後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日はガンの再発検査日。結果はOK。ネット上の友人へ感謝!

2009年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

8月6日に前立腺ガンを切り取る手術を受けました。武蔵野赤十字病院の田中良典先生が難しい手術を根気よく数時間にわたって行って、前立腺を丸ごと取って下さいました。退院後の病理説明のときガン細胞が前立腺のかなりの部分に増殖していて一部は前立腺の表皮を貫通しているというご説明でした。その後3ケ月毎にPSA検査で再発の診断をすることになりました。

今日が再発の検査日でした。PSAの値が0・008と低い値だったので田中先生は上機嫌で、「大丈夫です」と言って下さいました。これで3ケ月後の1月6日まで無罪放免になりました。

ガンの治療を受けた方々は皆さん同じようにガン細胞の転移や再発を恐れています。丁度、体内に爆弾を抱えて生きているような心地です。怖いものです。

幸い私のガンは今のところ静かにしてくれています。有難いと、ガン細胞に感謝しています。

そして、なんと言っても手術を受ける前後に数多くのネット上の友人が温かい励ましのメーッセージを送って下さった事に改めて感謝申し上げます。

あの折には、本当にありがとう御座いました。当時の日記やメッセージを読み返して感謝しています。有難う御座いました。                     (終わり)


ケーキ作りのパティシエは芸術家である

2009年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

どんな世界にもプロとアマの違いは歴然としています。先日、食後に食べる洋風の甘いものを作ってみました。それをケーキです、と言ったらプロが心の中で怒りだします。私も現役の頃は深く狭い専門分野の研究をしていました。専門分野の外にいる素人さんが何か意見を言うと、内心では「素人め!黙れ!」とよく呟いたものです。

それを臆面もなくブログへ掲載したのです。

その罪滅ぼしに、今日はケーキ作りのプロのパティシエと素人の違いをここで明確にしたいと思います。プロのパティシエはケーキを芸術的に美しく創り上げます。絵画や彫刻の芸術と同じです。その上、ケーキの場合は食べて、その味が絶妙でなければなりません。深い美味しさです。その実例がParismidori さんのブログに出ていましたので、いつものように写真を御借りして示します。

一番上のシートの葡萄の模様は長時間かけて根気よく手描きにします。それを焼いてケーキの側面に張り付けるのです。下の写真の出来上がったケーキの側面に葡萄の模様のシートが貼り付けてあります。このシートは単なる飾りではありません。ケーキに深い味わいを付ける役割もしています。Parismidori さんのブログには3人のフランス人へ彼女が複雑な作り方を教えている写真も出ています。

ご想像して頂きたいと思います。京都の和菓子の作り方を覚えたフランス人が京都の人々へ京和菓子の作り方を教えている光景をご想像下さい。お菓子はその地方の文化を背負っています。写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

F18ba5ff1 596fb2c71 0285c6111_2


大東亜戦争の責任を取って死んで行った軍人たち

2009年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

1945年のアメリカ軍の占領以来、日本のマスコミは検閲やアメリカへの遠慮からアメリカの嫌がる事実は報道しない。それがマスコミ人の処世術として連綿として受け継がれています。私もアメリカに留学して米国社会の魅力や優れた点に対して憧れを持っています。

しかし日本人の名誉を敢えて傷つけるような報道ぶりには怒りを感じます。

例えば敗戦後になってから、真面目な軍人達及び軍属看護婦合計、527名は大東亜戦争の責任を取って自決したのです。その他にA級戦犯7名とBC級戦犯の約1000名は死刑になり戦争の責任を取りました。A級戦犯の処刑後、アメリカ軍は遺骨を東京湾に捨て、墓さえ作らせませんでした。感情的な復讐です。愛宕山に籠った10人の右翼も自殺し、その妻3人も夫の弔いのあと愛宕山で拳銃自殺をしたのです。

一方厚木飛行場に残った航空隊が徹底抗戦を叫び、戦闘機で愛宕山の上を飛び交い右翼団体の10人を勇気づけたと言います。厚木航空隊の抗戦はマッカーサーの到着の数日前まで続いたのです。

このような事実はアメリカ占領軍にとっては具合の悪い事実です。日本のマスコミは一切報道しません。

こいいう戦後の事実を細大もらさず書いた本を先日、紀伊国屋書店の本店で買って来ました。筑摩書房の「ちくま学芸文庫 日本の百年」全十巻の中の第九巻目の鶴見俊輔編著の「廃墟の中から」1945-1952 です。この本にはアメリカ軍の検閲の有った時代の色々な事件を記録しています。戦後教育を受けた私の知らなかったことも多く書いてあります。正しい日本の歴史にご興味がある方々へお勧めしたいような一冊です。

最後に戦後、自分が指導した大東亜戦争の責任を取って自決した527名の中から主な責任者の名前を列記しご冥福をお祈りいたします。

杉山元 陸軍元帥、8月22日(夫人もあとを追って自決)、 阿南惟幾陸軍大将、8月15日、 田中静壹陸軍大将、8月24日、 安藤利吉陸軍大将、1946年4月19日、      本庄 繁陸軍大将11月20日、 柴 五郎陸軍大将、12月13日、 吉本貞一陸軍大将、9月14日、 大西滝次郎海軍中将、8月16日、などなど。ほか技術士官、看護婦も・・・・   合掌。


老夫婦が最も幸せな時期なのは何故か?(2)夫婦喧嘩の原因が無くなるー子育てが終わるー

2009年10月07日 | うんちく・小ネタ

夫婦喧嘩の重要な原因を書くことは避けて来ました。深刻な話は差しさわりがあるからです。しかし私の失敗談や後知恵として気楽にお読み頂ければ書いても良いのではないかと思い直し、書くことにしました。

深刻になりやすい夫婦喧嘩の原因は3つです。子育に対する考え方の違い。夫が他の女性に関心を持つ。夫婦両方の親や親類との関係。この3つは夫婦喧嘩の3大原因です。

今日は子育ての事を書きます。夫と妻は子供の育て方、教育、職業に関しては違った考えを持っています。育った家庭が違うのですから当然です。自分の考えを通うそうとします。その上、母親は子供に甘いのです。反動で父親は理不尽に厳しくしようとします。夫は妻に教育論の論陣を張って自分の育て方を貫徹しようとします。

夫は立派な理論を言って子育てへ参加しようとします。それは良いことで夫婦喧嘩の原因になる筈はありません。それが原因になるのは夫の感情問題が底にあるからです。

子供は母親を信用し母親の言うことは実に良く聞きます。父親には母ほどなつきません。当然です。生まれ落ちた瞬間から母親は乳をあげ、オシメを取り換え、万事の面倒を見てくるのですから。その当然が男親にとっては面白くないのです。子供が妻に取られてしまったという「疎外感」を毎日味わいます。淋しくなります。そこで妻を理論的に屈伏させ、子供を取り戻そうとします。妻もその低い感情問題を立派な理論の行間に感じて反発します。そして夫婦喧嘩になるのです。

妻と夫が子供の取り合いをしたら夫が負けるのは古今東西共通な決まりです。若い間はそれが理解出来なくて私は夫婦喧嘩をしてきたのです。

子育てが終わり、老年になると目から鱗が落ちるようにこれが分かります。私は妻に対して済まなかったと反省します。これで夫婦喧嘩がなくなるのです。

私の長い夫婦生活での失敗でした。こんな失敗談は書きたくありません。

皆様は賢明なのでこんな低い次元の失敗はなさらなかったと思います。(続く)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 藤山杜人