後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「燈台へ行く道」西脇順三郎、そしてトベラの花

2014年05月21日 | うんちく・小ネタ
「燈台へ行く道」  西脇順三

 

まだ夏が終わらない
燈台へ行く道
岩の上に椎の木の黒ずんだ枝や
いろいろの人間や
小鳥の国を考えたり
「海の老人」が人の肩車にのつて
木の実の酒を飲んでいる話や
キリストの伝記を書いたルナンという学者が
少年の時みた「麻たたき」の話など
いろいろな人間がいつたことを
考えながら歩いた
やぶの中を「たしかにあるにちがいない」と思つて
のぞいてみると
あの毒々しいつゆくさの青い色もまだあつた
あかのまんまの力も弱つていた
岩山をつきぬけたトンネルの道へはいる前
「とべら」という木が枝を崖からたらしていたのを
実のついた小枝の先を折つて
そのみどり色の梅のような固い実を割つてみた
ペルシャのじゅうたんのように赤い
種子(たね)がたくさん、心(しん)のところにひそんでいた
暗いところに幸福に住んでいた
かわいゝ生命をおどろかしたことは
たいへん気の毒に思つた
そんなさびしい自然の秘密をあばくものでない
その暗いところにいつまでも
かくれていたかつたのだろう
人間や岩や植物のことを考えながら
また燈台への道を歩きだした


  この暑さが、詩のなかに夏を探そうとさせたのだろうか。この夏は、歳時記を繰るようにして、詩集を読むことが多かったような気がする。それは、「自然と詩」について考える機会でもあった…か。
 いい加減、そんな渉猟/逍遙に厭いて、ただぼおっと順三郎の詩行を追っていたら、ふっと目の前にこの詩が現われた。ギリシャ的/地中海的な構図の中を行く詩人の前に現われた、かくされた〈さびしさ〉。西脇詩学を絵に描いたようなものだが、この「燈台へ行く道」は、いま、わたし(たち)が行く道でもあるように思われた。(文責・岡田) 以上は、http://www.midnightpress.co.jp/poem/2008/08/post_56.htmlから転載させて頂きました。この文章を書いた岡田さんは詩集の出版をするミッドナイト・プレスという会社を経営しています。こんな会社が世の中にはあるんですね。
上の詩、「灯台へ行く道」の中に出てくるトベラの花の写真を下に示します。昨日、清瀬市の金山緑地で偶然見つけたのでです。
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=====参考資料========================

1922年(大正11年)に神戸より北野丸でイギリスに出帆。同船した福田敬二郎を通じて従弟の郡虎彦と到着したロンドンで交わる。オックスフォード大学の入学手続きに間に合わず、一年間はロンドンでジョン・コリアー、シェラード・ヴァインズらとの交友の結果、モダニズム文学運動に接する。1923年(大正12年)1月より住居をケンジントン地区のホテル・ローランドに定め、7月にスコットランドを旅行。10月にオックスフォード大学ニュー・カレッジ(New College)英文学Honors courseに入学。フランス、スイスに旅行し、1924年(大正13年)の夏学期に大学のニューディゲイト賞にラテン語で応募しようとしたが、時間不足のため英詩に転換。後に『Ambarvalia』に「哀歌」として名残りのラテン詩が載った。

「A KENSINGTON IDYLL」がT・S・エリオットの詩と共に『チャップブック (Chap Book)』39号に掲載され、この年に英詩を乱作し、12月フランスで『シュルレアリスム革命』誌が刊行される。1925年(大正14年)にオックスフォード大学を中退し、ロンドンで英文詩集『Spectrum』をケイム・プレス社より自費出版。これがデイリー・ニューズ紙とタイムズ紙文芸附録の書評に取り上げられ、一躍文名をあげた。帰国の途中にパリで仏文詩集『Une Montre Sentimentale』を出そうとしたが果たせなかった。

西脇順三郎は1894年(明治27年)1月20日生まれ、 1982年(昭和57年)6月5日に亡くなる。日本の詩人でかつ英文学者(文学博士)。戦前のモダニズム・ダダイズム・シュルレアリスム運動の中心人物。水墨画をよくし、東山と号した。小千谷市名誉市民。


みずからの歴史の転換に直面する日本人(4)中国と韓国の嫌がらせは将来も長期間続く

2014年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの日本人は憲法を国民投票で改正し、戦争放棄を謳い上げた第9条を変えようとしています。過半数が賛成しているか否かは未だ判然としていませんが、これは戦後の歴史の一大転換です。

この歴史的変換の原因はいろいろ存在しています。しかし一番大きな原因は中国と韓国が執拗に続行している日本人への嫌がらせ政策です。

彼等の日本に対する恨みや復讐心の深さは日本人の想像を越えるものです。

話し合いや外交で解決のつかない深い、深い恨みなのです。ですから多くの日本人は、軍備を強化して彼等に軍事的に対決すべしと考えるようになったのです。

この日本人の考えかたの変化が、「みずからの歴史の転換に直面する日本人」という社会情勢を作りだしたのです。

しかし、この嫌がらせ政策は将来もえんえんと続くと思います。将来30年、50年と続くとも思います。

日本人はこのような情勢下で如何にして戦争を回避して、平和を守れば良いのでしょうか?とても困難な状況に直面しているのです。賢さと叡智が求められているのです。

そもそも中国や韓国の日本へ対する深い恨みは明治維新による日本の富国強兵に端を発しているのです。日清戦争で台湾を自分のものにし、日露戦争で満州を自国のものとしたのです。そして朝鮮は完全に併合し日本化政策を強行したのです。

これが倫理的に悪いと私は非難しません。世界中が武力で植民地の獲得競争をしていた時代だったのです。

そんな時代の日本の対中国政策や朝鮮合併が、彼等の心の中に深い恨み植えつけたのです。

「南京虐殺問題」や「尖閣諸島問題」は中国人の深い恨みの一角なのです。丁度大きな氷山のほんの一部分だけが海面に見えているようなものです。

韓国の徴用工や従軍慰安婦の問題も氷山の一角に過ぎません。

中国の共産党独裁の政権は国内問題が起きるたびに国民の日本人へ対する恨みを掻きたて、扇動し、政権の安泰を獲得するのです。

韓国の政権は独裁政権ではありませんが同じことをします。

この政権維持の方法は今後も続くと思います。将来30年、50年と続くとも思えます。

しかし中国と韓国と日本の経済交流はますます強くなるでしょう。それなくしてはアジアの経済成長は頓挫してしまうからです。中国との貿易が途絶すれば数多くの日本の会社が倒産します。安い製品を中国から輸入して日本で少し加工して世界中へ販売している会社が倒産します。安い食材を輸入して美味しい料理を出しているファミリーレストランが倒産します。

政治と経済の賢明な分離がますます重要になります。しかしそれは易しいことではありません。困ったものです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来ました清瀬市の金山緑地の風景写真です。

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センダンの薄紫の花が気品ある香りを漂わせています。

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イチハツも咲き始めました。

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上はトベラの花です。 海岸に多い植物です。西脇順三郎の「燈台へ行く道」を思い出します。