後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

川の源を考える(4)八王子市を貫流している一級河川浅川の源流をさか登る

2014年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

日本にある川はいずれも灌漑用水や水道水の水源として公共のお役に立っています。ですから個人が勝手に大量の水を工業用水に使ったり、河川敷に建物を自由に作ってはいけません。

そこで国土交通省が管理している全国の河川を一級河川として、河川法に従って保護しています。そして都道府県が管理、保護している河川を2級河川と言います。

全国にある一級河川はhttps://www.mlit.go.jp/river//toukei_chousa/kasen/jiten/nihon_kawa/ に紹介してあります。例えば関東地方の一級河川は以下の通りです。

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私共が散歩や散策で大変お世話になっている多摩川は一級河川です。ですからそこに流入している全ての支流も一級河川として国が管理しています。

先日、川の源を考える(2)数多くの美しい湧水がある野川の源流地域 でご紹介した小さな野川も一級河川と大きな看板が出ています。

今日は多摩川の、2番目に大きな支流の浅川の源流をたずねて小仏峠の途中まで登って来ました。一番に大きな支流は秋川です。

お役所的な浅川の源流は陣馬山となっています。そして小仏峠は陣馬山とその南の景信山の南隣で、同じ尾根筋にあります。

今日登った旧甲州街道に沿った小仏峠から流れ下る清流は杉木立の中を流れていて、いかにも源流としてふさわしい景観の小川なのです。

陣馬山へは景信山を越える尾根道で行けますが、その下の谷川沿いの道が分かり難くてとても素人には簡単にはさか登れません。そんな理由で私は旧甲州街道に沿った谷川を浅川の源流と定義したいのです。

今日撮って来た写真でご説明します。

一番上の写真は八王子市の西部にある多摩御陵への参道にある南浅川橋から上流方向を撮った写真です。奥の山が城山と小仏峠です。

二番目の写真は駒木野にある小仏関所跡付近の浅川の風景です。

裏高尾にある旧甲州街道の車が登れる所まで行くと広い駐車場があります。そこからいよいよ登山です。道に沿って心地良い水音をたてて清流が流れています。

三番目の写真が細くなった小さな滝の写真です。

やがて道は谷を離れて尾根への登り道になります。

四番目の写真がその尾根へと登る道です。ここまで登ると谷川の音も聞こえなくなりましたので帰ってきました。

歩きながら全国には同じような谷川があり、それぞれの一級河川の源流になっている様子を想像していました。

昔から川の流れを静かに見ていると悠然とした気分になったものです。そして何時かはその源を遡ってみたいと若い頃にいろいろ想像したものです。老境にいたって時間が出来たので若い頃のささやかな夢をかなえているのです。

つまらない話で失礼しました。恐縮しています。

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同窓会が嫌いな方々へ深い同情を感じます

2014年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

日本では同窓会というものがあり、いろいろな意味で人々を束縛し、その上卒業した学校の運動部への寄付を要求してきます。

毎年のように同窓会を開催している学校もあります。その会に出てみると卒業年次の違う見知らぬ人々が沢山いて話が合いません。面白く無い会合です。幹事だけが楽しそうにしています。

ですから同じクラスの人だけで開く同級会というものもあります。こちらは顔見知りの人だけなので和気あいあいとして楽しいのが普通です。

しかしこの同級会にも、そして同窓会にも卒業以来一度も出席しない人も少なからずいます。

出席しない理由は人それぞれ様々です。特に理由も無いが面倒くさいという人から、学校時代に嫌な思い出があるから出席しないという人までいろいろです。学校では嫌いな勉強を無理にさせます。怖い意地悪な先生もいます。いじめた同級生もいました。同窓会や同級会に出るとそんな諸々のことを思い出すのです。

そんなことを想像して同窓会や同級会を欠席している人へ限り無い同情を感じていました。その孤高の生き方へすがすがしささえ感じていたのです。

ところで、アメリカの学校には日本的な同窓会や同級会が無いのです。アメリカにはホーム・カムイング・デイという学校全体を同窓生に年に一回だけ開放する日があるのみです。

同窓会や同級会は何故か日本の後進性を示しているようで、若い頃は全面的に賛成していませんでした。

しかし老境になってみると同窓会も同級会も出たい人だけが任意で出れば良いという気楽な考えになったのです。

出てみると欠席している人々との楽しかった思い出がつぎつぎとよみがえります。いろいろな理由で欠席している人々も皆に大切に思われているのです。西洋の言葉で言えば皆に愛され、懐かしく想われているのです。

そして少年だったころや青年だった頃、家のことや近所の野山の風景が思い出されて楽しいのです。

今週の水曜日に大学時代の同級会が東京駅地下の黒塀横丁にあるエビス・ビールバーでありました。集まったのは同級生約30名のうち首都圏にいる8名でした。

万年幹事の郷農君、立石君、大村君、管野君、大友君、大宮司君、高橋君、そして小生の合計8人でした。たわいのない皆の話を聞きながら亡くなってしまった小山君や高津君や星野君のことを思い出していました。欠席した人々との楽しかった交友の場面を思い出していました。そうすると出席者は8名ですが大学時代の同級生30名の全員と会っているような気分になれるのです。

下にその写真をしめします。しかしお爺さんたちの飲み会の写真だけでは面白くも可笑しくもないので、少年の頃、仙台の自宅の庭にあった除虫菊と、その周辺の野山でよく見たアザミやスイカズラやヒメカズラの花の写真をお送りします。都立薬草植物園で一昨日撮った写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。

後藤和弘(藤山杜人)

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