(上の写真の出典は、http://gensun.org/pid/86817 です。)
昨日、「風の又三郎」・・・あなたの又三郎、私の又三郎 という文章を書きました。
そしてハッと気がついたのですが、宮沢賢治の作品は彼の心象風景や謎めいた表現が沢山書き込んであります。ですから読む人はその心象風景や謎めいた表現を自分なりに想像してしまいます。
そうすると宮沢賢治の作品は彼から少し離れて、読んでいる人特有のものになるのです。大げさに言えば宮沢賢治の作品は読者の数だけ違ったものになるのです。
今日から始める、連載記事、”あなたの「銀河鉄道の夜」、私の「銀河鉄道の夜」” とはそういう意味を込めているのです。
ですから、私の「銀河鉄道の夜」も、読む自分の年齢にしたがって違ってきます。賢治の作品を何度も読み返している人が沢山いるのはそのせいもあるのでしょう。
そこで筑摩書房の宮沢賢治全集第十巻の中にある「銀河鉄道の夜」をもう一度読んでみました。
第十巻には「ポラーノの広場」、「オッペルと象」、「風の又三郎」、「北守将軍と三人兄弟の医者」、「グスコーブドリの伝記」、「銀河鉄道の夜」、そして「セロ弾きのゴーシュ」が編纂されています。その中で何故か「銀河鉄道の夜」には、私にとって理解できない謎が沢山あって、気になって仕方が無い作品なのです。
しかし最近体力がどんどん無くなってきて、いずれは私もこの銀河鉄道に乗る運命にあると感じるようになって来ました。
自分がこの世と別れて「銀河鉄道」に乗ったと考えて、この作品を読んでみると書いてあることがよく分かるのです。
この作品のあらすじです。
夏の夜空にかがやく天の川には銀河が流れていて、そこに鉄道があり列車が走っているという話です。人間は死んで天に登り、星になる。ですから銀河鉄道の汽車に乗っている人は死んだ人です。
主人公のジョバンニ少年が、星祭りの夜に水死した親友のカンパネルラを探しに行きます。カンパネルラは、水に落ちて溺れそうになっている友人のザネリを助けるために飛び込んで、水死したのです。一方ザネリは助かるのです。
カンパネルラを探そうと暗い丘に登って行きます。そしてジョバンニは、いつの間にか銀河鉄道の汽車に乗っているのです。そして其処でカンパネルラを見つけ、一緒に汽車の旅をします。
その列車にはいろいろな人が乗ってきます。
ただ一つだけご紹介すれば、大きな氷山にぶつかった豪華客船の沈没の時、無理にボートに乗らずに死んでしまった少女と弟がぬれ鼠で乗って来るのです。大学生の家庭教師も一緒です。3人は皆、沈没の衝撃で靴を失い、裸足です。それがいつの間にか温かい柔らかい靴を履いています。それがこの汽車の不思議なところです。童話ですから「タイタニック號」という名前は書いてありませんが、私はそのように想像しています。
最後に、一緒に乗っていたカンパネルラもみんなも銀河鉄道の列車から消えて行きます。ジョバンニは降りて現世に帰る時が来ます。親友のカンパネルラと永遠の別れです。ジョバンニは現世に戻り、病気の母親を助け、真の幸福を求めて元気よく生きて行きます。
この童話の一行、一行がしみじみとしています。一行、一行にこの世の悲しみが滲んでいるのです。涙が出て来るのです。
もう一度読んでみてこの作品のキーは死んでしまった愛する人と再開するという奇蹟です。
再開出来るために重要なのは、ジョバンニとカンパネルラの心温まる強い絆です。
カンパネルラは川に落ちたザネリを救って、自分が死んでしまうのです。友のために死んだ者は天国へ行くのです。
行方不明になったカンパネルラの捜索を見ながら、彼の父が自分の腕時計を凝視して、キッパリ言うのです。「もう駄目です。落ちてから45分たちましたから。」
この一言に父の悲しみが溢れています。
ですからこそジョバンニは死せるカンパネルラともう一度会わねばなりません。
そして銀河鉄道の中でカンパネルラを見つけるのです。(続く)
下に参考記事の一覧をつけました。記事の後にある年月日はこのブログ上での掲載日です。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
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(上の写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/rocky1010akio/folder/1148396.html?m=lc&p=5です。)