後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本は平和で、立派な仏教国・・・イスラム諸国の友好国

2013年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、イスラム諸国は日本の友好国!・・・おまり大きな声では言えない事実 という記事で説明しましたが、日本はほとんど全てのイスラム国家と友好関係にあります。

その理由は、日本は立派な仏教国なので、イスラム圏対キリスト教圏との歴史的な抗争や戦争において中立的立場にありました。

歴史的な抗争の実例の一つは、数多くの十字軍が中近東に攻め込んで、そこに幾つもの十字軍国家を作ったことです。

その他、イベリア半島のスペイン、ポルトガルの領有をめぐるキリスト教側とイスラム勢力の大規模な戦争や、オスマン・トルコの広範囲な占領地の奪還のための大規模な戦争がありました。

その上、欧米諸国が近代技術を発展させ、圧倒的な武力と武器を保有し、イスラム諸国を保護領や植民地にしたのです。それはおもに19世紀の始めから、20世紀の前半分まででした。

その欧米に対抗して日本は第二次世界大戦で大きな損害を与えたのです。

日本は戦いに敗けましたが、それをキッカケにして、第二次世界大戦後にイスラム諸国が独立国家になったのです。

この歴史的な事実をイスラム諸国は感謝して日本と友好関係を維持しているのです。

さてそれでは、日本は本当に立派な仏教国なのでしょうか?

ある統計によると日本には9600万人の仏教徒が住んでいて、75000以上の寺院があり、30万体以上の仏像があるそうです。

これらの統計資料は末尾につけた参考資料に示しました。

しかしこのような統計資料だけで日本は立派な仏教国だと断定するのは早計であり、多くの間違いを生む原因になります。

第一、日本人の多くは、「私は無宗教です」と発言します。ですから仏教徒が9600万人いるなどどいう統計資料は荒唐無稽です。

第二に、「仏教徒」の定義が明確でありません。仏教を信じなくても墓参りをしたり、お葬式は仏式でする人も多いのです。それもこれも含めて全てを仏教徒と言えば9600万人になるのでしょうか。このような統計資料がまかり通っていることは実に浅薄過ぎて、嘆かわしいと思います。

それはそれとして、私はカトリックの信者です。ただ今、日曜日のミサから帰って来ました。

この私のキリスト教の立場から日本人の行動や思考パターンを観察すると、やっぱり、日本は立派な仏教国だと感心し、そして尊敬も致しています。

そこでどのようなことで私が感心し尊敬するかを以下に少し具体的に個条書でご説明したいと思います。

(1)総じて日本人はお釈迦様のように物静かで、優しい気持ちを持っています。

騒がしい議論が好きでありません。これは議論好きの欧米人と付き合ってみるとよく分かります。これは闘争を好まない仏教的な教えの深い影響と考えられます。

(2)栄枯盛衰があることを心の奥で理解しています。ですから人生の絶頂期にあっても高ぶりません。いずれその栄えも過ぎ去ることを知っているのです。奥ゆかしい人が多いのです。これはお釈迦様の教えた、「色即是空」の境地なのです。

日本人は悲劇的な運命の中に居る時でも、「色即是空」を信じていますから動揺しません。悲劇が幸運に変わるための時間の経過を待っています。静かに待つだけです。私は2011年の東日本大震災の後に、そういう日本人をたくさん見ました。尊敬しています。

(3)寺院仏教が嫌いで、住職さんとは付き合わない人でも、両親や祖父母のお墓詣りには多くの人が行きます。その姿は美しいものです。

お世話になった懐かしい両親や祖父母の墓に参るのは仏教的風習として日本人の心に沁みついています。

直接の親や親類でなくても恩人の墓に参る人も居ます。恩を忘れないことは人間の美しい心です。余談ながら、これは欧米人も同じです。

(4)殺生を嫌い、生き物の命を大切にします。食べるために必要な場合を除いて生き物を殺すことに抵抗感があります。

必要があって殺した魚や鯨の供養塔を建て、彼等の許しを乞い、冥福を祈ります。

これこそお釈迦様の殺生を禁じた教えを実行しているのです。

(5)家々に仏壇があります。毎日そうしない人でも、春秋のお彼岸やお盆にはローソクや線香をあげます。お盆には迎え火や送り火を焚きます。先祖の霊を迎えるために特別な提灯を縁先に出す人もいます。

亡くなった懐かしい人々を絶対に忘れないというこの仏教的な風習は美しい風物詩です。

(6)日本人のお葬式では和尚様が来て、お釈迦さまの教えを書いた「お経」を読んでくれます。そして死者をお釈迦様のほうへ送り出してくれます。

残された家族の悲しみがやわらぎます。お釈迦様の慈悲の心が悲しみにくれている人々の上に注がれます。

(7)「私は無宗教です!」と大きな声で言う人も、よく話してみると仏教の影響を深く受けていることが多いのです。

心の中ではお釈迦様を信じたいと思っているのです。日本人が、「私は無宗教です!」と大きな声で言う場合の多くは、「てれかくし」でそのように言うのです。詳しく話してみると、「ああ、なんと立派な仏教徒なのか」と感心することもあります。

私は77年間、この日本に生きていて、しみじみ日本は平和な仏教国だと思います。特にカトリックの信者になってから日本人を誇りに思うようになりました。

仏教は宗教戦争をしません。現在、世界でおきているイスラム圏と欧米の間の抗争や戦いが無くなり平和な世界が来るようにお祈り申し上げます。

下に法隆寺の写真をお送りします。

N461
上の写真の出典は、http://blog.daum.net/yh550313/868です。

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上の写真の出典は、http://blogs.yahoo.co.jp/consulting012/37610484.htmlです。
=======参考資料======================

日本の仏教http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99

日本は統計的にみて約9600万人が仏教徒であり、全世界で3億数千万人程度が仏教徒とされていることを考慮しても、やはり一大仏教国である。約7万5000の寺院、30万体以上あるといわれる仏像は、他の仏教国と比べても桁違いに多い。世界最古の木造寺院法隆寺があり、最古の仏典古文書も日本にある。

現在の日本の仏教の概略について解説すると、文化庁が編纂している「宗教年鑑」などの統計によると、現在の日本の仏教徒の大半はいわゆる鎌倉仏教に属している。浄土宗系(浄土真宗)の宗派と日蓮宗系の宗派が特に大きな割合を占めており、大乗仏教が特に多いと言える。

  • (1)法華系(鎌倉仏教法華系)
  • 日蓮宗 開祖は立正大師「日蓮」、本山は身延山久遠寺ほか

    (2)浄土系(鎌倉仏教浄土系)

    浄土宗 開祖は円光大師「法然」(源空・黒谷上人・吉水上人とも)、本山は華頂山知恩院・報国山光明寺(粟生光明寺)・聖衆来迎山禅林寺ほか

    浄土真宗 真宗・一向宗とも 開祖は見真大師「親鸞」(親鸞聖人)、本山は龍谷山本願寺(西本願寺)・真宗本廟(東本願寺)ほか

    融通念仏宗 大念仏宗とも(平安仏教系との考えも)開祖は聖應大師「良忍」、本山は大念仏寺

    時宗 開祖は証誠大師・円照大師「一遍」(一遍上人・智真とも)、本山は藤沢山清浄光寺(遊行寺)

    (3)系(鎌倉仏教禅系)・禅宗

    曹洞宗 開祖は承陽大師「道元」(道元禅師)、本山は吉祥山永平寺・諸嶽山總持寺

    臨済宗 (日本における)開祖は千光国師栄西」(栄西禅師)ら、本山は建仁寺円覚寺妙心寺東福寺ほか

    黄檗宗 旧臨済宗黄檗派 開祖は真空大師・華光大師「隠元」(インゲン豆の語源)、本山は黄檗山萬福寺

    日本のキリスト教http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99

    日本国内ではキリスト教の信徒数は約260万人程度であり人口比では明治維新以後に1%を超えた事は無く(日本におけるカトリック信徒の人口比率は0.3%程度であるが長崎県では約4%である)[17]神道約1億600万人あるいは仏教約9,200万人という数字に比すと少数派である。G8の国々の中で、人口構成上キリスト教徒が多数派でない国は東アジアの一員である日本だけという特徴がある。なお、これらの信徒の数を単純に合計すると日本の人口を遥かに超えるが、これは各宗教による自己申告の数値であり、また、1人が複数の宗教に帰属することによる重複があることも1つの要因と考えられる。

    日本では、行政や文化政策において、国民の信仰が何であるかということは重要視されていないため、詳細な統計は行われたことがない。そのため、日本国内のキリスト教徒に限らず、神道、仏教なども含めて、全宗教の正確な信徒の数は不明である。

    日本国内ではキリスト教の信徒数は約260万人程度であり人口比では明治維新以後に1%を超えた事は無く(日本におけるカトリック信徒の人口比率は0.3%程度であるが長崎県では約4%である)、神道約1億600万人あるいは仏教約9,200万人という数字に比すと少数派である。G8の国々の中で、人口構成上キリスト教徒が多数派でない国は東アジアの一員である日本だけという特徴がある。なお、これらの信徒の数を単純に合計すると日本の人口を遥かに超えるが、これは各宗教による自己申告の数値であり、また、1人が複数の宗教に帰属することによる重複があることも1つの要因と考えられる。

    日本では、行政や文化政策において、国民の信仰が何であるかということは重要視されていないため、詳細な統計は行われたことがない。そのため、日本国内のキリスト教徒に限らず、神道、仏教なども含めて、全宗教の正確な信徒の数は不明である。

    ==========参考資料終わり================


    竹内義信著、「イタリアの魅力とその混沌」(4)確かな仕事をするイタリア人管理職

    2013年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

    混沌(Caos)のイタリアとは対照的に、シッカリした確実な仕事をするSicuraなイタリア人も見られます。イタリアは2000年の歴史を持ち、明治維新と同じ頃の1861年のRisorgimento(イタリア国家統一運動)以後、近代ヨーロッパの列強に伍して、引けを取らずに第一次、第二次世界大戦を切り抜けて来た手腕は見上げたもので、シッカリ(Sicura)した面があります。

    先ず、外交手腕は見事なものです。流石マキャヴェッリを生んだマッキャヴェリズムの国なのです。第一次世界大戦では、ドイツ、オーストリアとの同盟国でしたが、中立を守って参戦しませんでした。しかし、ドイツ、オーストリア側が形勢不利と見るや、英国、フランスと密約して、同盟国のドイツ、オーストリアに戦争を仕掛け、一応戦勝国になってしまい、近接領土とアフリカ植民地の拡大に成功しました。<o:p></o:p>

    第二次世界大戦でも、有名な日・独・伊の三国同盟の一員でありながら、また日和見を決め込み、フランスの敗北が必至と見るや、開戦後10カ月たってから、ドイツ側に立って参戦しました。しかし、ドイツ降伏の一年以上前からドイツ危うしと見て、終戦工作を始めました。1943年1月に国王がムッソリーニの解任を決定し、半年後の7月にはムッソリーニを倒して連合国に降伏し、10月にはドイツに宣戦布告をしました。敗戦を予測して、終戦処理をしてしまった訳です。同盟国のイタリア、ドイツが降伏しても一国で世界を相手に戦争を継続した(止められなかった)日本とは大違いです。やっぱり、マッキャヴェリズムの国であり、見事な外交手腕です。<o:p></o:p>

    次は管理職のシッカリしている面を取り上げます。その前にイタリアの公務員は、戦後のキリスト教民主党と共産党の蜜月時代に制定された労働基準法による労働協定に守られストライキは出来ますし、欠勤の手続きは簡単で怠けます。勤務時間がいい加減で昼休みに帰宅したら午後には出て来ません。午後はサイドビジネスに精を出します。給料が安いからだと言うのですが、悪循環です。

    しかし、給料は安いけど仕事が楽だから、南部イタリアの人達には公務員は人気があります。北の人達は政府が南の人間を雇うから、役所の能率が低下するのだと嘆いております。ところが、公務員でも管理職は違います。午後5時にはまた出勤して来ます。管理職はシッカリ働くのです。役所に近い大企業でもそうです。総合化学会社のモンテエジソンの研究所長とか研究本部長にアポイントを申し込みますと、なんとアポイントは午後7時なのです。

    モンテエジソンの本社ビルは大きくて有名なのですが、午後7時前に行くと10階から上の何階かの窓だけが電気がついています。守衛にProf.Colomboに会いに来たというとエレベーターまで連れて行ってくれます。このように管理職がシッカリしているからイタリアは動くのです。

    「ローマ人の物語」を書いた塩野七生さんが30年前に「海の都の物語」を書きました。海の都というのはヴェネチアのことで、13世紀から15世紀にヴェネチア共和国が栄えたのは、「エリートがエリートの役割をはたした」時期と一致するそうです。ノブレス オブリージ(高い身分のものは身分にふさわしい振る舞いをしなければならない)なのです。イタリアには今でもこの思想が残っているようです。(続く)

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    上と下のミラノ大学の写真の出典は、http://41893773.at.webry.info/200908/article_32.htmlです。

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    竹内義信氏の略歴:1958年、東北大学、応用化学科卒業。1960年大学院を修了。総合化学会社の帝人の研究所に就職。その研究所が彼の生涯の仕事場になったのです。その研究所からアメリカの大学へ留学し、博士号をとります。そして帰国後数年してから、今度はイタリーのミラノに派遣され4年間在住しました。大会社の研究所にいる優秀な研究者がよくたどる経歴でした。