外国の川でなじみがあるのはライン河です。
もう昔のことですが、1969年から1970年にかけてライン川の支流のネッカー河沿いのシュツットガルトに住んでいました。週末にはライン河を渡るフェリーに車ごと乗ってフランスのストラスブルグへ遊びに行ったり、ライン河の源になっているボーデンゼーという湖でボートを漕いだり、泳いだりしに何度も行ったのです。
そこで今日はライン河について書いてみたいと思います。
少し大きな視野で考えると、ヨーロッパの大都市は大部分大きな河のほとりに発達しているようです、テムズ河のロンドン、セーヌ河のパリ、ドナウ河のウイーンなどと同じようにライン河沿いにはデュッセルドルフ、ケルン、ボン、フランクフルト(マインツ河との合流地)、マンハイム、カールスルーエ、コブレンツ、などなどのドイツ西部の大都市が連なっています。そしてその支流沿いにはマルクスの生まれたトリアーやベンツの本社があるシュツットガルトもあるのです。
ヨーロッパの河は昔から水量豊かで船の航路として重要だったので、その沿岸に都市が栄えたのでしょう。
現在でもライン河は物資輸送の大型貨物船の往復が盛んで、その合間を縫うようにして小型の客船が行き来しています。下の写真は多数の車を積載した大型輸送船の写真です。
(写真の出典は、http://matome.naver.jp/odai/2126984196219918001/2126985446420986403 です。)
ライン河の輸送船は車に限らず燃料油、木材、機械部品、農産物などあらゆる物資を運んでいます。その様子を見ているとヨーロッパでは中世の運河がまだ生きていると不思議な感慨を覚え、感動します。
さてこのライン河の特徴はその源がスイスに横たわっているボーデンゼーであると誰もが認めていることです。下にその風景写真を示します。
(写真の出典は、http://www.letsswiss.com/archives/category/spot/hiking/page/2 です。)
このボーデンゼーは琵琶湖とほぼ同じ面積の広大な湖で、その水源は上の写真のようなスイスアルプスの雪解け水です。ですから何処が本当の水源なのか特定出来ないのです。
この広大なボーデンゼーの沿岸地帯にはチューリッヒやべグレンツという大都会があります。ですからライン河の大型輸送船がこの湖まで遡って来れればスイスも大工業国になったに相違ありません。
しかしボーデンゼーの出口のシャッハウゼンにはラインフォールという大瀑布があって船は遡れないのです。下にこの大瀑布の写真を示します。
(写真の出典は、http://jp.bloguru.com/advroad2/query/?pg=38&category=1 です。)
このように書いてみるとヨーロッパの河と日本の川の大きな相違が明快に理解出来ます。日本の川はおもに水田や畑作の灌漑用の水として用いられ、かの地の河は物資や人の運送に利用されてきたのです。
それはさておき最後にライン河の水に手を漬けた思い出を書きます。それは1970年の6月のことでした。当時の西ドイツのハイネマン大統領が主催して、フンボルト留学生の歓迎会がライン河の岸辺の大統領邸でありましたした。
家内と子供2人の家族連れで出席しました。その折、邸宅の庭がライン河に面していて芝生の端を川波が洗っていたのです。雪解け水で増水していて芝生に植えた白樺林の中を川水が流れていたのです。歩み寄って、ああ、これがライン河の水だと手を漬けました。氷のように冷たい水でした。翌日は大きな観光船に招かれてライン下りをして、古城や関税所を見たのも良い思い出です。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)