後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

宗教団体が反戦運動をしない理由

2009年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

日中戦争から大東亜戦争が悲惨な敗戦で終わるまで400万人の日本人と数千万人のアジア人が戦争のために死んだのです。この間、日本の仏教やキリスト教の緒集団は大政翼賛会へ入会したり協力宣言をして軍部へ協力したのです。仏教の和尚さんであった竹中彰元 師は個人として反戦を貫いて7年も刑務所に入れられたのです。しかし竹中師の属する真宗大谷派は大政翼賛会へ協力していたので竹中師から布教師の資格をはく奪します。

一旦戦争が始まると、何故宗教団体は揃って戦争反対の政治運動をしないのでしょうか?

宗教集団の維持と拡大には政治権力へ協力しなければ、その宗教集団は組織として存続が難しくなります。従って政治権力へ反対する「反戦運動」をしないのが当然です。それが組織の持つ教義へたいする矛盾です。

話は貧困層の多い中南米へ飛びます。ある国で共産主義者とカトリックの神父が協力して革命を起こし貧富の差を無くそうとしました。革命は成功して、共産党政権が出来、その大臣として数名の司祭が任命されました。「(貧者の)解放の神学」に基ずく政治運動でした。これに対してバチカン本部は大臣になったカトリック神父の司祭職をはく奪したのです。バチカン本部の神学と解放の神学は相入れることが出来ないからです。一般的には組織の団結と維持のために処罰したと理解されています。

しかし仏教側にもキリスト教側にも「組織維持」の理由の他にもう一つの基本的な理由が厳然として存在しているのです。「人間の真の救済は政治権力を利用したり、近づいたりすると不可能になる」という理由です。宗教的真の救済は政治とは全く別問題で、人間のこの世の問題である政治とは断絶した世界にあるのです。イエス キリストの弟子たちはイエスがローマ軍を追い出してイスラエルをもう一度ユダヤの王国にしてくれると大変な誤解をします。それに対してイエスは私はこの世の政治的な闘争に来たのではない。皆様が永遠の命を得るための方法を教えに来たのです、と訓えます。ここが無宗教の方々にはなかなかご理解して頂けないポイントです。

私は平和を祈りますが、反戦デモには参加しません。(感情的には参加したいのですが)

大東亜戦争の間、大政翼賛会へ協力するのは とんでもなく間違った行動です。

全ての宗派は平和を静かに祈るのが良く、反戦運動をしたら、それは政治運動になる危険性があるのです。その事を軽く考えたとしたら、それは正しい宗教人の態度ではないのです。

全ての宗教団体は反戦も戦争協力もしないで別世界にとどまるべきだったのでしょう。

しかし、竹中師や解放の神学のカトリク神父たちは善人です。尊敬すべきです。宗派の維持・拡大の理由で弾圧すべきではありません。寛大な精神で放任するのが良かったと、私は信じています。

皆様は如何お考えでしょうか?  (終わり)


反戦を貫いた仏教僧、竹中彰元師の簡単なご紹介です。

2009年10月05日 | インポート

趣味人倶楽部というSNSのマイフレンドの伊吹山さんが、反戦を貫いた仏教僧、竹中彰元師のことをお教え下さいました。真宗大谷派の高僧で日中戦争の始まった昭和12年に捕まり、岐阜地裁の判決で禁固刑の判決を受け、後、保釈され敗戦後の2ケ月後に78歳で亡くなります。仏に仕える者として言うべきことを、軍部も恐れずに言い続けた崇高な精神の持ち主です。私はこのような日本人が居たことに安堵し、そして彰元お尚さまのことを日本はもっともっと誇りにしたら良いと信じています。合掌!

以下に岐阜地裁で禁固刑の判決を受ける理由になった2つの起訴理由を示します。

(出典:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/takenakasyougenn.htm )

「①日中戦争開始2ヶ月後の1937年9月15日、出征軍人の見送りに村人500人と垂井駅へ向かう途中、ある村民に『昨日千人、今日三千人と沢山な死傷者が出て悲惨なことだ。一体戦争は罪悪である。国家は莫大な費用を空費し、損である。戦争はもうこの辺で止めた方が、国家として賢明である』と語ったこと、及び

②同10月10日、同村不退寺で開かれた7人の僧侶の会合の席上で、『今度の事変について、各自の決心を定めねばならないが、自分は戦争は沢山な彼我の人命を損し悲惨の極みであり、罪悪であると思う。今度の予算も厖大なものである。保定や天津を奪ってどれだけの利益があるか。戦争はもうここらで止めた方がよい。これ以上の戦争は、侵略だ』と説いたことであった。

伊吹山さん、貴重な情報をお送り下さいまして有難う御座いました。(終わり)

彰元お尚さまの話し言葉を聞くような感じの文章なので転載させて頂きました。


誰にでも簡単にできるケーキの作り方

2009年10月05日 | うんちく・小ネタ

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先日、デコレーションケーキを作り、写真を掲載しました。フランスに住んでいらっしゃるパテシエの翠さんが褒めてくれ、少しヒントを下さいました。そこで「見た目の美」より「食べて美味しい」ケーキを作りました。男性でも簡単に出来る方法をご説明します。ケーキ作りに必要な原料は5つだけです。小麦粉、砂糖、バター、卵、生クリーム、何か手元にある果物の5つだけです。

今日はスポンジケーキ(小麦粉、バター、砂糖が原料)を薄く切り、鉄板の上のアルミホイルの上に並べました。その上にバターを多めに塗り、砂糖を満遍なく掛けます。

それを一度、オーブントースターで焦げ目が少し付くまで焼きます。

その後で、上に黄桃の切れ身を並べます。そしてもう一度、今度は桃が少し乾くまでオーブントースターで焼きます。

上の左の写真が焼きあがった状態の写真です。これを冷ましてから生クリームを万遍無くかけます。上の右の写真が生クリームをかけた状態で、完成した状態です。

完成したケーキを夫々の小皿に取って、紅茶と共に食べます。

味ですか? 今度は大成功です。少し焦げた香りと桃の風味と生クリームの芳醇さが渾然一体となりプロの作ったケーキの味に遜色有りませんでした。太るから危険だと言いながら家内もたべました。今度は美味と言っています。

成功の秘訣は3つです。何度も焼いて水分を飛ばし、焦げ目の香ばしさを出す。果物は甘味が少ないので砂糖を多く掛ける。バターと生クリームは健康のことを考えないで十分過ぎる程加える。

台にするスポンジケーキが無い時は市販のカップケーキやカステラなどを薄く切って並べて使います。

次のステップは?そうです。卵の黄身と白身を別々に分けて使うステップです。

バニラエッセンスなどの香料をほんの少し加えることです。

今日は缶詰めの黄桃を使いますたが桃の香りが弱いものです。面倒でも季節の果物を買ってきて、多すぎるくらいの砂糖で煮ます。それにリキュールを加えて芳醇な味にします。

果物は一種類だけにします。多数使うと失敗の原因になります。

最後に大切な秘訣。ケーキを自作する時は小さく2人分だけ作ることです。大きなものを作って、失敗しますと、不味くて食べられなくなります。そして見た目より味を第一に考えます。

男性の為のケーキの作り方でした。ご婦人の方々はきっと笑っていらっしゃると思いますが、笑ってばかりいないで、ご主人を手伝ってケーキを一緒に作って下さい。(終わり)


第二次大戦中に戦争反対を貫いた日本の宗教団体

2009年10月05日 | うんちく・小ネタ

戦争絶対反対を叫ぶ人々が多い。戦争の惨禍を経験した日本人なら民族こぞって戦争反対・絶対平和!と心の底から叫びたい。しかし戦前にも軍部の弾圧を恐れず戦争反対、天皇制反対を貫き通した宗教集団が厳然として存在していたのです。仏教やキリスト教の宗派ではありません。神道の一宗派とみなされる「大本教」という宗派です。京都府の山間部の綾部市に本部があります。初代教祖が出口なお さんという女性で、その娘婿の出口王仁三郎(おにさぶろう)さんが二代目教祖です。1936年に逮捕され無期懲役の刑に服します。1942年に保釈で出獄します。活動は禁止された上での保釈なので山間部の綾部町で静かに余生を送り、1945年の敗戦を見ていました。自分を逮捕し、拷問にかけた警察官や裁判官が占領軍の民主化に協力して豹変するのを新聞で読みながら1948年脳溢血で亡くなります。78歳でした。

大本教(おおもときょう)で検索するとこの教団の歴史や教義、そして詳しい情報が簡単に得られるのでここでは省力します。

話はいきなり飛びますが、1945年8月15日の敗戦の日の東京府中刑務所には徳田球一氏、志賀義雄氏などの共産党幹部ら約30名が捕まっていました。その中に2名の天理教信者と2名の朝鮮人が居たという記録があります。天理教は神道です。

日本に存在していた宗教団体で戦争反対を貫いた宗派は神道系だったのです。何故でしょうか?仏教やキリスト教の宗派は少しは反対運動をしたと思いますが、大々的に絶対戦争反対を叫んだのは神道系の宗教団体でした。

これは国家的に見ると大変具合の悪い歴史です。現在の天皇制を支えている宗教は神道なのです。大本教の運動があまり広く日本人に知られていない原因の一つには、この矛盾を隠したい心理が我々の心の中にあるのかも知れません。

この様な複雑な問題へ対して皆様はどのようなお考えをお持ちでしょうか?ご意見をコメントとして頂ければ嬉しく思います。

今日も皆様のご健康と日本の、そして世界の平和をお祈り致します。 藤山杜人