後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

年間第29主日、「世界宣教の日」について、そしてヨゼフ・ピタウさんのこと

2009年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

先日の10月18日はカトリックの年間第29主日で「世界宣教の日」でした。カトリック小金井教会の山本量太郎主任司祭さまの説教も「世界宣教の日」に関する話でした。小金井市には宗派の違うキリスト教会が11くらいあります。山本司祭さまの呼び掛けで教会の牧師さん達が集まって色々な相談をしました。そして今年のクリスマスには小金井市の市民が気軽に近所の教会へ行ってお祈り出来るように準備をしているそうです。教会の住所やクリスマス礼拝の時間を書面でお知らせすることになったそうです。信者でない人々がクリスマスパーティの前に手近な教会に行き、家族の平安をお祈りする。そして帰って家族が揃ってクリスマスの御馳走を楽しむ。

家族が揃って、あるいは若いカップルが気楽に教会へ寄る。よく聞くクリスマスソングを楽しみます。それからクリスマスパーティをする。こんな流れも楽しいと思います。信者である必要はありません。

この小金井市の11の教会の新しい試みは、「宗派にとらわれない開かれた教会」をめざしています。そして信者でない人々にもキリスト教に親しんで貰おうという目的があります。宣教活動の一つです。

キリスト教の信者は誰でも「宣教の義務」を持っています。信者一人一人が自分で良く考えて宣教活動をしています。しかし宣教師という言葉から、「押しつけがましい」とか「しつっこく勝手に喋る」などという事を連想する人も多いと思います。これは宣教の失敗の結果、人々にそういう印象を植え付けてしまったのです。

宣教は絶対に押し付けてはいけません。このブログでも私はキリスト教の宣伝をしています。何度もしました。ただし読者に不快感を与えないように細心の注意を払って来ました。

例えば、この記事の前にヨゼフ・ピタウさんのことを紹介しました。イタリア人ですが引退後は日本へ帰国しました。この地に骨を埋めるつもりです。ある外国人が日本が好きになり、そこに終の棲家を持つ。その国の土になる。この事実は全ての日本人が嬉しいことです。そのことを私は重大だと思います。彼が有名大学の学長をしたとか、バチカン本部で大臣のような役職にあった、などという経歴は全く重要でないのです。

「彼がどれだけ深く、強く日本人を愛しているか?」、これだけが一番重要なのです。彼が宣教師として信頼出来るか否かは、その日本人への愛によって判明します。私は確信しています。ピタウさんは恥ずかしくない本物の宣教師なのです。

いい加減な生活をしている私がキリスト教の説明をしても誰も信用してくれません。そこで私は本物の宣教師を時々ご紹介しています。先日ご紹介した、ペトロ岐部さんもそのつもりでご紹介しました。カトリック小金井教会の山本量太郎神父様も本物です。

私は仏教徒も無宗教の方々もほんの少しでもご興味を持って頂けるように書いています。カトリク信者から見ても、偉い人はやっぱり偉いと思います。このブログでよく取り上げる玄奘三蔵法師などはその例です。鑑真もそうです。弘法大師も私は尊敬しています。

皆様が、少し、そうですホンの少しでもこのブログの宗教関係の記事を読んで頂ければ非常にうれしく思います。どうぞこれからも宜しくお願い申し上げます。(終わり)


ヨゼフ・ピタウさんのこと、

2009年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログでは硬軟とりまじえ色々な記事が出て来ます。支離滅裂な編集になっています。読者の方々が気軽にご興味のある記事だけ読めるようにと、そうしているつもりです。写真もお好みのものだけをご覧ください。

 今日の読売新聞の10ページの「時代の証言者」シリーズでヨゼフ・ピタウさんの話が始まりました。カトリックの偉い人でバチカン本部で24年間活躍していました。1928年イタリア生まれなので余生はやっぱりイタリアで、と私は勝手に思いこんでいました。ところが日本に帰ってきて、余生を送り、日本の土になるつもりだそうです。

カトリックの人々はヨゼフ・ピタウさんを優しい父親のように親しく思っています。私もお会いしたことはありませんが、本を読んでいます。気安いお人柄のようでいつもニコニコ笑った写真が出ています。

今日から始まった読売新聞の「時代の証言者」ヨゼフ・ピタウのシリーズを是非お読み下さい。

1952、戦後の荒廃した日本へ宣教の為に来ました。山口県の多くの町を回って、ピタウさんが吃驚するのです。アメリカ空軍の爆撃で焼け野原になった町を復興している最中でした。ところが何処でも立派な建物は学校だったのです。運動場やプールまで整備されていたのです。ヨゼフ・ピタウさんが言います、「国を建て直すのに、まず教育に力を入れる日本に驚きました。そして日本へ深い関心と尊敬を持つようになりました。愛情さえ感じました。日本はすごい国になるのでは、と肌で感じました」、、、、、

宣教をしようとしたらまず相手を好きになり愛さなければできないのです。ピタウさんは日本到着早々日本人の優秀性を見抜き、愛情を持ったのです。その人が余生を送るために日本へ帰国してきたのです。ヨゼフ・ピタウさんのことを少しでも多くの人に知っていただきたくて筆を取りました。(続く)


オペラのCDを聴きながら秋の夕暮れの水面の写真を撮る

2009年10月20日 | 写真

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今日は曇り日。ゆっくり家を出て、ヨットの掃除や整備をした。終わったときは夕方近くなっていた。CDプレイヤーでオペラの名曲を聴きながら船を静かに動かして水面の写真を撮ってまわった。晩秋の寂しさを写真に写し取ったつもりですが、いかがでしょうか?霞ヶ浦の曇り日の夕方です。

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お宝鑑定団へのちょっとしたコメント

2009年10月20日 | うんちく・小ネタ

古い焼き物の本物と偽物を判定する、「開運何でも鑑定団」というテレビ番組がある。奥深い内容の良い番組である。

しかし物事は白黒を判断するばかりでは現実的ではありません。灰色の芸術作品がたくさんあります。柿右衛門、仁清 、乾山と焼いてあっても色々な事情があります。弟子が師匠の許可を受けてそのように焼き込んだ場合。その弟子の子が父の仕方を踏襲した場合。一流の焼き物師が勉強の為に模作した場合。金儲けの為に古物商が一流の陶工に焼かせた場合。これら全部は「偽物」とは言いません。それらの作品にはそれ相応の値段がついています。

本物だから500万円。偽物だから5000円という結果がよくテレビにあります。「開運何でも鑑定団」というテレビ番組では番組を面白くさせるために500万円と5000円の対比を強調する焼き物や骨董品が出てきます。しかし世の中の実態はそれ程単純ではありません。

安物の偽物を高価に買うのは基本的には買う人の鑑定眼の問題であります。善良な売人は決して「これは本物!」、とは言わないのです。「本物と保証はできませんが、かなり本物のような気もします。あなたはどう判断されるでしょうか?」という台詞を繰り返して言います。

古い芸術作品を買う人は本物と偽物の間に色々な灰色品物があります。灰色には色々なレベルの灰色としての適性な値段があります。レベルの違う灰色の適正な値段を知らないで古い焼き物や骨董を買うのは危険な行為です。全てを知っている父が死ぬとき息子に、「これはヒョットして貴重な焼き物かも」と言って申し送ります。息子は骨董の世界を知らないで単純に本物と信じます。父子の愛情の迷いです。そんな作品が時々テレビ番組に出てきます。しかし悪い人はこの世に居ないと思って貰いたいのです。そのほうがこの番組を一層楽しめませんか?


大宮司弘昌著、「初めてのロシア沿海州昆虫エコツアー」その一

2009年10月20日 | インポート

このブログでは色々な方々の文章作品や絵画や写真を広くご紹介してきました。今回は大学時代からの友人の大宮司弘昌さんのロシアのウラジオストックを中心とした蝶々と昆虫採集の旅日記を連載でご紹介いたします。大宮司さんは学生時代から蝶々の採集が趣味で引退後もますます熱心にしています。

これから連載する旅日記は蝶々や昆虫の興味を持っている方々は勿論ですが、人間そのものに興味を持っている方々にもお楽しみ頂かる内容です。これからの数回の連載をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

今日は特に添付掲載した地図と採集コースをまず丁寧にご覧下さい。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。 藤山杜人

======大宮司さんの話の始まり=========

 2008年7月縁あって極東ロシア沿海州で昆虫エコツアーの機会に恵まれた。一般にこの地はビサやガイドの手配などの関係で、だれでも気軽に行ける地域ではないが、自然が豊かで昆虫は種類、数とも多く、今後さらに注目されるように思う。これからこの地を初めて訪れる方には何らかの参考になると思い、写真をまじえ体験談風に紹介する。

ウラジオストックヘ

  2007年秋、突然ウラジオストックからメールが入った。

「ウラジオストックを基点にサハリン、千島、カムチャッカ、アムール地方などでエコツアーの企画、ガイドをやっている。興味があれば、詳しい資料を送る。」

後で判ったことだが、彼(以後U氏とする)は、米国の蝶・蛾学会名簿で私の名前を見て、メールを出したとのこと。

 私はこれまでロシアでのエコツアーは、手掛かりがなく諦めていたが、U氏の送ってきた資料には、ウスリー地方の動植物、気候、ツアー計画、費用、VISAの取得法などが書いてあり、実現に大きな障害はなさそうであった。この種の個人旅行で一番のポイントは、信頼できる現地ガイドの確保である。地理勘のない山の中に連れて行ってもらうのは、財布も命も預けるようなものである。U氏とは面識はなかったが、メールの往復により彼はこの地の昆虫に詳しく、同時に信頼できると判断した。あとは運を天に任せることにして、同好の士1名を誘い、年末には7月10~20日というスケジュールを先方に伝え、U氏の年間スケジュールに入れてもらった。

 次いでこのスケジュールに合わせて、新潟⇔ウラジオストック直行便を仮予約した。東京在住者にとって新潟発は時間・費用の点で不便だが、成田発便がないので選択の余地はない。この予約が確定するのは4月1日なので、この日11時に電話をすると、すでに7月10日(木)のエコノミーは団体が入って満席とのこと。仮予約とは何なのか不満であったが、止む無くU氏に再度連絡し、7月13日(日)~24(木)という新スケジュールが確定した。日程と行動をFig-1に示す。 価格はサーチャージ込み約 \85,00、近距離の割りに高いのは夏季料金として止むをえないのだろう。

 VISAの取得は厄介であった。そのプロセスは、①フライト予約確定、②U氏へInvitation作成に必要なデータ送付、③約1.5ヶ月後Invitation受領、④エージェントに書類(Invitation+パスポート)提出、⑤2週間後VISA受領 であった。今回は不慣れもあり実際にVISAを受領したのは出発の2日前である。何か一つでも不具合があればツアー中止というきわどい流れであった。もっと簡単に取得できないか調べたが、今回はそのような方法は見出せなかった。

 7月13日、いよいよである。朝9時に自宅を出発、上越新幹線経由で新潟空港へ。新潟発15:50⇒ウラジオストック着19:30 は時差が2時間あり、実飛行時間は約1時間半である。到着ロビーでU氏と初対面の握手を交わし、ついにロシアに来たのを実感する。空港前広場で今回のツアーの足となるワゴン車(三菱デリカ)と運転手S氏を紹介される。 そしてただちに今宵の宿であるバンガローへ向かった。ここウラジオストック近郊の20:00はまだ明るく、約2時間の快適なドライブで暮れかかった小村に到着、村の只1軒の売店でビール、ウォッカ、食料などを仕入れ、暗くなった山道を更に30~40分走って10:30頃バンガローに到着した。(続く)

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