後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本人の考える正義と中国人の本音

2015年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム
国際問題で正義を論ずると感情問題になり不愉快な気分になるだけです。
日本の正義によると北方四島は日本の固有の領土でロシアが不当に占領しているという主張になりまます。一方、ロシアは北方四島は終戦前に日本を武力攻撃したら千島列島をロシアが領土としても良いという英米の約束に従っただけなのでロシアの固有の領土だと主張します。ロシアにも正義があるのです。ですから北方四島は絶対に日本へ返す理由がないのです。
尖閣諸島に関しても日本の正義と中国の正義が全く違います。
このように「正義」という概念は国ごとに違うことが多いのです。
それにいらいらして平穏な気持ちを失ったとしたら、それほど愚かなことはありません。
そのような問題は棚上げにして、中國の人やロシア人と個人的に親しくなるのが得策です。金銭上の得策ではなく平穏な気持ちで老境を楽しく過ごせるので得策なのです。
それでは私はどのような中国人とお付き合いしたのでしょうか?そんな個人的な体験を書いてみたいと思います。
私の中国観の形成過程で一番重要だったのは、1969年と70年、ドイツのストッツガルト市にあるマックスプランク研究所で、研究をしていた時に得たある一つの体験でした。
   @独研究者の言葉
1969年以前は2年間のアメリカ在住の影響もあり、共産党の中国は嫌いでした。また、第二次大戦中の中国を「支那」と蔑視する文化の中で育ちましたので、中国に対しては内心深く軽蔑していました。しかし、研究所で「固体電解質の物理」という専門書の一つの章を共同執筆した研究者、プルシュケル氏の言葉が私の考えを根底から変えました。
「日本人は中国人を軽蔑しているが、欧州人は中国を軽蔑している日本人を信用も尊敬もしないよ。もっと東洋と西洋の文化と相互交流の歴史を考えて、東洋の利益を考えるべきでは」「西洋の近代植民地主義に便乗するのではなく、東洋の利益、日本の利益を基本的に考えて西洋諸国と交流するのがよいと思う」と言うのです。
プルシュケル氏は東ドイツにある村に同姓の村人数百人と一緒に住んでいました。ロシア軍が侵入した時に同族は皆殺しに遭い、1人だけ生き延びて西ドイツに逃げ、研究所の主任研究員になった人です。彼は後に大学教授になりました。
ロシア人を憎んでいないのかとの質問に、「ドイツが電撃作戦でロシアに侵入した時、若いロシア人を2000万人も殺した。ロシア側は当然のことをしたので特に憎む気持ちはない」と答えました。このような男が「日本人は中国人と信頼関係を維持したほうがよい」と言うので、深く考え直すキッカケになりました。
      @周栄章教授のこと
1979年、ベルサイユ宮殿前の国際会議場で北京鉄鋼学院の周栄章教授に会った時、この話をしました。周氏は共産軍とともに天津市を占領し、天津市の行政に参加した人でした。
この周氏との出会いが後に中国へ行くキッカケになりました。
周氏は日本軍が真珠湾で米太平洋艦隊を攻撃した時、ものすごくうれしかったそうです。日本は太平洋へ軍事作戦を拡大するので、中国本土の戦争は中国にとって楽になると考えたからです。実はこれだけではないようでした。西洋植民地主義で清朝以来痛めつけられた中国人にとって、兄弟分の日本が西洋人に痛撃を与えたからです。
海外在住の中国人も含め、全中国人が日本軍の真珠湾攻撃によって内心溜飲を下げなかったと言えば嘘になると思います。周栄章教授は2004年に亡くなりました。
       ◎地下室で見た中国人の本音
中国の総理、周恩来が1976年に死んだ後、中央政府は公的葬式以外の一切の私的な追悼会のような集会を禁止しました。そして死後数年間、一切の追悼行事を禁止したのです。
周恩来総理は毛沢東に仕えながらその暴政にいろいろな方法で歯止めをしたのです。毛沢東一派はそれを憎んでいました。
1981年に北京にいた私に、周栄章教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言いました。
 暗夜に紛れて連れて行かれた所は、深い地下に埋め込んだ大學の地下室でした。明るい照明がついた大きな部屋の壁一面に、周恩来の写真、詩文、花束などが飾られていました。周氏は「中国人が一番好きな人は毛沢東ではなく周恩来ですよ。中央政府が何と言ったって、やることはちゃんとやるよ。それが中国人の根性なのです」と言い切りました。
外国人の私が政府側へ密告しないとどうして信用できたのでしょうか。このような体験で、中國人は個人を一旦信用すると最後まで信用する性格を持っていると思い、とても感動しました。、
そして中国は権力者と一般の人々との考えが違うことを教えてくれました。
中国東北部の瀋陽に行った時、東北工科大學の陸学長がニコニコして「私は日本人の作った旅順工大の卒業です」ときれいな日本語で言いました。そこで、東北大学金属工学科で電気冶金学を習った森岡先生が旅順工大にいたことを話しましたら、「悪い先生もいましたが、大変お世話になった素晴らしい日本の先生もいました。ご恩は忘れません」と懐かしそうでした。中国人は個人の付き合いと国家同士の論争とは分離して考えているようです。
それ以来、中国政府が日本を非難しても怒りを感じなくなりました。
南京虐殺を大げさに宣伝したり世界遺産の登録しても何も感じないのです。
共産党独裁を守るためにしているのです。
中國人は共産党の言うことをオウム返しに叫んでいるだけです。それをないと生けて行けない国なのです。本音は別です。
そのように理解するようになって35年が経過しました。その間の日中間ではいろいろな事件がありました。しかしどんな時でも、1981年のある時、周栄章教授が声をひそめて「中国人がどんな人間か見せたいから今夜ホテルへ迎えに行く」と言った時の顔を忘れません。
これからも中国共産党政府はいろいろと言語道断な政策をとるでしょう。しかし私は驚きません。
中國人の個人、個人が、少しでも幸多かれと静かに祈るだけです。
今日の挿絵の写真は数日前に撮った静岡県富士宮市の白糸の滝です。最後の写真はその傍の音止滝です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)