後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

趣味としての宗教あれこれ(13)本当に悲しいときは宗教は無力

2014年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

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(上の鎌倉の質素なお寺、明月院の開山堂です。私が好きなお寺です。写真の出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%9C%88%E9%99%A2です。)

老境に至ると知人友人の死に直面することが多くなります。

お世話になった方。幼少の頃可愛がってくれた人。親切にしてもらった近所の方々。生涯を通して親友であり大切だった人。兄弟姉妹の関係だった人。愛する親子の関係にあった人。妻や夫として一生を一緒に過ごした人。

旅立った人々とのこの世での関係はさまざまです。

どのような方でも亡くなれば、「ご冥福をお祈りします」と言い、亡くなった人の冥界での幸福をお祈りいたします。

お祈りすることは人間の美徳です。その祈る姿を故人は空の上から見て幸せな気分になります。そしてただ祈るだけでなく、その故人の死に本気で寄り添うことが重要なのです。

死に寄り添うとは、故人の全てを許し、同情することです。そして自分がどのように行動すれば故人が喜んでくれるかという視点から深く考えることが一番重要なことです。

愛する家族が急に亡くなったからといって何時までも悲嘆に暮れていたのでは故人は幸せになれません。

何故、急に亡くなったかとその原因をくよくよ考えたりすると自分も傷つけることになります。故人は決してそれを望んでいません。

お墓参りをしたり、綺麗なお花を供え、線香を上げるのは良いことです。そしてそれをしながら故人と会話をします。一体どのような行動をしたら故人が喜ぶか聞いてみるのです。気が動転して変なことをしていないかも故人へ聞いてみると良いものです。

返事をしてくれない故人との会話で一番重要なことは故人があの世で生きていて、空の上からいつも自分を見守っていてくれていると信じることです。信じれば答えが聞こえてくるのです。

よく仏教を知っている人が言います。人の生も死も一切が空です。ですから悲しむことは愚かですと言います。あるいは故人がキリスト教徒だった場合にはイエスさまが天国に上げて下さるから心配要りませんなどと言います。

しかしそんなセリフは遺族へ言ってはいけません。本当に悲しんでいる時は宗教は無力です。遺族の感情を傷つけます。

悲しい時には徹底的に悲しむほうが良いのです。悲しみぬいた先に一条の灯りが見えるのです。悲しみながらあの世に生きている故人と話をするのです。「私がどのようにすれば貴方は幸せに感じますか?」と一心に聞くのです。

私は、こんなことを、万一、家内が先に旅立った場合のために用意して考えています。

どこか間違っているでしょうか?ご意見を頂ければ嬉しく思います。(続く)


日本人が憧れる上高地・・・そして私の上高地

2014年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

上高地は神々しい別世界です。険しい山々をバスで根気よく登り、最後の長いトンネルを抜けると、いきなり眼前に穂高の連峰が広がり、梓川と大正池が夢幻のような盆地を作っているのです。

昔は神垣内と書いたり、神河内と呼んでいたそうですが、とにかく神々しい景観なのです。日本のどこにでもある谷川の風景とは全く違う神秘的で、そしてロマンチックな景観なのです。

以前は梓川沿いのバス道も無く、神河内に入るには北アルプスの高い山の上の徳合峠を越えて、この別世界へ降り立ったのです。苦しい山越えの後で見たこの夢幻的な景観に人々は桃源郷を連想したのです。極楽浄土を連想したのです。

明治の始めころ、イギリス人のウエストン卿も徳合峠を越えて、神河内に降り立ったのです。そのときの感動を記した彼の著作を読むと私の胸も躍ります。

ウェストンは感動のあまり何度も徳合峠を越えて神河内へ足を運びました。人柄が良く山案内人に信頼されたと言います。このウェストンこそが上高地の魅力を日本人へ教えたのです。現在、彼のレリーフが静かに梓川を見降ろしています。

私は23歳の夏に、JR大糸線の穂高駅から中房温泉に泊り槍、穂高へと縦走しました。

中房温泉から燕岳を乗り越えて、大天井岳、西岳と尾根道を縦走し、槍の肩の小屋に一泊です。次の日は南岳へ尾根道を縦走してます。南岳からは最大の難所の大キレットを慎重に渡り北穂小屋に泊りました。そして最後に穂高からカラ沢を下り、梓川沿いに上高地に降り立ったのです。

そこには想像も出来ない神々しく感動的な光景が広がっていたのです。

清流の梓川。白い川瀬には茂る柳の木。白樺林。立ち枯れの木のある大正池。河童橋にのしかかるように聳えている明神岳。それを回り込むように蛇行する梓川。

すべてが夢心地のような風景です。

一度でも行ったことのある人とっては終生忘れられられない思い出の景観です。そして行ったことのない人々にとっても憧れの地なのです。

私の忘れられない上高地は、北アルプスを縦走して、疲れ果てた末に神河内に降り立った時に見た、その光景なのです。それが心に焼付いている私の上高地なのです。

その後仕事が忙しくなって何十年も行きませんでした。

しかし70歳で引退してからは8年間、毎年のように出かけています。冬以外の良い季節に家内と一緒に行くのです。

昨日も行きました。あいにく小雨模様の上高地はまだ冬景色でした。上高地の帝国ホテルでランチを摂り、田代橋から中の瀬を通り河童橋の見えるところまで散策して来ました。

若い頃感動した曾遊の地を何度も訪問して楽しめるのは老境の幸せです。仕事を70歳で一切止めた後の人生はまた格別に幸福なものです。これこそ年を取ってみないと絶対に分からない幸せです。

写真のはじめの2枚は昨日の写真です。穂高連峰を背にした上高地帝国ホテルの写真と田代橋から見た穂高連峰の写真です。

3番目の写真と4番目の写真は2011年7月2日に撮った田代池と大正池の写真です。

5番目と6番目の写真は2012年10月28日に撮った田代橋から上流の方の紅葉の写真と、中の瀬から見た六百山の麓のカラマツ林の紅葉の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

====下記に上高地に関する過去の記事を示します========

秋の曇り日の上高地 (2008年9月27日掲載)

ある秋の日の上高地帝国ホテル(2008年9月20日掲載)

思い出の上高地、憧れの上高地・・・その写真集をお送りします(2010年7月7日掲載記事、快晴の上高地)

カラマツが紅葉する季節に、北原白秋の詩をお送りいたします:2013・10・31

上高地の魅力(3)巨木の下の道を歩く楽しさ:13・9・22
上高地の魅力(2)梓川や田代池の水の美しさ:13・9・21
上高地の魅力(1)山々の景観の美しさ13:9・20
上高地の紅葉の写真(続き):2012・11・4
カラマツ林の紅葉と、わたしの上高地ものがたり:12・10・31
上高地のロマンチックなホテルの風景をお楽しみ下さい12・10・30
夏だ!若人よ北アルプス表銀座を縦走せよ!:12・7・27
麗しき日本へ送る賛歌(4)人々の憧れの上高地:12・3・20
何故か昔の事を懐かしく思い出させるホテル・上高地、帝国ホテル:2011・7・8
残雪の穂高、河童橋、明神ヶ岳、梓川、大正池の写真です:11・7・4

夢幻的な上高地、田代池の写真をお楽しみ下さい:11・7・3 

 

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