<shapetype id="_x0000_t75" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" stroked="f" filled="f" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="図_x0020_8" alt="ハンター小屋外観" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_s1027" style="MARGIN-TOP: 7.75pt; Z-INDEX: 1; VISIBILITY: visible; MARGIN-LEFT: 160.8pt; WIDTH: 242.7pt; POSITION: absolute; HEIGHT: 186.75pt; mso-wrap-style: square; mso-wrap-distance-left: 9pt; mso-wrap-distance-top: 0; mso-wrap-distance-right: 9pt; mso-wrap-distance-bottom: 0; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-horizontal-relative: text; mso-position-vertical: absolute; mso-position-vertical-relative: text"><imagedata o:title="ハンター小屋外観" src="file:///C:DOCUME~1gotouLOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image001.jpg"></imagedata><wrap type="square"></wrap></shape>ハンター小屋
正式な名称は知らないが、U氏が「ハンター小屋スタイルのバンガロー」と説明したので、「ハンター小屋」と呼ぶ。原生林に点在し、伐採作業、土木工事、ハンティング、レジャー、緊急避難など多目的に使われる。
我々が到着したこのハンター小屋には管理人が常駐しており、宿泊OKとのことでほっとする。しかもなぜか無料だという。条件は一つ、我々と食卓を共にし、同じものを食べたいと。U氏にそっと彼はどういう立場の人かと聞いたが、U氏も知らない。彼の同居は犬2匹、猫1匹、ニワトリ10羽である。電気水道はなく、もちろんシャワーもなく、トイレは50mほど離れている。建物は2階建て、外壁は丸太で内装との間は厚く、断熱材がしっかり入っているのだろう。窓は小さく2重である。1階は入口に調理台、続いてダイニングと広間がある。ダイニングにはテーブル、椅子6脚、暖炉、ベッド1があり、広間にはベッド3、ソファー2がある。シーツや毛布は持参しており、寝るのに問題はない。2階は2室で奥が管理人の部屋である。そこには電池のポータブルテレビがある。
この地域は平坦な低地(標高200m)で、落葉広葉樹林帯である。しかし広範囲に伐採の手が入っており、巨木はほとんどない。小川や水溜りが多く、蚊は非常に多く悩ましい。室内にも入り込むので、夜に蚊取り線香を炊いたら、S氏から喉が痛む、蚊は大したことないと言われた。我々は直ぐ刺されるが、彼らは肌を出していても余り刺されない。どうして刺されないのかと聞いたら、皮膚に毒があるんだと言われてしまった。答えようのない奇問であたか。我々は蚊がいては寝れないので、蚊取り線香は宵の口に点け就寝前に消すことにした。
ここで食事について、後で判ったことも含め記しておく。朝食は夜明けが7時なので、9時ころになる。メニューは昼に川岸で摂ったものとほぼ同じだが、適宜生にんじん、生ねぎ、生いんげん等の野菜や茹でじゃがいも、ピクルスや昨夜の残りものが追加される。バター、塩、砂糖、マヨネーズ、コンデンスミルクはあるが、なぜか蜂蜜、ジャムはない。
昼食は、移動日は前記のように簡単に途中で摂る。採集に出た時は、外では摂らず遅くなっても帰ってから摂る。雨で外出できないときは時間があるので、スープ、卵焼き、煮込み等が作られる。
日暮れは10時なので、ディナーは9~10時開始である。スープ、じゃがいもの他に鶏のから揚げ、ボルシチ、肉野菜の煮込み/炒め、鱒のバター煮込み等1品が付く。食材は2日毎くらいに買出ししており、他に森から採れるキノコが頻繁に登場した。ご飯も時々炊かれ、チャーハンのようなのも出される。
<shape id="図_x0020_7" alt="ハンター小屋前のツアーメンバー" type="#_x0000_t75" o:spid="_x0000_s1026" style="MARGIN-TOP: 38.75pt; Z-INDEX: 2; VISIBILITY: visible; MARGIN-LEFT: 170.85pt; WIDTH: 231.15pt; POSITION: absolute; HEIGHT: 177.5pt; mso-wrap-style: square; mso-wrap-distance-left: 9pt; mso-wrap-distance-top: 0; mso-wrap-distance-right: 9pt; mso-wrap-distance-bottom: 0; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-horizontal-relative: text; mso-position-vertical: absolute; mso-position-vertical-relative: text"><imagedata o:title="ハンター小屋前のツアーメンバー" src="file:///C:DOCUME~1gotouLOCALS~1Tempmsohtmlclip11clip_image003.jpg"></imagedata><wrap type="square"></wrap></shape>
ビールとウォッカは毎晩、時には昼も飲んだが、話の良き潤滑剤である。話題は場所柄、虎、ヒグマ、黒クマ(ツキノワグマ)、蛇、昆虫、きのこ等、罪がなく健全である。特に虎と熊の体験談は毎日でも面白く飽きない。興味深い話をいくつか紹介する。ここの虎はアムール虎と呼ばれ体長3m、足跡は登山帽ほどもある。猛獣3種の強い順は虎>ヒグマ>黒クマであるが、人間に対する危険性の順は黒クマ>ヒグマ>虎となる。虎は数も少なく(第1級の保護獣)極めてセンシティブで、ガイドU氏も未だ見たことがない。黒クマは人里近くにも多く狩猟の対象である。最もアグレッシブで、極東地区で毎年1~2名の犠牲者が出る。黒クマの天敵は虎で、夜は虎に追われるためか人里に出没する。この周辺にも毎晩現れるが、それは犬が吠えるので判る。事実我々の滞在中は毎晩2回ほど2匹の犬が激しく吠え、翌朝柔らかい土にはクマの足跡が残っていた。次に森でクマに出会ったらどうするかである。対話路線で説得するように話しかける、病気で食えないことをアピールして奇声を発するなどが優れており、死んだふりをするのはクマが死肉も食べるので俗説でないか、後ろを向いて逃げるのは逃げるものを追う本能を呼び覚ますという具合である。ただこの種の話しには誇張や創作が付きものなので、その点を念頭に聞く必要がある。クマには個性があり決め手はないようで、私は日本で入手した鈴を身に付けていたが、牧場付近では羊と誤認される恐れがあるかも知れないという。またテーブルのそばの2重窓の外側のガラスは割れており、これは虎が中を覗こうとして立ち上がり、前足を窓に掛けた時に割れたものとのことであった。中にいた人は凍りついたことであろう。
昆虫の話題の主役はその大きさ、風格、珍品度においてカリポゴンである。10種ほどの同属は全て南米産で本種のみ極東に棲息するのもミステリアスである。話が進むうちに管理人が、そのような虫なら昨日階段の踊り場に来ていたので、踏み潰して捨てたとのこと。翌朝早速、残骸がないか探したが、多分ニワトリがついばんだのであろう、すでに影はなかった。
今日の収穫は、移動と天気が悪かったことで空港前のシロジャノメとシロモンコムラサキ少々であった。
7月16日は終日雨。(続く)
ピオ十二世教皇聖下の名誉を守り続ける、ファイティング・ナンと呼ばれる方のページです。
http://www.sistermargherita.com/
投稿 Francesco | 2009/10/24 22:23
以下の英文の意味の概略は、「ピオ12世は公的にナチ一派を攻撃する声明を出さなかった理由は、声明を出すとヒットラーが一層多くのユダヤ人を殺戮する恐れがあった為です。」
そして「イタリアの全ての修道院、孤児院、教会施設をユダヤ人の為に開放し彼らを保護したのです。」
私が以上から想像出来ることは、「ピオ12世はヒットラーと派手な闘争をして、彼を不用意に怒らせユダヤ人を報復的に殺戮しつくす事を避けた」ということです。そしてその一方で隠密作戦を採用し、ユダヤ人を密かに隠してしまったのです。