後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

趣味としての宗教あれこれ(8)ヨハネ・パウロII世は日本へ一巡礼者として来た

2014年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム

Papa0311 ヨハネ・パウロ2世は法王として初めて日本を訪問しました。

日本語を勉強してからやって来たのです。

日本のカトリック信者の指導のためという訪問目的は一切言いませんでした。

江戸時代に殉教した全ての人々の霊に祈る巡礼の旅だと言うのです。ですから長崎へ行ったのです。

そして長崎にはアウシュビッツで友人のために命を捧げたコルベ神父が働いていた修道院を訪問し祈ったのです。

その姿勢はカトリックの一信者として巡礼をしている姿でした。その謙虚さに多くの日本人が感動しました。

左の写真は1981年にローマ法王のヨハネ・パウロII世が日本に来た時の写真です。

キリシタン殉教の地、長崎へ巡礼に行き、その折に長崎教区の神学生を神父に叙階する式をしてくれたのです。神学生の頭の上に手を置いて、叙階をしている写真です。

1981年の日本訪問の折には昭和天皇に会い、広島や長崎や東京で大規模なミサを開催しました。仏教界の代表者とも懇談しました。

日本でのミサは全て完璧な発音の日本語でしたのです。ただし発音だけで、意味は分からないと自分でも言っていたそうです。

昨日、ヨハネ・パウロ2世がカトリック教会の犯した大罪に対して謝罪したと書きましたが、書き落とした謝罪項目を以下に追加しておきます。

(1)フィリッピン、中南米に対して剣と武力を用いてキリスト教を広めた罪を謝罪した。 また十字軍の戦いも武力を用いた罪を認め謝罪した。 

(2)第二次対戦中ナチスドイツの占領地での大量虐殺へ対してキリスト教が十分な抵抗をしなかったことを認め謝罪した。(私が追記すると、ソ連領内に侵攻したドイツ軍は1000万人のロシア人を殺戮したのです。)

(3)ドイツのユダヤ人への差別虐殺の責任の一端はキリスト教会にもあると認め謝罪した。

それはそれとして、ついで日本人の代表的なカトリック信者の高山右近にについて書いて置きます。

彼は武力で成り上がってきた猛々しい戦国武将です。終いには高槻城を有する大名になりました。しかし一旦カトリックを信じた以上節を曲げません。秀吉は、「棄教しなければフィリピンへ追放する」 と脅かします。

権力も財産も捨てて、彼は悠然と帆船に乗り込みフィリピンへ行きます。武力で秀吉へ抵抗して討ち死にするのが武士道の筈です。それをしないで平和的な道を選びました。フィリピンでは大歓迎されたようですが、一年後に病死したと伝わっています。

昨日、ヨハネ・パウロ2世の列聖の記事を掲載しましたところ、反響が大きかったので、追加としてこの記事をお送りしたと思います。(終わり)


都会の中の孤独死、過疎の山村での孤独死・・・孤独感の克服

2014年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム

あなたは孤独が怖いですか?私は怖いです。孤独な状態になることを恐れています。

ですから新聞で時々、都会の中の孤独死の記事を見るとそれは大きな悲劇だと暗い気持ちになります。一方、過疎の山村での孤独死については新聞に出ません。ニュースにならないのです。

都会の孤独死は周囲に数多くの人間が生活しているのに独り死んで行く人に声もかけないという都会の冷たさが問題のようです。それでニュースとして取り上げられるのでしょう。

しかし独りで住んでいる老人の孤独感は本人の心の持ちようでやわらげることが出来るのです。そして周囲の人の笑顔で変わるのです。

実例を2つだけ書きます。

(1)都会の中の孤独死の場合

まず本人が孤独だと閉じこもらないことが一番重要です。

私の近所に独り住まいの老人が居ました。白い犬を飼っていた男性です。彼は毎日、両隣の家の前の落ち葉やゴミを掃いていました。

当然、近所の人々がご苦労さまと声をかけます。彼はニコニコ笑って、チョットだけ談笑します。そして独りで旅立って行きました。

その後その家には姪が移り住んできました。そしてその姪も両隣りの門前を掃くのです。私がおじさんもそうしてくれたので感謝していましたと言います。すると彼女は近所の人々に暖かくして貰って伯父は幸せだとよくいってましたと言うのです。

都会での孤独死の孤独感は、このようにしてやわらげることが出来るのです。本人が閉じ籠ってしまっては、周囲の人々はどうすることも出来ないのです。

新聞では役所が面倒見るべきだと非難しますが、それは本人と近所の人々の問題のように思います。

(2)過疎の山村での孤独死の場合

過疎の山村では近所に人は居ません。いるのはイノシシやシカやサルだけです。そして小鳥やキジがさえずっているだけです。孤独と言えば完全に孤独です。

しかし人間が訪問すると嬉しそうにしてくれます。

私の山林の中の小屋の周囲に4人の老人がまったく独りで住んでいます。そのうち2人は旅立っていきました。自然が好きでしたので幸せそうな晩年でした。

亡くなった2人は大工さんと共産主義者でした。私は山の小屋に行くたびに何度もこの4人の家に寄りました。

寄ってもたいした話はしません。山の天候のことと花々の事を少しだけ話します。今年はイノシシは暴れませんかなどと聞くだけです。

山に離れ離れに独り住み、人間にはめったに会わないので、こんな見苦しい私が行っても嬉しそうにしてくれます。ですから私も嬉しくなります。元気になります。

買い物には苦労していますが、宅急便で取り寄せたり、キノコや野菜をつくって食べています。

こういう山村に、一人暮らしている人々は孤独死は覚悟しています。すがすがしいくらい覚悟しています。

それにしても、その孤独感はやわらげるほうが良いと思います。ブログを書いている人もいます。コメントを投稿するのも良いと思います。

しかし山の独り住まいの人々には都会とは違った苦しみや悲しみがあるのです。そこを深く考えることも重要ではないでしょうか。

さて表題には・・・孤独感の克服と書いてあります。その一つの方法は、このブログで再三書いているように宗教を趣味にすることです。

するとどんな孤独な状態でもそばにお釈迦様が居て下さるのです。そばにイエス様が立っていて下さるのです。

そんな感じが致します。人間は弱いので確信は出来ません。しかし一瞬でもそのように感じられれば、それが孤独感の克服なのです。

お墓参りも良いし、お寺や神社に散歩に行くのも良いものです。あるいは教会のミサを見に行くのも良いと思います。

とにかく宗教を趣味のように考え、気軽に近づくのも良いと思います。

それが孤独感の克服につながれば、それも良いではありませんか。

下に孤独だと思い込んでいる方々へ花園の写真を3枚お贈りいたします。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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