後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

白樺の木への憧れ・・・清春白樺美術館と遥かヨーロッパへの憧れ

2014年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

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(岡山県真庭市蒜山高原http://www.mapple.net/photos/H0000053741.htm より転載しました。)

まず上の白樺林の写真をご覧ください。白樺がのびのびと成長している美しい風景です。

白樺林は日本の高山地帯にもあります。しかし私の心象風景では白樺林はロシアやヨーロッパにあるロマンチックな風景として存在しています。

私はそんな白樺林が大好きです。

そこで今日は他愛もない軽薄な思い出を書いて見ます。お読みになるほどの内容ではありません。

読むのを省略して、下に示した山梨県清春美術館の白樺の写真などをご覧ください。あなたが白樺をお好きならお楽しみ頂けると存じます。

それはさておき、白樺と言えば、昔私が青年だったころのロシア文学や遥かヨーロッパへの甘い憧れを思い出します。

美しい白樺林の広がるロシアの大地に生まれたのがロシア文学です。ツルゲーネフやトルストイやチェエホフやドストエフスキーなどの作品が明治から大正時代に翻訳され一世を風靡した時代があったのです。そして人々はロシアの向こうにある遥かなヨーロッパをも憧れたのです。ヨーロッパ文学も数多く翻訳されたのです。

よく考えてみると日本人の白樺好きは、大正ロマンの白樺派の影響にもよると思います。

大正時代(1912年から1926年)とは、日清戦に勝ち、日露戦争でロシアを破り、第一次世界大戦では戦勝国側についた日本が隆盛した時代でした。

戦勝で、経済に余裕の出来た人々が芸術を愛したり、享楽的な楽しみををしたのです。それは激しい戦争が続く昭和時代になる前のほんの束の間のことでした。

そんな頃、学習院の卒業生たちが「白樺」という同人雑誌を作ったのです。この「白樺」を中心にして集まった作家や画家の一派を白樺派と言います。

清春白樺美術館はこの白樺派の人々の作品が蒐集・展示してある高原の美術館なのです。この美術館は小生の山の小屋の近辺にあるので何度も訪問しています。

そこで以下に先週撮って来た写真を示し、簡単な紹介文を記します。

白樺派の武者小路実篤、志賀直哉、里見弴、有島武郎や長与善郎などが、人間賛歌,理想主義、楽天主義の作品を発表したのです。ロダン、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンなどの西洋の美術を賛美し、日本へ紹介したのです。

それに賛同した梅原龍三郎、岸田劉生、中川一政などの画家が「白樺」の装丁をしたり、文章を寄稿したりして協力しました。

このように「白樺」を中心にして集まった作家や画家の一派を白樺派と言います。

彼等の良い点は何と言っても人間の自由、個人の尊厳、そして平等などを歌い上げたことにあります。現在の日本の民主主義へつながる考え方を提示したのです。

しかし、彼等はみな学習院出の上流階級でした。実社会の苦しみを知らずして、理想だけを追求したのです。そしてその理想主義の声は大正時代の若い青年達の心に深い影響を与えました。

そんな時代の白樺派の絵画や雑誌、「白樺」を展示している美術館が山梨県の北杜市の清春白樺美術館なのです。

銀座の吉井画廊の社長の吉井長三氏が1983年に作ったのです。谷口吉郎氏の設計した瀟洒な建築です。

吉井氏は梅原龍三郎、岸田劉生、中川一政などと親交が深かったので自然にそういう流れになったででしょう。そして吉井氏はルオーの宗教画が好きだったらしく実に多数のルオーの絵画が展示してあります。

以上は清春白樺美術館の簡単な紹介です。

しかし全国を旅してみると美しい白樺林は各地にあるのです。北海道はもとより本州の高原にも広がっています。上高地や軽井沢、そして富士山の高いところには美しい白樺林があります。しかし私の青年のころは日本が貧しい時代でしたので日本に白樺林があるとは知らなかったのです。無知でした。無知のおかげで白樺からロシア文学やヨーロッパの風景を連想し、それが自分の心象風景になっているのです。若い頃心のフィルムに焼付いた風景や連想は老境にいたっても消えないようです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。

後藤和弘(藤山杜人)

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