後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

江戸落語の悲しみ・・・貧乏話、吉原遊びなどなど

2013年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、新宿の紀伊国屋ホールでの落語を聞いてきました。話には貧乏な長屋の家主さん、賢くない熊さん、八っつん、物知りのご隠居さんが必ず出て来ます。

私は聞いてて何故か悲しくなってきました。

長屋の生活があまりにも貧乏なのです。しかし住んでいる人々の人情は篤いのです。なにか切々とした人生なのです。可哀相なのです。

そして熊さん、八っつんの愚かぶりが人々の笑いを誘うのです。

それは吉原などの江戸落語の多くの話に共通なものです。

下に昨日の紀伊国屋ホールの入り口の写真と小遊三さんの写真を示します。

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予定では桂歌丸さんの真景累ケ淵という江戸時代の傑作落語の第六話と第七話が出るはずでした。

しかし持病の肺気腫が悪化して急に入院したのです。

代役に柳亭市馬、桃月庵白酒、三遊亭小遊三の3人が出ました。3人ともベテランの話上手で充分楽しめました。特にトリの小遊三の「千早振る」はよく知っている噺ですが、所々に現在の話題を取り入れて大変面白かったです。

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さて私が悲しく思った理由は、この芸能がすたれて無くなってしまいそうだからです。

会場の席が80%位しか埋まっていません。観客が高齢者ばかりで、若者が居ません。会場の紀伊国屋ホールが古すぎて椅子も狭くて侘しいのです。最近の映画館の椅子や内装が豪華なだけに一段と見劣りがします。

昔はラジオ寄席という番組があったりテレビにも落語をジックリ聞かせる番組があったものです。

柳家金語楼や可笑の芸はラジオでさんざん聞きました。

桂文楽も古今亭志ん生の至芸もテレビでジックリ見ました。

柳家小さんや林家三平や立川談志の落語、そして上方漫談の横山やすし、きよしのような名手たちの芸を何度もテレビで見聞きしたものです。

現在、テレビで唯一あるのは桂歌丸が司会し、数人の落語家が出演する「笑点」という30分の番組が週に一回あるだけです。

落語や上方漫談の凋落にかわって吉本興業の「お笑いタレント」の隆盛があります。そのテレビ番組は毎日のようにあります。

この「お笑いタレント」達の芸は長年磨き上げた芸でなく、思いつきの芸なのです。

ですから消えてなくなるのも一瞬です。

こんな風潮を悲しく思います。悲しく思う私が年を取りすぎたのでしょう。

老人の愚痴で失礼しました。(終わり)


ヨーロッパ文化の闇(2)ユダヤ人排除と殺戮はヨーロッパの伝統文化

2013年10月30日 | 日記・エッセイ・コラム

キリスト教徒はイエス・キリストを十字架にかけて殺したユダヤ人を憎んでいます。自分たちの守護者のイエス様を残酷にも十字架にクギで打ち付け、死ぬのを待つ方法で殺したのです。

国土を持たぬユダヤ民族はヨーロッパ全域とロシア西部に流れ、キリスト教徒の中に混じって暮らすことになったのです。

思慮の浅い一般大衆は何か騒乱が起きると、その度にユダヤ人を殺すのです。

戦争行為も人間の文化という広義の定義を用いると、ユダヤ人殺戮はヨーロッパの伝統文化の一つなのです。

しかしこのような人間の本性はヨーロッパ人に限りません。

戦争や暴動が起きると、人間の人格が破壊され手近かにいる弱小民族を殺戮するのです。日本でも大正時代の関東大震災のとき、パニックになった群衆がデマに踊らされ、多数の朝鮮人を虐殺したのです。

さてヨーロッパ人のユダヤ人殺戮の例を考えて見ましょう。

よくヒットラーだけを悪者にして、600万人余のユダヤ人を殺した事件を非難する人がいます。それは浅薄な見方です。

数こそ多くはありませんが、ユダヤ人の殺戮は長い歴史のなかで連綿と繰り返されてきたのです。

例えば1096年にヨーロッパを出発した民衆十字軍はエルサレム奪回の途上で、次々と各地のユダヤ人を殺戮しながら遠征して行ったのです。それは第一回十字軍の遠征前のことでした。

Peter_the_hermit1(左の絵は隠者ピエールに率いられた民衆十字軍)

この民衆十字軍はフランスの隠者ピエールの扇動的な演説で、4万人もの民衆がエルサレムをイスラム教徒から奪い返すために出発したのです。
各地でユダヤ人を見つけると虐殺しながら、ハンガリー王国やビザンツ帝国内を占領し、小アジアに上陸したのです。

しかし所詮は烏合の衆です。セリジューク朝の軍隊に蹴散らされ、遠征に参加した民衆はイスラム教徒の奴隷になったり、殺されてしまったのです。

彼等の唯一の戦果は各地でユダヤ人を殺戮したことだけでした。

このようなユダヤ人の殺戮はヨーロッパ各地で戦乱や飢饉が起きるたびに繰り返されてきたのです
これは輝かしいヨーロッパ文化の「闇の半面」にある一つの伝統文化なのです。

ですからヒットラーのホロコーストはこの伝統文化の故に起きた悲劇だったのです。

ユダヤ人の大量殺戮はおもに東ヨーロッパとドイツ占領地域のロシアで起きました。

600万人とも言われるユダヤ人の大部分は東ヨーロッパとソ連西部地域から狩り集められたのです。

この大量殺戮は、そこに住んでいたキリスト教徒の協力があったればこそ可能だったと考えるのが自然です。

ヒットラー個人にだけ罪を負わせるのは行き過ぎと考えるのが公平な見方でしょう。

一体、東ヨーロッパやソ連のドイツ占領地域では何が起きたのでしょうか?少し冷静に、そして客観的に考えてみたいと思います。

我々日本人は東ヨーロッパ諸国の歴史や文化にあまり興味がありません。明治維新以来の富国強兵の為に役に立たない国々であった為です。

我々日本人は東ヨーロッパ事情に興味が無かったのです。

従って、私は何故、アウシュヴィッツ強制収容所がポーランドに存在したか?その理由が理解出来ませんでした。

しかしポーランドには一番多くユダヤ人が住んでいたのです。270万人以上です。

ヒットラーがユダヤ人絶滅戦略の為には、まずポーランドのユダヤ人を殺すのが一番効率の良い方法です。

そしてソ連のドイツ占領地域やハンガリーやチェコスロヴァキアなどに多くのユダヤ人が住んでいたのです。

他の地方のユダヤ人は数も少なく、集める労力がかかり過ぎます。従って結果的に殺戮率も少なくて終りました。

それに比べて、ポーランドのユダヤ人は99%殺されたのです。

ヒットラーによって殺されたユダヤ人は600万人と言われています。その出身国を以下に示します。ポーランド、ソ連、ハンガリーがば抜けて多いことにご注目下さい。

その原因はユダヤ人の人口が東ヨーロッパからウクライナ、ベラルーシ、ロシアに多かったからです。西ヨーロッパ諸国ではキリスト教徒による歴史的な迫害が続いたので東のヨーロッパ地方へ逃げて、移住して行ったのです。

ヒットラーの殺戮が始まると、その地域のキリスト教徒もユダヤ人の逮捕と収容に協力したのです。

・・・・・・・・「ドイツ人に殺されたユダヤ人 の出身地」・・・・・・・・・・・

ドイツ: 165,000人 、オーストリア: 65,000 、フランスおよびベルギー: 32,000 、オランダ: 10,000以上 、ギリシャ: 60,000 、ユーゴスラヴィア: 60,000 、チェコスロヴァキア: 140,000以上、ハンガリー: 500,000 、ソ連: 2,200,000 、ポーランド: 2,700,000 人。(数字の出典:Wikipediaの「ホロコースト」の項目より)

さて私はカトリック教徒です。そしてアウシュヴィッツ強制収容所のあったポーランドは カトリック国です。ですからこそ最後に一言書かざるを得ません。

イエス様はユダヤ人を殺せとは絶対に言いませんでした。「汝の敵を愛せ」と言い、「汝の隣人を愛せ」と言ったのです。そして異教徒のサマリア人を尊敬した言葉も伝わっています。

ヨーッロッパ人がユダヤ人を殺すのはイエス様の教えに反するのです。それはキリスト教へ対する反逆行為なのです。ですから私はそれを「ヨーロッパ文化の闇」の一つと言うのです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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(この教会の写真の出典:http://free-photos.gatag.net/2013/06/18/140000.html