後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

こんなことを書くと又みんなに叱られます

2018年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム
最近、『血も涙も無いと思われていた金正恩委員長の本物の笑顔に感動』(2018年04月28日 掲載)と『北朝鮮の協調外交への変化は歴史の転換点』(2018年04月30日 掲載)という2つの記事を書きました。
それに対していろいろ批判的なコメントを頂きました。コメントを下さった方々へ深く感謝しています。
そこで深く考えてみると批判的なコメントの背景には朝鮮半島に住む人々、特に北朝鮮の人々に対する嫌悪感や憎しみがあるように感じられるのです。
私も昔は同じような蔑みの感情を持っていました。しかし現在は朝鮮半島に住む人々へ対して限りない親しみを感じます。同じ人間として大切に思います。強いて言えばこれは私の人類愛の表れなのです。
日本人は朝鮮半島に住む人々を大切に思い、愛すべきです。
このように書くと、又みんなに叱られます。
何度叱られても私は繰り返し書きます。日本は言論の自由がある民主国家なのですから。
それでは何故、私が朝鮮を蔑視していたのに愛するようになったか?

今日は、その理由の本音を書きたいと思います。
戦前生まれの私は朝鮮半島の人々を蔑む言葉に囲まれて育ちました。戦争直後も日本に住んでいる朝鮮半島の人々の横暴な振る舞いに嫌悪感を持っていました。
しかし新制中学校に進学するとアメリカ占領軍の教育方針にしたがって、日本が朝鮮を併合したのは悪いことだと教わりました。悪いのは日本人だと教わりました。
朝鮮の併合だけではありません。中国を侵略したことや、満州国を勝手に作った日本は非常に悪いと教わりました。日教組の影響を受けた先生は特に強く日本が悪いと教えました。
これで私は自虐史観を持ってしまったのです。
ですから日本人は朝鮮の人々に謝罪し賠償を払うべきと思っていました。
しかしそん考えでいた35歳の頃、カトリックの洗礼を受けたのです。
すると世界のカトリックの信者が11億人もいて、いろいろな国々に住んでいることを知りました。
朝鮮半島にもカトリック信者が日本より非常に多いことも知りました。
キリスト教では神が全ての人を平等に愛します。私は神が愛する人間同士も、民族の違いを越えて愛し合うべきではないかと考えるようになりました。
その頃から自虐史観は間違っていると思いだしました。どちらかの国が一方的に悪いということは無いのです。世界の歴史を考えれば自虐史観は間違いだということが分ります。

私は格好良く言えば自虐史観を卒業して人類愛の境地に入ったのです。
朝鮮半島に住む人々へ対して好意的な記事を書く理由が、自分の自虐史観ではなく人類愛へと変わったのです。
こう書くと少し嘘になります。まだ自虐史観の残影が私の心の中に残っていることを白状すべきです。
これで私が朝鮮半島に住む人々へ対して好意的な記事を書く理由がご理解頂いたと存じます。
人類愛ですから中国人、インドネシア人、フィリピン人、欧米人、アフリカの国々の人々、全ての人間を私は大切に思っています。

今日の挿し絵代わりの写真は朝鮮半島の風景写真です。写真の説明は、『豊かな朝鮮文化を少しだけ知ろう!』(017年10月11日掲載記事)にあります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
===参考資料、「朝鮮の簡略化した歴史」===============
日本人がよく知っている朝鮮の歴史は飛鳥、奈良時代に交流のあった百済、新羅、高句麗の三国だけです。その後のことはあまり学校では習いません。
その後はいろいろ戦乱があり、918年、後高句麗の豪族の健が新羅を滅ぼして王位を簒奪し、高麗を建国したのです。この高麗は現在の韓国の英語名のKorea になったのです。
この高麗は918年から、1392年に朝鮮王朝の開祖李成桂が開城で王に即位し李氏朝鮮が始まるまで続きました。
朝鮮の1392年以後の李氏朝鮮では焼き物の技術が発展します。
日本の歴史と朝鮮の歴史を比較すると非常に大きな違いがあります。
朝鮮は中国と陸続きです。いろいろな時代に中国大陸から強大な敵国が侵入し、北朝鮮のみならず南も占領されたのです。
北朝鮮は渤海、東丹国、元朝に支配され、特に元は朝鮮半島全部を支配し、日本へまで攻め込んで来ました。
一方、日本も秀吉の出兵により李氏朝鮮の首都、漢陽(現在のソウル)も陥落したのです。
それは1592年の 文禄の役(壬申の倭乱)と1597年の 慶長の役(丁酉の倭乱)です。しかし 李舜臣の活躍で日本軍は撃退されました。
そして最後に李氏朝鮮は日本によって1910年に併合されたのです。
その時、上海に出来た朝鮮の亡命政権の李承晩が戦後の韓国の初代大統領になったのです。
現在の韓国政府は上海の亡命政府を政権の始まりと憲法に明記しているのです。