が多い。最近急速に発達したインターネット技術も例外ではない。使い方によって社会を良くもするし、悪くもする。

現代の技術の歴史を振りかえると、良い効果が悪い効果より大きい技術は広く普及し、改良を重ねながら何時までも使われる。

インターネット技術を使ったブログやSNSも使い方によって功罪の大小が分かれる。

今回の記事では功罪の比較検討をする。

前回の記事では先ずブログやSNSに参加している人々の種類を考えて見た。

時間的に余裕のある人々に限定されるが、参加している人々は完全に平等な立場に立っている。これが結論であった。

まずブログやSNSの良い効果を羅列すると、

(1)社会を「自由と平等にする可能性」を持っている。

(2)従来マスコミや出版社が独占していた情報発信の権利が個人へ平等に分与された。どんなに弱い個人でも自分の感情や作品を公開できるようになった。

(3)高齢者を含めて外出しにくい人々が社会的なつながりや種々の人々と友人になれる。

(4)遠方の外国に住んでいる人々とも友人になれる。外国の文化や宗教、そいて人々の生活感情に親近感をもてるようになる。

(5)職業や宗教の違う人々の交流が盛んになっり、教条主義的な狭量な考え方が弱くなる。年齢、性別、家族の有無に関係なく自由に話し合える。

その他にもいろいろ良い効果が考えられるが、ここで悪い効果も明記すべきである。

(1)従来の社会の秩序をあまりにも急速に壊す危険性がある。とくに政治家、官僚、新聞社やマスコミ、そして種々の業界の大会社の人々にとっては急速すぎる変化は不利益を招く。簡単に言ってしまえば社会の支配層はインターネット技術のもたらした価値観の急速な変化について行けず不利益を被る。

(2)このような恐れは引退した昔の支配層の人々も共有している。

(3)ブログやSNSは匿名性を基本にしているので無責任な発言がまま見られる。とくに世の中の良い習俗を破壊するような内容でも大いに歓迎される危険性がある。

(4)ブログやSNSに参加していると意外に時間をとられ読書の時間が無くなったり家族と話し合う時間が無くなる。

(5)ブログやSNSが数多くなりすぎ、お互いにゆっくり読む時間が無くなる。したがって内容が浅薄になり、人の目を引く写真やイラストが主になってしまう。内容の浅薄化がブログやSNSの社会的価値を低める可能性がある。

その他悪い効果はいろいろあります。

さて皆様は功罪の功と罪のどちらが大きいとお考えでしょうか?

その判断はご自分の職業や立場、そして家族関係、友人関係で違うのが当然と思います。

筆者の結論はいずれ書きますが、今回は申し上げません。(続く)