後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

妙義山と雲の写真

2013年10月13日 | 写真

信越自動車高速道路の南側には奇妙な形をした妙義山が連なっています。群馬県下仁田町のジォパークの一部を構成しています。

昨日の夕方近くに通ったときバスの窓から撮った写真です。雲の形や色合いが美しくつい何枚も写真を撮ってしまいました。その中から5枚を下にお送りいたします。楽しんで頂けたら嬉しく思います。

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このブログを読むと多くの人々が幸せな気分になる

2013年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

私は毎日ブログの記事を書いています。

何時も努力していることは、このブログを読むと、多くの人々が幸せな気分になるように内容を考え、考え書いていることです。

しかし読んでくれ人の全員が幸せな気分になるのは不可能なことと思います。大多数の人々が良い気分になり、少しでも明るい気分になって呉れるように書いています。

例えば、「地域文化の魅力と豊かさ(1)小さな須坂藩の豪商、田中家の華やかさ」という今朝の記事を書いた時の心がけを記してみます。

地方に住んでいる人々が良い気分で読んでくれるように書きました。商売をなりわいにしている人を褒めました。人間性の善い人々は幸せだとも暗示しました。多くの人々が不愉快になるような表現は避けました。

しかし共産主義が好きな人や左翼系の人にとっては不愉快な内容だったと思います。

貧しい農民から年貢米を搾り取った武士階級の支援を受けて豪商になった田中家の繁栄ぶりを書いたのです。藩主に上手に取り入ってその保護のもとに利益を独占した商人を是認し、称賛している内容です。

ですから共産主義が好きな人や左翼系の人が読んだら幸せな気分になる筈がありません。

このようなことはこの世ではよくあることです。

それでは、読めば全員が幸せな気分になるものなど存在するのでしょうか?

私の答えは、それは「新約聖書」です。特に「福音書」です。

福音書とはいかにも人造漢語で、マガマガしくていけません。この言葉を見ただけで嫌気がします。少なくとも私の嫌いな人造漢語です。

福音書の本来の意味は良いニュースだそうです。「良い」を福に翻訳し、「ニュース」を音に翻訳したのでしょう。しかし福音書ではその意味が通じません。

私は自分の翻訳で「福音書」を読み下しています。「読めば、誰でも幸福になれる方法を、キリストの教えとして書いた書物」と読み下しています。

このように自分流の読み下しを持ってこの書物を飛ばし読みすると興味が湧いてきます。面白くなってくるのです。そうすると自然に飛ばし読みで省略した部分も読みたくなります。

この時、絶対に「福音書」とは何かと検索したり、本を集めて読んではいけません。

それらは神学的な研究を詳細に書いたものです。何時、誰が、何人で書いたかという歴史研究が主です。新約聖書にある4つの福音書の他にトマスの福音書やユダの福音書があって、それらが何故、新約聖書に正典として含まれなかったかが詳細に書いてあります。

そんな事はどうでも良いのです。

大雑把に言えば、4つの「福音書」はイエス様の死後80年くらい経ってから直接の弟子の弟子、そしてその弟子の何人かによって書かれたものです。4つの福音書の内容はほぼ同じで、イエス様の教えを正確に書き残しています。勿論違う部分もありますが、それは些事です。

それではその内容の一部を取って、それが何故私を幸せな気分にさせるか書いてみます。

イエス様とユダヤ教の律法学者達が、異教徒のサマリア人が道に倒れている人を助けている場面を見ます。

その後で、律法学者達がイエス様へ聞くのです。「あなたは汝の隣人を愛せと教えますが隣人とはだれですか?」

イエス様が答えます。「倒れている人を助けたサマリア人が貴方たちの隣人なのです」

サマリア人はユダヤ教の律法学者たちが忌み嫌っていた異教徒の民族だったのです。このイエス様の答えは頭の堅い律法学者達をひどく驚かせました。

しかしこの教えは、困っている人を助ける人は、たとえ仏教徒でも、イスラム教徒でも皆あなたの大切にすべき隣人なのですという意味の教えです。

現在の我々からみると当然な教えです。

この教えでキリスト教は世界宗教になったのです。

そして私は仏教徒が大多数の日本にいるキリスト教信者です。しかし仏教徒は異教徒に対して寛容です。絶対に私をいじめたり、迫害しないことを信じています。

宗教に関係なく善いことをした人を大切にしなさいという教えによって私は自由で豊かな気分になれます。幸せになれるのです。

下に倒れている人を助けるサマリア人の絵と現在のサマリマ人の写真を示します。

Samaritan1
上と下の写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BAです。

Samaritains_garizim_2006_21

・下に旧約聖書と新約聖書の目次を示します。

出典は、http://www5b.biglobe.ne.jp/~ykchurch/bible/the_bible_index_ej.htmです。

旧 約

順番

書 名

Title

()

 

新 約  

順番

書 名

Title

()

1

創世記

Genesis

Gen

1

マタイによる福音書

Matthew

Mat

2

出エジプト記

Exodus

Exo

2

マルコによる福音書

Mark

Mar

3

レビ記

Leviticus

Lev

3

ルカによる福音書

Luke

Luk

4

民数記

Numbers

Num

4

ヨハネによる福音書

John

Joh

5

申命記

Deuteronomy

Deu

5

使徒言行録

Acts

Act

6

ヨシュア記

Joshua

Jos

6

ローマの信徒への手紙

Romans

Rom

7

士師記

Judges

Jdg

7

コリントの信徒への手紙一

Corinthians1

1Co

8

ルツ記

Ruth

Rut

8

コリントの信徒への手紙二

Corinthians2

2Co

9

サムエル記上

Samuel 1

1Sa

9

ガラテヤの信徒への手紙

Galatians

Gal

10

サムエル記下

Samuel 2

2Sa

10

エフェソの信徒への手紙

Ephesians

Eph

11

列王記上

Kings 1

1Ki

11

フィリピの信徒への手紙

Philippians

Phi

12

列王記下

Kings 2

2Ki

12

コロサイの信徒への手紙

Colossians

Col

13

歴代誌上

Chronicles 1

1Ch

13

テサロニケの信徒への手紙一

Thessalonians1

1Th

14

歴代誌下

Chronicles 2

2Ch

14

テサロニケの信徒への手紙二

Thessalonians2

2Th

15

エズラ記

Ezra

Ezr

15

テモテへの手紙一

Timothy1

1Ti

16

ネヘミヤ記

Nehemiah

Neh

16

テモテへの手紙二

Timothy2

2Ti

17

エステル記

Esther

Est

17

テトスへの手紙

Titus

Tit

18

ヨブ記

Job

Job

18

フィレモンへの手紙

Philemon

Phm

19

詩編

Psalms

Psa

19

ヘブライ人への手紙

Hebrews

Heb

20

箴言

Proverbs

Pro

20

ヤコブの手紙

James

Jam

21

コヘレトの言葉

Ecclesiastes

Ecc

21

ペトロの手紙一

Peter1

1Pe

22

雅歌

Song of Solomon

Sol

22

ペトロの手紙二

Peter2

2Pe

23

イザヤ書

Isaiah

Isa

23

ヨハネの手紙一

John1

1Jo

24

エレミヤ書

Jeremiah

Jer

24

ヨハネの手紙二

John2

2Jo

25

哀歌

Lamentations

Lam

25

ヨハネの手紙三

John3

3Jo

26

エゼキエル書

Ezekiel

Eze

26

ユダの手紙

Jude

Jud

27

ダニエル書

Daniel

Dan

27

ヨハネの黙示録

Revelation

Rev

28

ホセア書

Hosea

Hos

 

29

ヨエル書

Joel

Joe

30

アモス書

Amos

Amo

31

オバデヤ書

Obadiah

Oba

32

ヨナ書

Jonah

Jon

33

ミカ書

Micah

Mic

34

ナホム書

Nahum

Nah

35

ハバクク書

Habakkuk

Hab

36

ゼファニヤ書

Zephaniah

Zep

37

ハガイ書

Haggai

Hag

38

ゼカリヤ書

Zechariah

Zec

39

マラキ書

Malachi

Mal


地域文化の魅力と豊かさ(1)小さな須坂藩の豪商、田中家の華やかさ

2013年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

ここ数年、日本の地方への旅を何十回と楽しんでいます。

すると各地には独自の魅力があり、豊かな精神文化があることに気がつきます。ああ、日本はこんなにも素晴らしい邦なのだと幸福感が翻然と湧いて来ます。

今回は、須坂藩の豪商、田中家の邸宅を見て、木島平に一泊する北信濃路の旅をしました。

須坂藩は石高12000石の実に小さな外様藩です。北信濃の諸藩はみな譜代藩です。しかし須坂藩と隣の松代藩だけが独立した外様藩だったのです。須坂藩は堀家、そして松代藩は真田家が藩主で、それぞれ独特な地域文化を持っていたそうです。

今回は江戸中期以降に、須坂藩の財政を支えてきた豪商、田中家の邸宅と、その倉を改造した博物館の華やかな花嫁衣装の数々を見て来ました。

案内をしてくれたのが現在の田中家の当主でした。春、夏、秋と分けて作られた庭の説明をし、「冬の庭はありません一面雪に覆われるので全体が冬の庭なのです」と言います。

その当主の朴訥でいて洒脱な性格にすっかり魅了されました。しかし如何にも商人らしく間違いなく利潤はあげるという遺伝子的なものを感じさせるのです。

花嫁衣装を展示した博物館は入場料を取ります。誰も入ろうとしません。すると江戸時代から代々の嫁の花嫁衣装の保存状態の良さと、数量が日本一だと言います。そしてその花嫁衣装を着た嫁たちがみんなそろって昨日嫁入りをしたように、10日間続いた婚礼の様子を活き活きと語るのです。何故か聞いている皆が華やかな気分になります。

展示物は春、夏、秋、冬と変えるそうです。「見なければ損だ」という下品な勧誘はしません。しかし四季ごとに変わる展示物を見るために4回来たくなります。

邸内の見学の後に博物館も見ました。出てきて売店に田中さんが居たので、「花嫁衣装がすばらしかったですね」と声をかけました。田中さんは破顔一笑し、とても喜んでいます。この笑顔が今回の旅のお土産になりました。

以下に写真を示します。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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邸内の夏の庭に咲いていたアサガオです。田中さんが、これは西洋アサガオなので昼間も咲いていますと言います。江戸時代には無かったと言いたげでした。

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田中邸の説明をする現在の当主です。説明が平易で自慢たらしくありません。人柄が良いのでしょう。

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秋の庭です。深い池と邸宅の一部が見えます。大きな真紅の楓が見事という事でした。

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説明をしている田名さんの様子です。手前の建物は江戸時代の物だそうです。

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博物館の展示物の一部です。

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一針、一針、たんねんに縫い上げた刺繍の見事さに、当時の文化に接したような気分になります。その刺繍をしている職人さんたちの息づかいが感じられるようです。

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上は一番気に入った邸内の風景です。左の倉は酒蔵と味噌蔵だったそうです。右側は穀類を貯蔵する倉のようです。さりげなく置いてある山野草の鉢も趣があります。

須坂藩の田中家とその博物館の詳細は、http://www.tanakahonke.org/outline/にあります。

====田中家とは(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8よりの抜粋)====================

享保18年(1733年)初代当主新八が、現在の地で穀物、菜種油、煙草、綿、酒造業などの商売を創業し、2代当主信十郎信房が田中家の基盤を確立した。

代々須坂藩の御用達を勤め、名字帯刀を許される大地主へと成長し、3代と5代当主は士分として藩の財政に関わる重責も果たし、その財力は須坂藩をも上回る北信濃屈指の豪商となった。

当時の面影を伝える屋敷構えは、約100m四方を20の土蔵が取り囲む豪壮なもので、内部には天明年間(1780年代)に京より庭師を招いて作庭された大庭(またの名を秋の庭という。池泉廻遊式庭園)のほか、客殿や主屋などの建物が軒をつらねており、四季折々の散策が楽しめる。

この土蔵には、江戸中期から昭和までの田中家代々の生活に使用された品々(衣裳、漆器、陶磁器、玩具、文書など)が大変よい状態で残されており、その質と量の豊富さから近世の正倉院ともいわれ、土蔵5棟を改装した展示館では常設展のほか、年5回の企画展も行っている。