過激なイスラム主義者が2001年9月11日にニューヨークの貿易センタービルやワシントンDCにある国防省のペンタゴンを攻撃して以来、アフガン戦争やイラク戦争が起きた。この戦争の直接的な原因はアメリカの大規模な武力行使である。しかし、もう少し歴史的に考え、欧米によるイスラム諸国の植民地化が原因であるという説明がよくなされている。
筆者はイスラム国を訪問したことが無い。しかし以下の中国での話は、植民地支配への怨念の深さを示している。外国体験のいろいろ(10)の一部を抜粋して再録する。
@中国人の植民地主義への怨念
中国5000年の歴史で、西洋人に侵略され植民地になったことは歴史的大事件であり、その期間は清朝から1949年の共産国家成立までの約百年に及ぶ。北京の大学へ集中講義に行った際、親しくなった教授から「59年にソ連と中国が大喧嘩をした理由を知っていますか」と聞かれたことがある。「日本の新聞では、イデオロギー路線の論争でソ連が絶交して出て行ったことになっている」と私。
この教授は苦笑いして「イデオロギー論議なんて高尚な話ではない。ソ連の空軍と海軍が中国全土の空港と港湾を自由に使い、すべての軍事作戦の指揮権をソ連に与えよと要求したからである。簡単に言うと、中国全土がソ連の植民地になるということだ」「それは知らなかった」「毛沢東は断固拒絶した。ソ連は中国全土から引き揚げる時、無償供与した工業設備をネジ一本まで貨車に積んでシベリア鉄道で撤収した。私の大學でもすべての実験装置が持って行かれ、ガランとした建物だけが残った」。
昔、上海の英国租界の公園に「中国人と犬は入るべからず」という看板があった。この看板を中国人は今でも忘れない。靖国問題を非難する中国にはいろいろな理由がある。しかし、中国全土の国家重点工業特区に、欧米や日本の企業が立派な工場をつくった1990年ごろからこの問題が大きくなった。工業団地は周辺の貧しい農村とあまりにも違う。特区の恩恵にあずからない貧困農民には、工業特区がかつての外国租界や植民地と同じように見えるに違いない。
特に、内陸部の生活格差の不満を解消するには、日本のかつての軍国主義と植民地主義を攻撃しなければならない。欧米列国は租界をつくったが、広範に武力占領をしたのは日本のみである。1990年代に河北省の工業団地へ何度か行ったが、日本の工場進出歓迎は尋常でない。しかし、映画館のポスターには日本軍閥粉砕の赤い字が大きく踊っていた。「あの映画はなんです?」「あ、あれは娯楽映画ですよ。現在の日中友好に関係ないです」と、特区の幹部は軽く答える。
====================以下省略==========
中国人は礼儀正しいから、日本人である筆者には直接何も言わなかった。
しかし、満州国という植民地、そして南京虐殺などへ日本人の子孫として罪悪感を感じ、深く反省せざるを得ない。
以上の体験からだけでイスラム諸国の欧米への怨念の深さを短絡的には説明するつもりはない。
アメリカ追随も良いが日本人は近代の歴史を少し考えてみることも重要である。
(終わり)