燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた
やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思つて
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあつた
あかのまんまの力も弱つていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゅうたんのように赤い
種子(たね)がたくさん、心(しん)のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいゝ生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした
この暑さが、詩のなかに夏を探そうとさせたのだろうか。この夏は、歳時記を繰るようにして、詩集を読むことが多かったような気がする。それは、「自然と詩」について考える機会でもあった…か。
いい加減、そんな渉猟/逍遙に厭いて、ただぼおっと順三郎の詩行を追っていたら、ふっと目の前にこの詩が現われた。ギリシャ的/地中海的な構図の中を行く詩人の前に現われた、かくされた〈さびしさ〉。西脇詩学を絵に描いたようなものだが、この「燈台へ行く道」は、いま、わたし(たち)が行く道でもあるように思われた。(文責・岡田) 以上は、http://www.midnightpress.co.jp/poem/2008/08/post_56.htmlから転載させて頂きました。この文章を書いた岡田さんは詩集の出版をするミッドナイト・プレスという会社を経営しています。こんな会社が世の中にはあるんですね。
1922年(大正11年)に神戸より北野丸でイギリスに出帆。同船した福田敬二郎を通じて従弟の郡虎彦と到着したロンドンで交わる。オックスフォード大学の入学手続きに間に合わず、一年間はロンドンでジョン・コリアー、シェラード・ヴァインズらとの交友の結果、モダニズム文学運動に接する。1923年(大正12年)1月より住居をケンジントン地区のホテル・ローランドに定め、7月にスコットランドを旅行。10月にオックスフォード大学ニュー・カレッジ(New College)英文学Honors courseに入学。フランス、スイスに旅行し、1924年(大正13年)の夏学期に大学のニューディゲイト賞にラテン語で応募しようとしたが、時間不足のため英詩に転換。後に『Ambarvalia』に「哀歌」として名残りのラテン詩が載った。
「A KENSINGTON IDYLL」がT・S・エリオットの詩と共に『チャップブック (Chap Book)』39号に掲載され、この年に英詩を乱作し、12月フランスで『シュルレアリスム革命』誌が刊行される。1925年(大正14年)にオックスフォード大学を中退し、ロンドンで英文詩集『Spectrum』をケイム・プレス社より自費出版。これがデイリー・ニューズ紙とタイムズ紙文芸附録の書評に取り上げられ、一躍文名をあげた。帰国の途中にパリで仏文詩集『Une Montre Sentimentale』を出そうとしたが果たせなかった。
西脇順三郎は1894年(明治27年)1月20日生まれ、 1982年(昭和57年)6月5日に亡くなる。日本の詩人でかつ英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。