後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

地方で情感豊かな人生を送る人々(1)琵琶湖詩情と日本舞踊

2009年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

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アメリカで覚えた言葉に、Quality of liferというものがある。もう20年近くなるが忘れられない言葉だ。情感豊かな質の高い人生というような意味と感じている。

ブログを始めて、あちこちの地方の人々が情感豊かな質の高い人生を送っていることが分かった。そこでそのような方々のブログを御紹介するソリーズ記事を始めることにした。

第一回目として、私のお気に入りのブログのちひろさんの「日々いきること」をご紹介したい。

URLは、http://blog.goo.ne.jp/hanamusasi である。

琵琶湖の東岸の彦根城の近辺に住んでいる女性でご主人、お子さん皆お元気で幸せなご生活のようである。

このブログの特徴は写真技術が非常に高い上、感性が素晴らしいことにある。琵琶湖の詩情あふれる作品が多い。撮っている人の繊細な息づかいを感じさせる。被写体へ対する限りない慈しみを感じさせる。

琵琶湖の東岸には長浜、彦根、近江八幡など歴史の古い町がある。そして情感溢れる写真を数多く見ると琵琶湖の東岸に住んで見たくなる。

ちひろさんは日本舞踊が趣味である。長年、日本舞踊で磨き上げられた美へ憧れる感性が写真に表れていると思う。

ここでご紹介した数葉の写真は昨年の1月と2月の琵琶湖にまつわる写真です。

お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(続く)

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「イスラム諸国を植民地にした欧米の負の遺産」への補足

2009年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

よくコメントを下さるmugiさんから客観的な、そして補足的なコメントを頂きました。

ブログ本体のこのページにご紹介いたします。

私はいつも自分の体験を通して理解できたこと、そしてそれから想像できる範囲の事のみをブログに書いています。「体験というフィルター」を通ったものだけしか書きません。本や文献を調べ上げてかくという人々の正反対にいます。どちらにも一長一短があります。

下のコメントは体験主義の欠陥の見本としても意義深いコメントと思います。

=====mugiさんからのコメント==============

植民地だけでなく、十字軍のことをお忘れではないでしょうか?
イスラム諸国の欧米に対する遺恨は、全て十字軍に端を発しています。中東のムスリム知識人の書物を見ると、決して十字軍時代を忘れていないことが分りますよ。
もちろん、イスラムもまず武力布教ありきで、中世のインド侵攻は十字軍に劣らぬほどの蛮行でした。これまたヒンドゥー教徒は内心は許していない。これが現代インドのヒンドゥーとムスリムの対立の原点となっている。

さて、中国ですが、近代は除いてそれ以外は常に覇権国家でしたね。
ベトナムは何度も侵攻を受けており、ウイグル、チベットは現代進行で弾圧を受けています。何故か日本の知識人は、中共の侵略については何も言わないへっぴり腰となる。
文化大革命時代の惨事は人類史上類を見ない蛮行でしたね。異民族を虐殺するのはまだ人ですが、平然と同胞を殺すのはもはや人ではない、と拙ブログにコメントされた人がいました。(一部省略しました。藤山杜人)

なおmugiさんのブログは左側サイドバーの推薦したいブログに紹介してあります。


「日本人とアウシュヴィッツのかかわりを考える」(2)石畳を掘り起こしている男

2009年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

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ヨーロッパのクラシック音楽や印象派の絵画のことを詳細に書いているブログがある。さらに哲学者や文豪の個人的なことまで調べ上げ、自分の博識ぶりを自慢げに書いている本も多い。しかしこのたった1枚の写真ほど強くヨーロッパ文化の重要な一側面を伝えているものが無い。膝まづいて、一人の男が古い、分厚い石畳を掘り起こしている。アウシュヴィツで殺されたユダヤ人が此処に住んでいた。と、彫り込んだ石を埋め込んでいる。

ベルリンに住んでいる中村真人さんが撮ったものだ。

もう一つの写真に写っている2個の石には1876年と1978年生まれの男女(たぶん夫婦)はここに1943年3月3日まで住んでいた。そして、収容されアウシュヴィッツで殺されたと書いてある。

中村さんは、この事業を広く進めているキリスト教の牧師にあって話を聞いている。

彼の文章を転載いたします。なお、写真を省略して、下に付いた文章のみを繋ぎ合わせたの一部分かりにくところがあることをご容赦ください。

=======アウシュヴィッツへの旅(5)と(6)=========

アウシュヴィッツから帰って数週間後の昨年12月半ば、ヴェディング地区に住む友達からちょっと耳寄りな話を聞いた。彼女が住むアパートの前にいくつかの新しい「つまずきの石」が埋め込まれるらしく、その後小さなセレモニーが行われるというのだ。つまずきの石はベルリンの通りを歩いているとよく見かけるが、いつ、どのようなきっかけで埋め込まれるものなのかは何も知らなかった。かなり興味を引かれたので、その日の昼ヴェディングのオステンダー通り2番に行ってみることにした。

1時少し前、その場所に着くともう作業が始まっていた。「つまずきの石(Stolpersteine)」は、ベルリンに生まれ現在はケルン在住のアーティスト、グンター・デムニッヒ(Gunter Demnig)氏が1992年に始めたプロジェクトで、ナチス政権の犠牲になったユダヤ人、反体制活動家、同性愛者、ロマといった人々を弔い、記憶の忘却から防ぐために、彼らがかつて住んでいた場所に赴いて、名前、生れた年、死亡年とその場所が刻まれた10センチの正方形の石を、その町の協力を求めながら埋め込んでいったのだ。ベルリンで初めてつまずきの石が埋められたのは、1996年のこと。現在まで、その数はドイツを中心に約1万4000個にも達するという(日本にもあるらしいのですが、本当?)。

これがそのデムニッヒ氏ご本人で、カウボーイハットがトレードマークらしい。1万個以上の石は全て本人が現地に赴いて、自分で埋め込んだのだろうか?だとしたらすごいことである。まず路上の敷石を取り除き、次にコンクリートの土台に固定されたつまずきの石を埋め込んで、いま最後の仕上げをしているところ。

アパートの住人や通りすがりの人が彼の周りに集まり、その様子を興味深く見守っている。5つの石の埋め込み作業は15分ぐらいで終わり、その後小さなセレモニーが始まった。

5つのつまずきの石が埋め込まれた後、集まった付近の住民を囲んで小さなセレモニーが始まった。前回ご紹介したグンター・デムニッヒ氏は、いつの間にかその場から姿を消していた。

ヴェディングの教区の牧師コンスタンツェ・クラフトさん(右)と区長と思われる人がそれぞれ挨拶、それから石の周りに花を添えた。かつてここに住んでいた5人の犠牲者のことを、「われわれの隣人」と呼んでいたのが印象的だった。

その後、女性の歌い手が出てきて、明るいテンポの歌を2曲ほど披露していった。これがつまずきの石やユダヤと関係がある歌なのかどうか、聞いておくべきだったと後になって思う。

牧師のクラフトさんに少し話を聞いた。
このつまずきの石プロジェクトは教会がイニシアチブを取ることが多いのだという。それはキリスト教会が第2次大戦中の強制収容所に送られたユダヤ人を救えなかったことに対して罪の意識を抱いていること。そして、昔から戸籍票は教区が管理しているという実務的な理由も関わっている。犠牲者の遺族からつまずきの石を埋めてほしいという依頼を受けると、戸籍などから彼らが当時どこに住んでいて、その後どういう運命をたどったのかを調べる。必要な場合は遺族などに手紙を書いて情報提供を求める。実際に石を埋めるまで、半年から1年近くかかるそうだ。つまずきの石プロジェクトが、募金のみで賄われていることもそのとき知った。

アウシュヴィッツへの旅はまだ終わらない。

by berlinHbf | 2008-02-27 01:29 | 欧州を感じる旅

最後にご自分のブログを自由に編集し転載する許可を下さいました中村真人さんへ深い感謝の意を表します。藤山杜人  (続く)