(上の写真と下の2枚の写真は私の好きな鎌倉の円覚寺の風景です。出典は、http://www.engakuji.or.jp/gallery/です。)
私は哲学的な疑問や迷いに遭遇すると仏教の教えを考えます。
この世の悲劇や不運に遭遇するとカトリックの信仰にすがり、イエス様の愛を信じます。そうすると少し心が救われるのです。
ですから私にとって仏教はどちらかと言うと哲学であり、カトリックは私の信ずる宗教ということになります。しかしこのように明確に分離出来ないで、その境界は曖昧です。ですから私は混淆信仰と思っています。
どちらかを切り捨てなさいと命令する人がいれば困るのですが、そんなことを言う人に会ったことがありません。
このようになったのは私の個人的な経験が原因になっていると思います。
私の父方の祖父は兵庫県の宝塚から能勢電鉄で入った山の村落のお寺の住職をしていました。それは曹洞宗の正林寺というお寺でした。その祖父は戦前に亡くなり、父の弟が後を継ぎました。その祖父の戒名は高天秀嶽大和尚といいます。
昭和11年生まれの私は毎年、夏になると一家でそのお寺に帰省し、お寺の暮らしを体験しました。
左がそのお寺の鐘楼を見上げた光景の写真です。
お寺の暮らしが珍しい上に、お盆には施餓鬼供養という一大イベントを毎年見たのです。近隣のお寺から多くのお坊さんが集まって、本堂でお経を唱和し、そして銅鑼を鳴らしながら輪になって歩き、お経を唱えるのです。
そして叔父の住職さんと一緒に小坊主の法衣を来て、村落の一軒、一軒を回り、お盆のお経を詠んだのです。
私はこうした宗教的体験をしたのです。
その後成長していろいろな本を読みました。
そして日本の隠れキリシタンの歴史に感動し、35歳の時カトリックになったのです。
それ以来40年以上、毎週の日曜日にはミサに参加しています。
少年の頃に仏教的体験をしているので、私のカトリック信仰の内容を考えてみると、仏教の影響を深く受けていることに気がついています。それが自然なのではないでしょうか。
そもそも1549年にザビエルがカトリックを持ち込んで以来、数々の宣教師が日本の文化的土壌を重視し、現地順応主義をとりました。戦国時代末期に長く日本で活躍したヴァリアーノ神父も順応主義でした。
当然のことながら日本のカトリックの信仰の内容はヨーロッパや南米のものとは違います。
教理や教義は世界共通ですが、信じる人々の心の動きが違うのです。国々によって文化的な土壌が違うので自然にそのようになります。
日本が中国から道教を受け入れた場合にどのように変化してきたかを考えて連載記事も書いてきました。道教も日本に入ると神道や仏教と混淆するのです。
異なった宗教の習合や混淆はどこの国でも起きますが、日本のそれは程度が激しいように思われます。そして大乗仏教的になるのです。神仏混淆も普通です。
このような文化的土壌のある日本ではキリスト教も例外ではありません。
教理や教義は変更しませんがその信仰内容が以下のように変化しています。
(1)先祖崇拝を否定しない。
(2)仏教的文化土壌に根着くためにはキリスト教の排他性を弱める。
しばしば意図的に、「キリスト教は排他的で、戦争の原因になっている!」と言う人がいます。この言い方は雑過ぎます。「十字軍が活躍した中世のヨーロッパのキリスト教は排他的で、戦争の原因になっている!」と言い直すべきです。
イエス様の教えたことは愛と平和の重要性でした。
ついでに書きたいことがもう一つあります。よく受ける質問です。
「私だけが洗礼を受けると先祖はみな地獄に行くのですか?子供が洗礼を受けたがりませんが、やはり地獄へ落ちるのですか?」
私は確信して答えます。「神様の愛は人間が想像出来ないくらい大きいのです。先祖様のことも子供のこともすべて神様に任せなさい。神様やイエス様は絶対に悪いようにはしない筈です。地獄などへ行くはずがありません!」
そして、こんな質問も受けます。「洗礼を受けたら仏式のお葬式や法事には出られなくなりますか?」
私の答えは簡単です。「従来通り出て下さい。欠席して親類や友人、知人の心を傷つけてはいけません」。
イエス様の教えたことは愛と平和なのです。
上と下に私の好きな鎌倉の円覚寺の風景写真を3枚お送りします。(連載はまだ続きます)
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
・