毛沢東が死に、4人組みが逮捕され文化大革命が終了したのは1976年です。その5年後の1981年に訪問した北京の殺伐とした雰囲気に胸がつぶれました。街路や公衆便所の汚さは人々の心の荒廃を示していて身の毛がよだちます。
招待してくれた周栄章教授は1968年に突然大学の研究室から農村へ下放されました。貧しい農村へ追いやられたそうです。それから7年間、毎日、毎日ブタへ餌をやり糞の掃除をして暮らしたそうです。食料は極端に乏しく、飢えで死ぬ人も居たそうです。その間、家族はバラバラに下放され、何処に居るのか、生死さえ分からなかったそうです。
毛沢東がもう一度権力を握るために全国で紅衛兵を動員して知識人や政治家などを抹殺しようとした内戦でした。全国を凄惨な戦争に巻き込んだ残酷な毛沢東の権力奪取闘争でした。その指導をしたのが毛沢東の妻の江青などの4人組でした。
数年間、この4人が中国大陸の頂点に立って惨劇を続けたのです。
この文化大革命の間、毛沢東に従いながらも国民の苦しみを少しでも少なくしようと粉骨砕身の活躍をしたのがこの写真にある周恩来総理でした。彼は失望にうち砕かれた全ての人々へ生きる希望を与えたのです。暗夜の灯として、いまだに全中国人の心の中に生きています。彼は1976年1月に死にました。そして間もなく毛沢東もこの世を去ったのです。
小平が権力を握り、やっと平穏な日々が続くようになったのは1980年くらいからです。この文化大革命の凄惨な体験から中国人は2つのことを心の底に強く抱くようになったのです。(1)国の分裂と内戦は絶対に避ける、そして(2)充分な食糧生産と経済発展の為には全てを犠牲にする、という2つの強い信念です。
民主主義や多数の政党による議会制の導入は、もう一度、人々を内戦のるつぼへ投げ入れる可能性を持っています。これは死んでも避けるべきです。一党独裁が最善の方法なのです。大部分の中国人がそのよいうに思うのは自然な成り行きでした。
ここで我々は中国の政治グループの背後には軍隊が密着していることを知るべきです。
小平が権力を握ることが出来た理由は彼の軍部操縦術が抜群だったのです。政治闘争は必ず軍隊同士の内戦へ繋がるのです。
それが中国なのです。従って、小平は1989年の天安門広場での民主化デモを戦車を出動して鎮圧したのです。彼の決断は中国国内から見ると正しかったのです。学生以外の大多数の社会人が小平の決断を支持しました。
充分な食料生産と経済発展の為に彼は共産主義体制の計画生産体制を廃止して、市場経済原理にもとづく自由競争生産へ切り替えたのです。それは大成功でした。その結果、中国のGDPはアメリカについで世界2位になったのです。
中国の外交政策は文化大革命の負の遺産に忠実に従っているのです。共産党一党独裁は至上命令です。
現在の国家主席の習近平も7年間、下放され貧しい農村で辛酸を舐めたのです。彼は国内の対立と内戦を憎んでいます。絶対に共産党一党独裁を守ります。
しかし中国の内陸部はいまだに貧困だと言われています。海岸部との経済格差を恨みに思っているとしたらそれも自然なことです。そこで北京政府へ抗議する代わりに、また反日デモを起こすかも知れません。尖閣諸島の問題は中国の国内問題でもあるのです。そのうち中国の過激分子が尖閣諸島に上陸して、占拠するか分かりません。それも自然の成り行きです。中国の社会には文化大革命時代の残酷な雰囲気をいまだに抱えているのです。それは習近平による粛清劇を見れば明らかです。
大東島には北大東島、南大東島、そして沖の大東島がありますが、日本はそれらを中国から守りきれるでしょうか?北方4島がロシアに実効支配されているように沖の大東島が中国に取られないようにするのも重要な外交政策と思います。
尖閣諸島問題が起きるとマスコミは感情的な怒りを煽りたてるだけです。何故中国はそのような問題を起こすのか考えません。
離れ島は尖閣諸島だけではありません。3つの大東島は安全なのでしょうか?
安倍総理の積極的平和主義や日米安保条約は日中問題にどのような影響があるのでしょうか?そのように総合的に考えた記事が新聞には少なすぎます。
中国の近代の歴史も考えた総合的な戦略を深めれば、対中外交において日本側が主導権を握れると信じています。皆さんのご意見を頂ければ嬉しく思います。
余談ながらこの文章は中国人にも是非、読んで貰いたいと思います。そして私の間違いをご指摘頂ければ大変嬉しく思います。(終り)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
招待してくれた周栄章教授は1968年に突然大学の研究室から農村へ下放されました。貧しい農村へ追いやられたそうです。それから7年間、毎日、毎日ブタへ餌をやり糞の掃除をして暮らしたそうです。食料は極端に乏しく、飢えで死ぬ人も居たそうです。その間、家族はバラバラに下放され、何処に居るのか、生死さえ分からなかったそうです。
毛沢東がもう一度権力を握るために全国で紅衛兵を動員して知識人や政治家などを抹殺しようとした内戦でした。全国を凄惨な戦争に巻き込んだ残酷な毛沢東の権力奪取闘争でした。その指導をしたのが毛沢東の妻の江青などの4人組でした。
数年間、この4人が中国大陸の頂点に立って惨劇を続けたのです。
この文化大革命の間、毛沢東に従いながらも国民の苦しみを少しでも少なくしようと粉骨砕身の活躍をしたのがこの写真にある周恩来総理でした。彼は失望にうち砕かれた全ての人々へ生きる希望を与えたのです。暗夜の灯として、いまだに全中国人の心の中に生きています。彼は1976年1月に死にました。そして間もなく毛沢東もこの世を去ったのです。
小平が権力を握り、やっと平穏な日々が続くようになったのは1980年くらいからです。この文化大革命の凄惨な体験から中国人は2つのことを心の底に強く抱くようになったのです。(1)国の分裂と内戦は絶対に避ける、そして(2)充分な食糧生産と経済発展の為には全てを犠牲にする、という2つの強い信念です。
民主主義や多数の政党による議会制の導入は、もう一度、人々を内戦のるつぼへ投げ入れる可能性を持っています。これは死んでも避けるべきです。一党独裁が最善の方法なのです。大部分の中国人がそのよいうに思うのは自然な成り行きでした。
ここで我々は中国の政治グループの背後には軍隊が密着していることを知るべきです。
小平が権力を握ることが出来た理由は彼の軍部操縦術が抜群だったのです。政治闘争は必ず軍隊同士の内戦へ繋がるのです。
それが中国なのです。従って、小平は1989年の天安門広場での民主化デモを戦車を出動して鎮圧したのです。彼の決断は中国国内から見ると正しかったのです。学生以外の大多数の社会人が小平の決断を支持しました。
充分な食料生産と経済発展の為に彼は共産主義体制の計画生産体制を廃止して、市場経済原理にもとづく自由競争生産へ切り替えたのです。それは大成功でした。その結果、中国のGDPはアメリカについで世界2位になったのです。
中国の外交政策は文化大革命の負の遺産に忠実に従っているのです。共産党一党独裁は至上命令です。
現在の国家主席の習近平も7年間、下放され貧しい農村で辛酸を舐めたのです。彼は国内の対立と内戦を憎んでいます。絶対に共産党一党独裁を守ります。
しかし中国の内陸部はいまだに貧困だと言われています。海岸部との経済格差を恨みに思っているとしたらそれも自然なことです。そこで北京政府へ抗議する代わりに、また反日デモを起こすかも知れません。尖閣諸島の問題は中国の国内問題でもあるのです。そのうち中国の過激分子が尖閣諸島に上陸して、占拠するか分かりません。それも自然の成り行きです。中国の社会には文化大革命時代の残酷な雰囲気をいまだに抱えているのです。それは習近平による粛清劇を見れば明らかです。
大東島には北大東島、南大東島、そして沖の大東島がありますが、日本はそれらを中国から守りきれるでしょうか?北方4島がロシアに実効支配されているように沖の大東島が中国に取られないようにするのも重要な外交政策と思います。
尖閣諸島問題が起きるとマスコミは感情的な怒りを煽りたてるだけです。何故中国はそのような問題を起こすのか考えません。
離れ島は尖閣諸島だけではありません。3つの大東島は安全なのでしょうか?
安倍総理の積極的平和主義や日米安保条約は日中問題にどのような影響があるのでしょうか?そのように総合的に考えた記事が新聞には少なすぎます。
中国の近代の歴史も考えた総合的な戦略を深めれば、対中外交において日本側が主導権を握れると信じています。皆さんのご意見を頂ければ嬉しく思います。
余談ながらこの文章は中国人にも是非、読んで貰いたいと思います。そして私の間違いをご指摘頂ければ大変嬉しく思います。(終り)
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)